5世紀
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千年紀: | 1千年紀 |
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世紀: | 4世紀 - 5世紀 - 6世紀 |
十年紀: |
400年代 410年代 420年代 430年代 440年代 450年代 460年代 470年代 480年代 490年代 |
できごと[編集]
●日本では倭国の古墳時代中期にあたる。各地で巨大な前方後円墳が築造され、地方とヤマト王権中枢双方の首長たちの祭祀儀礼が執り行われる。この世紀の倭国は朝鮮半島諸国間の紛争に活発に武力介入を行っていたことが、日本側と朝鮮半島側双方の歴史記録から伺われる。当時の5代に及ぶ治天下大王が東晋から南朝にかけての江南の王朝に盛んに朝貢して王号と官職を得ていたことが中国正史の記述に残されており、倭の五王として知られている。 ●北海道北部や東部では続縄文文化とは異質な海獣漁労民のオホーツク文化︵中期︶が拡大する。 ●オーストロネシア語族のマレー系民族がアフリカ東部のマダガスカル島に定着する。400年代[編集]
詳細は「400年代」を参照
●400年代初頭 - 大王クラスの大形前方後円墳が奈良盆地から大阪平野に移り更に巨大化する。
●大仙古墳︵伝仁徳天皇陵︶や誉田御廟山古墳︵伝応神天皇陵︶が代表例。副葬品に人物埴輪が現れる。
●河内平野には茨田堤や難波の堀江などの土木工事跡も残る。
●401年 - クチャの仏僧である鳩摩羅什が後秦の姚興に迎えられ長安に来訪。
●402年
●柔然の社崙が初めて可汗を称する。
●柴壁の戦いで北魏が後秦に勝利する。
●西ローマ皇帝ホノリウスがミラノ︵メディオラヌム︶からラヴェンナへ遷都。
●西ローマ帝国軍最高司令官スティリコがポルレンティアの戦いで西ゴート族の王アラリック1世に勝利。
●403年 - 桓玄が東晋の安帝から帝位を簒奪︵ - 404年︶。
●404年
●倭軍がもとの帯方郡の地域に出兵し、高句麗軍に撃退される︵広開土王碑︶。
●コンスタンティノポリス大主教ヨハネス・クリュソストモスが追放される。
●この追放に伴う混乱で、皇帝コンスタンティウス2世に奉献された初代のハギア・ソフィア大聖堂は焼失する。
●修道士テレマクスの死亡事故により西ローマ皇帝ホノリウスが剣闘士観戦を禁止し競技場を閉鎖。
●405年
●雲南に爨宝子碑が建てられる。
●ゴート人ラダガイススによるフィレンツェ包囲戦とフィエーゾレの戦い。
●405年頃 - ヒエロニムスがラテン語訳聖書﹁ウルガータ﹂を完成させる。
●406年 - ヴァンダル・スエビ・アラン人などの集団がライン川を渡りガリアに侵入︵406年のゲルマン諸族のライン川渡河︶。
●408年 - 西ローマ帝国軍最高司令官スティリコが処刑される。
●409年 - 北魏の道武帝が息子拓跋紹に殺害される。
410年代[編集]
詳細は「410年代」を参照
●410年
●西ゴート人のアラリック1世がローマ市を占領し掠奪。西ローマ帝国の衰亡が決定的になる。
●ローマ軍が属州ブリタンニアから撤退し、西ローマ帝国のブリタンニア支配が終わる。
●411年
●ガリシアにスエビ王国が成立する︵ガリシア王国︶。
●カルタゴ教会会議でドナトゥス派が断罪される。
●413年
●東晋で劉裕による﹁義熙土断﹂が行われる。
●法顕が海路から東晋に帰国する。帰国後その旅行記﹃仏国記︵法顕伝︶﹄を著す。
●倭国が東晋に朝貢する︵東晋・義熙9年、﹃晋書﹄安帝紀、﹃太平御覧﹄︶。
●東ローマ皇帝テオドシウス2世により首都コンスタンティノポリスのコンスタンティノープルの城壁#テオドシウスの城壁が完成する。
●414年
●西ローマ皇女ガッラ・プラキディアと西ゴート王アタウルフがナルボンヌで結婚。西ゴート人がイベリア半島に侵入。
●高句麗の長寿王が広開土王︵好太王︶碑を建てる。
●415年
●ワリア王がトロサ︵トゥールーズ︶に遷都し西ゴート王国が自立する。
●エジプトのアレクサンドリアで女性哲学者ヒュパティアがキリスト教の修道士らに惨殺される。
●デリーの鉄柱が建立される。
●﹃日本書紀﹄では允恭天皇4年のこの年に氏姓の乱れを正すために甘樫丘︵甘樫坐神社︶で盟神探湯を行ったと記録されている。
●416年 - ﹃日本書紀﹄では允恭天皇5年のこの年に地震が起きたと記録されている︵允恭地震、日本最古の地震の記録︶。
●417年 - 東晋の劉裕が後秦を滅ぼし、一時的に洛陽・長安を奪還する。
●418年
●夏の赫連勃勃が長安を占領。
●カルタゴ教会会議にてペラギウス主義が断罪される。
420年代[編集]
詳細は「420年代」を参照
●420年 - 東晋に代わり宋を建国した劉裕が皇帝︵武帝︶となる。
●421年
●ヴェネト地方住民がアドリア海に面したラグーナ︵潟︶に都市を建設︵ヴェネツィア建国の伝説︶。
●︵宋・永初2年︶- 倭王の讃、宋に朝貢し、宋の武帝から、除綬の詔うける︵おそらく安東将軍倭国王︶︵﹃宋書﹄倭国伝︶。
●425年
●︵宋・元嘉2年︶- 倭王の讃、司馬の曹達を遣わし、宋の文帝に貢物を献ずる︵﹃宋書﹄倭国伝︶。
●エフタルがバクトリア地方に侵入し、サーサーン朝と激突。
●東ローマ皇帝テオドシウス2世によりコンスタンティノポリス大学︵パンディダクテリオン︶が創建される。
●東ローマ皇帝テオドシウス2世の命により騎兵長官アスパルが西ローマ皇帝ヨハンネスを殺害。
●テオドシウス2世の甥ウァレンティニアヌス3世が西ローマ皇帝となる。
●426年
●皇帝テオドシウス2世が異教神殿破壊令を発し、オリンピア祭典競技施設を破壊する。
●ヒッポレギウス司教アウグスティヌスが﹃神の国﹄を完成させる︵413年 - ︶。
●コパンの祭壇Q銘文によるとコパンの初代王キニチ・ヤシュ・クック・モが即位する。
●このコパン王の後見によりキリグア王トク・﹁キャスパー﹂も即位する。
●427年
●高句麗の長寿王が丸都城から平壌に遷都する。
●東晋の詩人陶淵明が死去。
●428年 - サーサーン朝支配下のアルメニア王国で王政が廃絶される。
●429年 - ガイセリック率いるゲルマン系ヴァンダル族がジブラルタル海峡を越えて北アフリカに移動。
430年代[編集]
詳細は「430年代」を参照
●430年
●ヴァンダル族に包囲されたヒッポレギウスにて司教アウグスティヌスが死去。
●︵宋・元嘉7年︶- 倭国王、宋に使いを遣わし、貢物を献ずる︵おそらく讃︶︵﹃宋書﹄文帝紀︶。
●430年頃
●日本各地に巨大古墳出現する。馬具や甲冑、刀などの武器が副葬されるようになる。
●ベツレヘムで発見された最古のグルジア語碑文である﹁ビール・エル・クット碑文﹂はこの時期のもの。
●431年 - エフェソス公会議でネストリウス派︵のちの景教︶が異端宣告される。
●聖母マリアの﹁テオトコス︵神の母・生神女︶﹂の称号が公式に認められる。
●432年
●ローマ教皇シクストゥス3世の命によりローマのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂が建立される。
●パトリキウスがアイルランドでのキリスト教宣教を始める。
●ヴェスヴィオ火山大噴火。
●433年 - 東晋の詩人謝霊運が刑死する。
●434年
●アッティラがフン族の王となる。
●ローマ教皇シクストゥス3世によりローマのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂が奉献される。
●435年 - 西ローマ帝国が北アフリカの領土をヴァンダル人に譲り、ヴァンダル王国が成立する。
●437年 - 西ローマ帝国将軍アエティウスがフン族を派遣し第一ブルグント王国を滅ぼす。
●ヴォルムスのグンダハール王とブルグント族が殺害されたこの事件は叙事詩﹃ニーベルンゲンの歌﹄のもととなる。
●438年
●︵宋・元嘉15年︶- これより先、倭王讃没し、弟珍立つ。この年、珍宋に朝貢し、自ら﹁使持節都督・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事安東太将軍倭国王﹂と称し、正式の任命を求める︵﹃倭国﹄倭国伝︶。4月、宋の文帝、珍を安東将軍倭国王とする︵﹃宋書﹄文帝紀︶。珍はまた倭隋ら13人を平西・征虜・冠軍・輔国将軍にされんことを求め、許される︵﹃宋書﹄倭国伝︶。
●東ローマ帝国で﹃テオドシウス法典﹄が発布される。
●439年
●カルタゴがヴァンダル族に占領され、この国の首都とされる。
●北魏の太武帝が甘粛河西の北涼を滅ぼし華北を統一。五胡十六国時代が終わり、南北朝時代が始まる。
440年代[編集]
詳細は「440年代」を参照
●440-450年 - 千葉県市原市の養老川下流域の北岸台地上の稲荷台1号墳で出土した﹁王賜銘﹂鉄剣が房総の王に授けられる。
●442年 - 沮渠氏により高昌国が成立。
●443年
●︵宋・元嘉20年︶- 倭国王の済、宋に朝貢して、安東将軍倭国王とされる。
●スイス・フランス東南部に第二ブルグント王国が成立。
●445年 - 北魏が鄯善国(楼蘭)を滅ぼす。
●446年 - 北魏の太武帝が廃仏の詔を出す。
●449年 - エフェソス強盗会議が開かれる。
●この会議に対抗してローマ教皇レオ1世が﹁フラウィアヌスへの書簡︵レオのトムス︶﹂を送付する。
450年代[編集]
詳細は「450年代」を参照
●450年
●北魏で国史の獄が起こり、崔浩らが処刑される。
●宋の文帝が北伐の軍を起こすが、北魏の太武帝の反撃により長江北岸瓜歩まで奪取される。
●450年頃 - アングロ・サクソン族がブリテン島に移住。
●451年
●カタラウヌムの戦いで西ローマ・ゴート連合軍がフン族のアッティラ王を破る。
●カルケドン公会議で単性論︵モノフィシティズム︶が異端宣告される。
●エウテュケス主義が断罪され、合性論︵ミアフィジズム︶の立場を取る非カルケドン派正教会が分立。
●アヴァライアの戦いでサーサーン朝ペルシアがアルメニアに辛勝する。
●452年
●北魏の太武帝が宦官の宗愛により殺害される。
●アッティラ率いるフン族がイタリアに進攻。マントヴァにてアッティラと教皇レオ1世の会見。
●フン族の侵攻を恐れた北イタリア住民がヴェネタ潟に逃れてヴェネツィアが成立。
●453年 - アッティラが急逝。フン族の後継者争いが起こり、息子のエラクが勝利する。
●454年 - ネダオ川の戦いで、フン族の王エラクがゲピド族長アルダリックに敗北し、フン族の国家は崩壊する。
●455年
●ヴァレンティニアヌス3世の暗殺による西ローマ帝国でのテオドシウス朝の断絶。
●ヴァンダル王ガイセリックがローマを占領し、ローマを略奪。
●456年 ティカルの﹁嵐の空﹂王(シヤフ・チャン・カウィール2世︶が亡くなる︵神殿3,48号墓︶。
●457年 - 日本で雄略天皇が即位する。
●この年からの日本書紀の記録は元嘉暦によって記載される︵古天文学研究者小川清彦ほかの研究による︶。
460年代[編集]
詳細は「460年代」を参照
●460年 - 北魏で雲崗石窟の工事始まる。
●462年 - 武寧王陵墓誌から百済武寧王はこの年に生まれたことが確認できる。
●これは﹃日本書紀﹄の雄略5年に武寧王が生まれたという記事と対応する。
●463年
●吉備氏の乱が起こる。
●コンスタンティノポリスにストゥディオス修道院が設立される。
●468年 - バシリスクス司令官率いる東西ローマ帝国連合軍が北アフリカのボン岬の戦いでヴァンダル王国に大敗。
470年代[編集]
詳細は「470年代」を参照
●470年
●伝承ではイランのヤズドにあるゾロアスター教の拝火神殿︵アーティシュガーフ︶の火はこの年より今日まで燃え続けている。
●471年
●埼玉県行田市稲荷山古墳から出土した﹁辛亥年七月中﹂の干支銘を持つ金錯銘鉄剣が製作される。
●東ローマ皇帝レオ1世がイサウリア人タラシコデッサ︵後の皇帝ゼノン︶とともに軍事長官アスパルを倒す。
●475年
●高句麗が百済の都漢城を制圧し、百済の蓋鹵王が戦死する。後継の文周王が熊津に遷都する。
●西ゴート王エウリックがゲルマン法に基づく成文法の﹁エウリック法典﹂を編纂。
●476年 - ゲルマン人傭兵隊長オドアケルにより皇帝ロムルス・アウグストゥルスが廃位され、西ローマ帝国が滅亡する。
●帝位は東ローマ皇帝ゼノンに返上され、オドアケルはパトリキウスとしてイタリアを支配する。
●477年 - 倭国が宋に朝貢する︵﹃宋書﹄順帝紀︶。これより先、興没し、弟の武立つ。
●478年 - 倭王武が宋に入貢して上表する。﹁父祖の功績と父兄の志を述べ、高句麗の無道を糾弾し、自ら開府儀同三司と称し、正式の任命を求める。宋の順帝武を﹁使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東太将軍倭王﹂とする︵﹃宋書﹄順帝紀、﹃宋書﹄倭国伝︶。
●479年
●中国で南朝の宋に代わり蕭道成︵高祖︶が斉を建てる。
●加耶諸国の大加耶国王荷知が中国斉に使者を送り﹁輔国将軍加羅国王﹂の称号を得る。
●百済の三斤王が死去し、東城王が即位。
●雄略天皇が死去し、清寧天皇が即位、星川皇子の乱が起こる。
480年代[編集]
詳細は「480年代」を参照
●480年 - ダルマティアの支配者で西ローマ皇帝でもあったユリウス・ネポスがスパラトゥムで暗殺される。
●481年
●メロヴィング朝のフランク国王キルデリク1世が死去。
●キルデリク1世はベルギーのトゥルネーの墓に多数の黄金の宝飾品とともに埋葬される。
●キルデリク1世の息子クローヴィス1世がメロヴィング朝のフランク国王として即位。
●482年 - 東ローマ皇帝ゼノンが﹁ヘノティコン︵統一令︶﹂を発布。
●484年
●ヘラートの戦いで、エフタルのアフシュワルがサーサーン朝のペーローズ1世を敗死させる。
●山西省大同郊外にある北魏の吏部尚書司馬金龍墓が作られ、﹁彩絵人物故事漆屏﹂が置かれる。
●485年 - 北魏の馮太后の摂政のもと孝文帝が均田制を実施する。翌年には三長制を実施。
●486年 - ソワソンの戦いで、クロヴィス1世がガリア北部を支配していた西ローマ系軍閥シアグリウスを破る。
●487年 - 高車が柔然の支配から脱してジュンガリアに建国。
●488年 - 東ローマ皇帝ゼノンがエデッサの学院閉鎖を命じ、教師と学生はニシビスへと移動する。
●489年 - イゾンツォの戦いとヴェローナの戦い。
●東ゴート族長テオドリックがオドアケルに勝利しイタリア各地に進出。
490年代[編集]
詳細は「490年代」を参照
●490年 - ラヴェンナ包囲戦︵ - 493年︶。
●491年 - 北魏で山西省大同にある懸空寺が創建される。
●493年 - 東ゴート人の族長テオドリックがオドアケルを暗殺し東ゴート王国を建国。
●都はラヴェンナで、この時期にサンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂やアリウス派洗礼堂を建立する。
●テオドリック王はフランク王クロヴィス1世の娘オードフレダを王妃とし、娘二人を西ゴート王やブルグントに嫁がせる。
●494年 - 北魏の孝文帝が平城︵大同︶から洛陽に遷都。
●洛陽近郊に竜門石窟寺院が建立され、漢化政策が推進される。
●496年
●北魏の孝文帝が太子元恂を廃し、翌年殺害する。
●河南省鄭州市の嵩山少林寺が創建される。
●トルビアックの戦いでフランク王国がアラマンニ族に勝利する。
●サーサーン朝のカワード1世が廃位され、忘却の城に幽閉される。
●498年
●フランク国王クロヴィス1世がランス司教レミギウスのもとカトリックに改宗する。
●この改宗にはブルグント王家出身の王妃クロティルドの勧めもあった。
●この地でのクロヴィス1世の戴冠により、ランス大聖堂は歴代フランス王戴冠の場とされていく。
●ネストリウス派がセレウキア・クテシフォンに独自の総主教を立てる︵アッシリア東方教会︶。
●トルファン地方に麴氏の高昌国が興る。
●499年
●インドのアーリヤバタが円周率の近似値や三角関数に言及した﹃アーリヤバティーヤ﹄を執筆。
500年代[編集]
詳細は「500年代」を参照
●500年前後 - ベイドン山の戦いでブリトン人がアングロ・サクソン人を打ち破ったか。この事件がアーサー王伝説の起源となったか。
●500年 - 倭軍が新羅の長嶺鎮を攻め陥落させる。新羅の炤知王が死去し、智証王が即位。
●500年頃
●ボリビアのチチカカ湖周辺のティワナク文化が最盛期を迎える︵ティワナクIV期前半︶。
●代表的な建築にカラササヤやそれに隣接する半地下神殿、アカパナ、カンタタリータ、プトゥニ他がある。
●コロンビア北部のカリブ海に注ぐシヌー川下流流域でシヌー文化が展開︵ - 800年頃︶。
●近接するコロンビアのマグダレナ川上流の山岳地帯ではサン・アグスティン文化が展開する。
●5世紀後半から6世紀前半
●朝鮮半島南部の前方後円形墳︵長鼓墳︶が作られる。
●現在の大韓民国の全羅北道・全羅南道の栄山江流域に複数が点在するが、倭系か百済系か伽耶系かは結論が出ていない。
●5世紀末から7世紀
●ブリテン島のブルトン人がアルモリカ︵現フランスのブルターニュ地方︶や、ブリトニア︵現スペインのガリシア地方︶に移住する。