門跡

門跡寺院の住職を務める皇族・公家

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沿革


[1]



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門跡寺院

門跡

宮門跡(親王門跡)


133615108
  • 輪王寺
  • 妙法院
  • 聖護院
  • 照高院
  • 青蓮院
  • 三千院
  • 曼殊院
  • 毘沙門堂
  • 円満院
  • 仁和寺
  • 大覚寺
  • 勧修寺
  • 知恩院

摂家門跡

摂家の子弟が住職となる。個々の門跡寺院に固有の称号ではなく、その時々の住持の出身を指す。室町時代頃から用いられるようになった。

准門跡

門跡に準ずる格式の寺院のこと。または、他の門跡寺に対して従の関係にある門跡寺のこと。脇門跡ともいう。

天台宗五門跡(京都五箇室門跡)

  • 青蓮院
  • 三千院
  • 毘沙門堂
  • 曼殊院
  • 妙法院

醍醐寺五門跡

  • 三宝院
  • 報恩院
  • 金剛王院
  • 理性院
  • 無量寿院

五門跡

浄土真宗で門跡に准ぜられた五寺の総称。五門徒ともいう。江戸時代中期、文化11年(1814年)に真宗木辺派本山錦織寺が、それまでの浄土宗から浄土真宗に復帰し、准門跡に加えられた。

これら6家は明治5年3月にいずれも華族となった[3]。明治29年6月9日、両本願寺の大谷家が伯爵、佛光寺の渋谷家・専修寺の常磐井家・興正寺の華園家・錦織寺の木辺家がそれぞれ男爵に叙せられている。

尼門跡

皇女や貴族の息女が住職となる寺院。正式には比丘尼御所と称した。「尼門跡」は明治以降の名称である。

御里房


便

脚注

  1. ^ 和田英松所功校訂『官職要解』 講談社学術文庫 ISBN 978-4061586215、376p
  2. ^ 高埜利彦『近世の朝廷と宗教』吉川弘文館、2014年、P129-130・135-139
  3. ^ 浅見雅男 『華族誕生 名誉と体面の明治中公文庫 ISBN 978-4122035423、68p

関連項目