![売上2兆円、ドン・キホーテ創業者が「日本経済を決定的にダメにした」と断言する“A級戦犯”とは? | 大企業の光と影 | 文春オンライン](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/f469ff13ab35fc3fe86d7b9f52a73a4cc3fb7ba2/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fbunshun.jp%2Fmwimgs%2F8%2F4%2F1200wm%2Fimg_8440622ff5435ab5610cd597c37d3e79385745.jpg)
塚原さん ©文藝春秋 ◆ 20年以上連絡を絶ってきた実の父親(73)からだった。なぜ今の住所がわかったのか。混乱、恐怖、怒り……体の震えが止まらなくなった。 翌年1月、たえは体調の落ち着いた日を選んで、便箋にあった番号へ電話をかけた。相続放棄の意向を伝えるため、そして弟の和寛(仮名)のことで重大な報告があった。 電話口で、たえは声に動揺を出さないようにしながら伝えた。 「和寛は、自殺したよ」 父親は、息子の死にまったくうろたえず、あっさり言った。 「和寛は死んでも構わないけど、たえちゃんが死ぬのは嫌だよ」 この電話からおよそ2年が経つ今、たえは振り返って目を赤くする。 父親からの手紙 ©文藝春秋 「和寛は死んでも構わない、という一言で、これまで隠してきた性虐待を明るみに出そうという気持ちに火がつきました。父親にとって、子どもたちはあくまで性の道具でしかない。あんたのせいで死んだんだよと……
11月15日、創価学会の池田大作名誉会長が東京都内の自宅で老衰のため死去した。95歳だった。日本最大規模の宗教団体を長年率い、1964年に公明党を創設してからは政界でも大きな影響力を発揮してきた。 宗教団体のありかたが問われた2023年、池田氏の死は今後にどんな影響を及ぼすのか。2010年に「週刊文春」に掲載された記事を期間限定で再公開する。 (初出:「週刊文春」2010年12月2日号/年齢・肩書等は公開当時のまま) ▼▼▼ 半年振りに近況が報じられた池田大作氏(82)だが、健康状態を危ぶむ声は尽きない。今では“王朝”の奥深く隠れ、幹部ですら会うことがままならない。かつて若い魅力的な宗教指導者として社会に登場した池田氏は、どこから、なぜ変わったのか。 今から47年前の『週刊文春』(昭和38年2月25日号)に、「折伏(しやくぶく)に生きる若き指導者・池田大作」と題したこんな記事がある。創価学
唯一の目撃証言は4年前 “最初の事件”は2019年7月16日午前4時、世界自然遺産・釧路湿原の北に位置する標茶町オソツベツ地区の牧場で発覚した。牧場関係者が放牧中の牛1頭の姿が見えないことに気付き、捜索したところ、森の中で無惨な姿で殺されている牛の死骸を発見したのである。その関係者が思わず声をあげると、20メートルほど離れた藪の中から1頭のクマが飛び出し、逃げていった。後々まで、これがこのヒグマに関する唯一の目撃証言となる。 写真はイメージ ©iStock.com 以来、8月5日に8頭、8月6日に4頭、8月11日に5頭……といった調子で連日牛が襲われるようになり、その被害は2ヵ月で実に28頭に及び、現場に残された体毛のDNAにより「同一犯」によるものと推測された。この頃になると、最初の事件が起きた地区の名前「オソツベツ」と、現場に残された足跡の幅が「18センチ」とされたことから、このヒグマ
段ボール一箱に満たない所持品 2019年9月4日、午前8時50分頃。 仮釈放された男が、熊本刑務所の正面玄関から刑務官数人と一緒に出てきた。男は車の後部座席に乗り込む。刑務所と福祉施設を仲介する支援団体が用意した車だった。 乗り込む直前、刑務官がなにやら男に声をかけているようにみえた。「元気でな」「頑張れよ」。そんな言葉をかけているのだろうか。刑務所の敷地外にいる私(木村記者)のところまで会話の内容は聞こえてこないが、刑務官の表情は、穏やかな笑顔だった。 一体、男はどんな人物なのだろうか。61年ぶりの外の景色を車内からどう眺めているのだろうか。支援団体が走らせる車を後ろから追いかけながら、私と元浦ディレクターは妄想を膨らませていた。 刑務所を出た支援団体の車は、保護観察所、熊本市役所を経由。道中、食堂での昼食を挟んで、午後には受け入れ施設へと到着した。先述の通りこの施設は、一般的な老人ホー
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