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そして弟子の里見五冠は5月27日、棋王戦コナミグループ杯予選決勝で古森悠太五段(26)に勝ち、公式戦の直近成績を10勝4敗としたことで棋士編入試験の受験資格(10勝以上かつ6割5分以上の勝率)を獲得した。 「里見は編入試験を受けるか」――その決断に大きな注目が集まるなか、森九段は「どうも本人は試験を受けない意向のようだ」という棋界関係者の憶測を耳にしたという。 森九段にとって里見は弟子ではあるが、女流のタイトルを獲得するようになってからは「もう将棋のことで教えることは何もない」とあえて距離を置いてきた。しかし人生の岐路に直面した弟子に対し、どうしても伝えたい思いがあった。 「編入試験を受けるかどうかまだ決めていないのであれば、私としては受けて欲しい、チャレンジするべきだという考えをメールで伝えました。その後、すぐに本人から返信がありまして『まだ迷っています。ぎりぎりまで考えて結論を出したい
『師弟 棋士たち 魂の伝承』(光文社)や『将棋世界』の「師弟」の連載、文春オンラインでの棋士インタビューで脚光を浴びたカメラマンの野澤亘伸氏による写真集が発売される。その名も『棋士の瞬き』(マイナビ出版)。 一流の写真家は、被写体の内面まで写し出すのか――。 今回は、『棋士の瞬き』を撮影するなかでとりわけ印象に残った7枚を野澤氏に選んでいただいた(文中の段位・肩書は、いずれも撮影当時のもの)。 ――まずこちらは第5期叡王戦、神奈川県秦野市にある旅館「陣屋」で行われた第8局からです。 野澤 いやあ、このタイトル戦は本当に熱かったですね。永遠に終わらないんじゃないかと思うくらいに。永瀬拓矢叡王(王座)に豊島将之竜王・名人が挑戦したシリーズでした(豊島は名人戦との同時進行で、叡王戦第7局終了後に名人を失冠した)。第1局が千日手指し直しで、第2局、第3局が持将棋になった。200手超えが3局あり、シ
第1部では、「観戦記者のおしごと」「“棋譜コメ”ソムリエ選手権」などの企画が行われた。このレポートでは、木村一基王位、遠山雄亮六段、漫画『将棋めし』の作者である松本渚さんが登壇して大いに盛り上がった、第2部トークショーの模様をお届けしよう。 木村王位は、冒頭で乾杯を促されると「お茶じゃないだろうね」と軽いジャブ。ビールジョッキを片手に、遠山六段と集まったファンの「おめでとう」コールで乾杯した。 まずは木村王位と乾杯 王位獲得後の記者会見で泣いたこと 木村 王位になってこれだけ多くの人の前で話すイベント初めてなんですが、やはり王位戦の最終局のことを思い出しますね。あのときはファンの方が多かったんですよ。終局後の大盤解説会でも、何局も来ていただいた方がたくさんいて、そういった人を見ると泣きそうになるから見ないようにしていたんです。けれども、記者会見のときに泣いちゃって……。その泣いちゃった姿
異色の将棋漫画が注目を集めている。タイトルは『将棋の渡辺くん』(講談社)。著者は、棋士である渡辺明名人の妻・伊奈めぐみさんだ。 渡辺明名人といえば、現在、名人のほか、棋王、王将の3つのタイトルを持つトップ棋士のひとり。理知的で研究家といった印象だが、この漫画で描かれる名人は「ぬいぐるみ好きの虫きらい」など、意外な一面がたくさんある。 連載開始は2013年で、これまで単行本が5冊出ている。将棋界に与えたインパクトも大きく、日本屈指の将棋本を揃えるジュンク堂書店池袋本店の中崎悠人さんは、自身も大ファンだとし「将棋ファンを増やしている作品だと書店の店頭からも感じます。気軽に将棋界の雰囲気や棋士のキャラクターを味わえるので、将棋棚にはかならず揃えておきたい作品ですね。ちなみに販売数は池袋本店だけで、5冊合計で1200冊を超えています」とその人気ぶりを語る。
現役最年少の棋士・伊藤匠四段(19)が、新人王戦で優勝するなど活躍している。さらにABEMAトーナメントでは、「最年少+1」で同い年のチームメイト藤井聡太三冠とともに優勝を果たした。その際にネットで大きな話題となったのが、2人が小学校3年生のときに参加した「第9回小学館学年誌杯争奪全国小学生将棋大会・3年生の部」の上位3人の写真だ。 準優勝は伊藤四段、3位は藤井三冠、そして優勝して真ん中に写るのが川島滉生さん(19)。伊藤四段と同じ「三軒茶屋将棋倶楽部」で腕を磨いてきた幼馴染だ。プロは目指さないと自分で決めたという川島さんに、伊藤四段との激しいライバル争いや「あの写真」の思い出について、なぜ奨励会試験を受けなかったのかを聞いてみた。 川島滉生(かわしま・こうせい)さん。2002年生まれ。神奈川県横浜市出身。私立攻玉社中学高校卒業。2018年、高1で全国高等学校将棋選手権男子個人の部優勝。現
《竜王と地球代表が、日本のど真ん中で対決。》 9月22日の『中日新聞』にこんなコピーが踊った。これは「将棋日本シリーズ」東海大会の広告で、対局するのは広瀬章人竜王と深浦康市九段。つまり「地球代表」というのは、深浦康市九段のことを指している。 なぜ、深浦康市九段が「地球代表」なのか? 少し説明を要するかもしれない。 もともとは、10年ほど前にネット掲示板発の荒唐無稽な洒落から生まれたものであるが、最近では「もし羽生善治と藤井聡太が地球を侵略する『将棋星人』だったならば、地球代表は深浦康市に任せたい」という文脈になっている。いつのまにかファンの間で定着し、今回、新聞広告のコピーにまでなったというわけだ。そこで、今回はちょっとこの洒落にのって、話を進めてみたい。 羽生善治九段といえば「羽生マジック」と呼ばれる妙手の数々。 藤井聡太七段といえば、詰将棋選手権5連覇という圧倒的な終盤力。 このように
史上最年少タイトル挑戦の記録を塗り替えた17歳の藤井聡太七段。藤井の師匠・杉本昌隆八段と一門でいえば“イトコ関係”にあたる“教授”勝又清和七段が、東海の棋士の系譜と師弟の物語に迫る。 ◆◆◆ 藤井聡太の大師匠・板谷進は「弟子の成長を何よりも喜ぶ」 板谷四郎九段(1913-1995)は、40代で引退すると名古屋で板谷将棋教室を開き、中京棋界の発展に尽力し、多くの弟子を育成。私の師匠の石田和雄九段など5人の棋士が誕生した。やがて四郎の次男の板谷進九段(1940-1988)が親であり師匠でもある板谷四郎から引き継いでいく。板谷進は名古屋に将棋会館を建てよう、東海地区にタイトルを持ちかえろうとパワフルに活動した。東海が栄えるためには棋士を増やさなければならないと弟子をとった。内弟子からは小林健二九段が活躍する。小林は18歳の若さで四段に上がると、順位戦も順調に昇級し、20代でB級1組まで昇級した。
次々とタイトルを奪取し、将棋界を席巻する天才・藤井聡太。その師匠である杉本昌隆八段が、瞬く間に頂点に立った弟子との交流と、将棋界のちょっとユーモラスな出来事を綴ったエッセイ集『師匠はつらいよ 藤井聡太のいる日常』(文藝春秋)。 その中の一篇「パソコンショップでの攻防」(2022年5月26日号)を転載する。 (段位・肩書などは、誌面掲載時のものです) ◆ ◆ ◆ パソコンの買い替えを藤井竜王に相談 私たちの仕事道具は将棋盤と駒だが、現代はそれとは別に欠かせないものがある。研究用のパソコンだ。 DL(ディープラーニング)系の将棋ソフトが形勢判断に優れているそうで、従来のものより評価が高い。藤井聡太竜王がそれで研究をしているとのことで、注目度は高いのだ。 起動させるためには高性能パソコンが必要で、これがかなり値が張る。昨年、渡辺明名人が購入されたパソコンは約130万円だとか。 実は私、長年使って
「彼が勝ちに近づいていくうちに、気持ちが落ち込んで…」 目の前のステージでは、自分と同じ15歳の青年がスポットライトを浴びている。2018年2月17日、第11回朝日杯将棋トーナメント決勝。タイトル獲得経験もある広瀬章人八段と向き合うのは、中学3年生の藤井聡太五段だった。 この日、史上初の中学生による全棋士参加棋戦優勝がかかった一戦は、棋界のみならず大きな注目を集めていた。公開対局場となった有楽町朝日ホールは、584席が観客で埋め尽くされ、ABEMA、ニコニコ動画、将棋連盟モバイルでの中継が入っていた。 伊藤は、この対局の2ヶ月前に棋士養成機関である奨励会で三段昇段を決めた。将棋界でプロになれるのは四段からであり、一部の若手棋戦を除いて伊藤にはまだ一般棋戦への出場資格はなかった。 「最高峰の舞台で記録を務めるのは、勉強になる。でも藤井さんの勝つ姿は見たくない。ただ悔しいという気持ちですね。こ
4月27日に開幕する女流王位戦五番勝負。ここに初めてタイトル挑戦者となった山根ことみ女流二段が登場する。近年、里見香奈女流四冠と西山朋佳女流三冠の「二強」に実績のある女流棋士が挑むという構図が多く、「初挑戦」は2018年度女流王位戦の渡部愛女流三段以来となる。 山根女流二段は愛媛県松山市で育った23歳。2020年度には17連勝を記録し、優秀女流棋士賞も受賞した。女流トップクラスと評価されている終盤力は、子ども時代に身に付けたものだ。インタビュー前半では、毎日通ったという松山将棋センターでの日々とアマ大会での活躍について聞いてみた。(全2回の1回目) 山根ことみ(やまね・ことみ)女流二段 愛媛県松山市出身。1998年3月生まれ。2010年、2011年、中学選抜全国大会女子の部優勝。2013年10月、高校1年で女流3級。2019年、勝数規定により女流二段。 東京に出て強い女の子と指すのは負けて
夕食休憩明けの再開後、永瀬拓矢王座は香を成って手を渡す。このシリーズの特徴は、こういう手渡しが多いこと。挑戦者の藤井聡太竜王・名人は本局最長のほぼ1時間を使って、飛車の頭に歩を打ち、飛車の直射を消してから勝負に出た。 銀をぶつけて銀交換し、桂を中央に跳ね出したのだ。香から金を守っていた桂がいなくなり、渡した銀で飛車金両取りの割り打ちもある。捨て身の反撃だ。 だが永瀬はまたも踏み込んだ。銀で割り打ちをして、56手目、25分の考慮で△6六飛と、飛車を角と交換した。そして金を取り、先手の守りの金の上からごつく金を打ったのだ。控室で歓声があがる。この踏み込みも将棋AIは最有力と上げていたが、駒を渡すので怖いだろうと言っていた。だが現実にこの局面になってみると先手が困っている。 端攻めに続いて、永瀬はすごい踏み込みをした。事前の宣言どおり、人間を捨てているのか、恐怖心をなくすことができたのか。 藤井
プロ棋士のことばでわかる、藤井聡太七段の進化ぶり 本稿は「藤井聡太七段 初タイトル獲得か――」というこの契機に、その強さをプロ棋士のことばを借りて表現してみようとするものだが、様々な証言を時系列に並べてみると、その進化ぶりに魅きつけられた。 14歳でデビューしたときから「すごい」と注目を集めてきた藤井だが、その「すごい」がどんどん変わっていることが、ビシビシと伝わってくる。 敢えて例えるならば、映画『シン・ゴジラ』において、ゴジラに対する評価が、その形態が変わるごとにどんどん白熱化していく様に近いだろうか。 では、これから棋士が残したことばによって、藤井聡太の軌跡を少し振り返ってみよう。前編となる今回は、小学2年生から中学の終わりまでに言及したことばをつないでいく。共にその進化のスピードに驚いてもらいたい。 「伸びるタイプの子ども」だった小学2年生 幼少期の藤井聡太を評したことばを探すと、
順位戦とはごく簡単に言うと、すべての女流棋士が順位付けされる形式のことだ。白玲戦では第1期でA~Dのリーグ及び順位を確定し、第2期以降はそれぞれのリーグで戦っていく。 女流棋戦はトーナメント形式が多く、すべて1回戦で負けてしまうと年間10局に届かないという、対局数の少なさが長年懸念されていた。それが2019年度には清麗戦(現・大成建設杯清麗戦)が創設され、今回の白玲戦と合わせると1人当たり10局程の対局数の増加が確定する。 出すだけで真剣度が増す、我が家の6寸盤 ©上田初美 女流トップグループは、この増加によって棋士と遜色ない対局数になる。将棋は見た目以上に体力を使うので、体力の強化は必須項目だ。棋力・体力、両面で今まで以上に鍛えられていくのだろう。私自身も夫の対局数と合わせると年間70~80局程が予想される。2019年度の棋士の対局数ランキング1位が67局なので、育児を含めるとスケジュー
ここぞというところで結果を残してきた戦法 後手番となった羽生が選んだのは、王将リーグを全勝したときの原動力である横歩取りではなく、1手損角換わりだった。しかも本局の8手目角交換タイプは、2019年12月の三枚堂達也七段との朝日オープン戦以来、まる3年ぶりだ。藤井は局後に「想定はしていなかった」と語った。 一方、羽生は「まだ可能性もあるのかなと思ったので。いろんなことを試みる中の一環で、やってみました」と語っている。羽生にとっては60局近くも採用し、タイトル戦の舞台だけでも19局も登板させている。ここぞというところで結果を残してきた戦法だ。経験の差で勝負しようとした。 藤井は1手損対策で最有力とされている早繰り銀を採用。藤井といえば腰掛け銀だが、早繰り銀も永瀬拓矢王座との王位戦挑戦者決定戦と豊島将之九段との竜王戦七番勝負で採用しており、似た形の経験はある。 だが、羽生は秘策を用意していた。3
藤井聡太三冠と伊藤匠四段が並んでいた「第9回小学館学年誌杯争奪全国小学生将棋大会・3年生の部」の写真。その真ん中に写っているのが、現在は早稲田大学将棋部に所属している川島滉生さんだ。 インタビュー後編では、川島さんの将棋との関わり、大学受験と現在のこと、活躍する藤井三冠や伊藤四段への思い、あまりに有名になってしまったあの写真を見て思うことを聞いてみた。 川島滉生(かわしま・こうせい)さん。2002年生まれ。神奈川県横浜市出身。私立攻玉社中学高校卒業。2018年、高1で全国高等学校将棋選手権男子個人の部優勝。現在は早稲田大学法学部1年生。将棋部に所属 ©石川啓次/文藝春秋 2016年9月、史上最年少の14歳2カ月で藤井聡太四段昇段のニュースを聞いて川島さんは、あの大会のことを思い出した。 プロにはならないという選択をした川島さんは、中学受験をして都内の私立中高一貫男子校・攻玉社中学の2年生に
◆ ◆ ◆ 危機感と調子が連動している ――13年いたB1からA級へ。どんな感慨をお持ちですか。 山崎 「やったー」という気持ちはないですね。去年はB1で3勝9敗で、本来ならB2に落ちてしまっているような成績ですから。 ――同じ3勝9敗の棋士が3人いて、いわゆる「頭ハネ」の順位の関係で山崎さんが降級を免れたと。 山崎 そうです。しかも3勝したうちのひとつは相手が五手詰めを見逃していたからで、実質負けです。昨年度は中盤くらいから完敗するような将棋が続いて、はっきり力が足りないと思う内容でした。 ――それが今期は初戦から5連勝で、最終局を待たずに昇級を決めました。復調のきっかけはなんですか。 山崎 私は危機感と調子が連動しているところがあります。今期は降級の可能性が高かったので、1局目からかなり集中して臨めました。それが降級の可能性がなくなったとたん、知らず知らずに負け始めまして……。 11月
昨年の1年間で、YouTubeを用いて将棋動画を配信する棋士が大きく増えた。その一人が「将棋放浪記」の配信者、藤森哲也五段である。以前から執筆した書籍や大盤解説における独自のトーンが人気を博しているが、「藤森節」を生んだ源流はどこにあるのだろうか。 小さい頃はTVゲーム好き ――藤森五段はお父さんがアマ強豪(アマチュア名人戦準優勝2回の保さん)で、お母さんが女流棋士(奈津子女流四段)という将棋一家の出身ですが、ご自身が将棋を始めたきっかけはどのようなものだったのでしょうか。 藤森 両親は最初から将棋をやって欲しかったようですが、小さい頃の僕はTVゲームが好きで、将棋はほとんどやっていなかったですね。確か、スーパーファミコンの「風林火山」というソフトで将棋を覚えたはずです。こちらは初心者だから当時のソフトにもまったく勝てない。でも母にやってもらうと、あっさり勝った。 ――そりゃ、勝ちますよね
ようこそ、「評価値ディストピア」の世界へ。将棋ソフトが局面を数値化して形勢を示す「評価値」、そして「暗黒世界(ディストピア)」を掛け合わせた言葉は、2020月7月のニコニコ生放送で佐藤天彦九段が発したものだ。これはソフトによる研究が過熱した結果、盤上が息苦しくなったことを意味する。将棋の戦術が先の先まで突き詰められるようになった結果、事前準備や序盤が緻密になり、棋士は戦う前に神経をすり減らすようになった。 同放送で、佐藤天彦九段は身振り手振りを交えて力説した。スナイパーに赤外線レーザーで常に狙われている。そこに触れようものなら相手の研究にハマり、ノーチャンスで負けてしまう。だから匍匐前進で慎重に慎重に、指していかなければいけないのだと。 将棋の進化は情報革命と密接に結びついている。データベースは定跡の整備を促し、ネット将棋で時間と場所を選ばずに練習できるようになった。そして、圧倒的な実力を
最近、年中の長女が「おもいだしてごぉーらんー」と、聴き馴染みのあるフレーズを歌っている。今月卒園する年長さんに歌のプレゼントをするそうだ。そういえば道端には、微かに沈丁花の香りが漂っている。私にとって、沈丁花は別れ、桜は出会いの花である。今年も節目の時期がやってきたのだ。 将棋界も3月が節目の月になる 将棋界は小学生の頃に将棋道場で出会った友人と、何十年の付き合いになることも少なくない。「別れ」を体験する機会が、他の業界より少ないだろう。その分、私は「別れ」というものに耐性がなく、来年迎える予定の長女の卒園式に、果たして何枚のハンカチを持っていけばいいのか想像も出来ない。 それにしても私が子どもの頃にも歌った歌が今でも歌われているなんて、歌って不思議なものだな、と思いながら、絶妙な音程の長女の歌を聴くのであった。 将棋界も年度締めなので、3月が節目の月になる。 今年度の私の目標は「通算30
観る将にとっては絶好の引きこもりイベント 第5局は4連休の初日、7月23日(木、祝)に千駄ヶ谷の将棋会館で行われた。もともとこの4連休は東京オリンピックを想定して設定されたものだ。7月24日が開会式予定日だったため、「体育の日」(10月の第2月曜日)を「スポーツの日」と改称して移動。いくつかの五輪イベントの予選が開会式の前に7月23日からスタートするのに合わせて、海の日を7月20日から7月23日にスライドさせた。 コロナ禍で海水浴場もほぼ閉鎖され、オリンピックも延期になって、4連休だけが残ってしまったのはなんとも寂しいが、将棋ファンにとっては願ってもない連休だ。本局が連休の開幕日に、連休2日目には藤井聡太棋聖の竜王戦本戦、連休3日目にはAbemaTVトーナメントと、観る将にとっては絶好の引きこもりイベントが続いている。 本局の観戦記を書くに当たって、あいにくの雨だったためタクシーでの移動も
「途中から駒の数は数えていました。何度も持将棋を打診しようとは思いましたが、長谷部さんのほうが駒数が多いので、待っていました。△1七香を打たれて、一度記録係に時間を止めてもらい打診すると、お互いの合意で持将棋になりました。改めて振り返り、客観的にみると、相当に珍しい形ですよね」(阿部六段) 「途中の展開としては、こちらが入玉できるかどうか怪しく、まずは入玉を確定させようとしていました(長谷部玉が入玉したのは202手目)。もちろん24点法なのはわかっていましたが、先輩の阿部さんが(持将棋成立を)言い出さなかったので『棋戦によっては27点法があったかな』と疑心暗鬼になってしまいました。後日に別の先輩から『駒が多いほうからいうものだよ』と教えてもらいました。普段の将棋と異なり点数を取りに行くのは、見ている側なら面白いですが、実際に指すのは大変です。持将棋模様の指し方を練習はしませんからね(笑)」
「より対局が楽しみになった」 記事を読んだ人からのこんなコメントには、ライターである私も編集部も今まであまり例のない「対局前インタビュー」に、大きな手応えを感じることができた。そして、対局後の話も聞いてみたいと思うようになった。 「今までにないほどした」という勉強は、実際の対局で活かされたのか? 一度も話したことがないという藤井聡太と盤を挟んでみて、どういった印象を受けたのか? そして事前インタビューで「いいスーツを着ていく」と言っていたのに、なぜスーツを着ていなかったのか? あの対局からちょうど1週間経った夜に、高野秀行六段に話を聞いてみた。藤井聡太七段との対局を終えた後日談インタビューである。 ◆ ◆ ◆ 実は私、前科がありまして…… ――いろいろ質問したいことはあるんですが、まずスーツのことを聞いていいですか? スーツじゃなかったですよね(笑)。 高野 あの事前インタビューの少し前に
将棋界における師匠と弟子の関係性が注目を集めている。スポットライトが当たったのは、のちに将棋ペンクラブ大賞(文芸部門)を受賞した『師弟~棋士たち 魂の伝承~』(野澤亘伸著/光文社)の存在が大きかっただろうか。 現在、ABEMA将棋チャンネルでは「第1回ABEMA師弟トーナメント」が放送されている。そこで、同トーナメントにも出場している森下卓九段と増田康宏六段について、『師弟』から一部を抜粋して紹介する。 6歳の天才との衝撃の出会い 2007年、10月も中旬だというのに、季節外れの台風が朝から激しい雨を降らせていた。その日、棋士・森下卓は、東京・八王子市の将棋クラブを訪れる約束があった。昼前に道場の席主・八木下征男からは、「天候が悪いので日を改めましょうか」と連絡があったが、森下は予定通り夕刻に訪ねることを伝えた。 この数日前に森下の許に、八木下から手紙が送られてきていた。封の中には、八木下
皆様、新年明けましておめでとうございます。 昨年から始まったこの連載、将棋に興味がある方のみならず、たくさんの方に読んでいただきとても嬉しく思っております。今年も女流棋士として、2人の子どもの親としての思いを文章にのせていきますので、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。 プレーヤーとしての寿命が長い将棋 新年を迎えると1年の目標を立てる人も多いだろう。 将棋界の年間成績は年度区切りのため、棋士や女流棋士は「〇〇のタイトルを獲得する」や「1年で〇〇勝する」などの具体的な目標というよりは、「昨年より強くなる」とか「今年は普及に力を入れたい」など、年の始まりに大まかな方針を自分の中に改めて設定する人が多い印象がある。 将棋はスポーツとは違い、身体能力に大きく左右されないため、プレーヤーとしての寿命が長い(最長の現役年数記録は加藤一二三九段が持つ約63年)。それにより身体的ハンデがあってもそれ
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