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「エンタシス」の版間の差分

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[[File:The_Parthenon_in_Athens.jpg|thumb|220px|エンタシスの柱([[パルテノン神殿]])]]

[[File:The_Parthenon_in_Athens.jpg|thumb|220px|エンタシスの柱([[パルテノン神殿]])]]

'''エンタシス'''(entasis)は、[[建築]]において[[円柱]]下部から上部にかけて徐々に細くした形状の柱。


''''''(entasis)[[]][[]][[]][[]][[]]使


== 概要 ==

== 概要 ==

「エンタシス」の語はローマの建築史家[[ウィトルウィウス]]が用いたのが最初であり、「引っ張る」「きつく伸ばす」などの意味を持つギリシャ語「εντείνω (enteino)」に由来する。 エンタシスを施した柱を下から見上げると、真っ直ぐに安定して見える[[錯覚]]を生むため、巨大建築物の柱に用いることが多い

「エンタシス」の語は[[ローマ]][[建築史]]家[[ウィトルウィウス]]が用いたのが最初であり、「引っ張る」「きつく伸ばす」などの意味を持つギリシャ語「εντείνω (enteino)」に由来する。



[[]]殿[[]][[]]1/3



[[]][[殿]][[]][[]][[]][[]]1/3

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ファイル:Parthenon from south.jpg |[[パルテノン神殿]](ギリシャ)

ファイル:Parthenon from south.jpg |[[パルテノン神殿]]([[ギリシャ]]

ファイル:Paestum BW 2013-05-17 13-21-10.jpg|[[ネプトゥヌス神殿]](ギリシャ)

ファイル:Paestum BW 2013-05-17 13-21-10.jpg|[[ネプトゥヌス神殿]](ギリシャ)

ファイル:防波堤ドーム-01.JPG |稚内港[[北防波堤ドーム]](北海道稚内市)

ファイル:防波堤ドーム-01.JPG |稚内港[[北防波堤ドーム]]([[北海道]][[稚内市]]

File:Bảo_tàng_Thành_phố_Hồ_Chí_Minh_1.jpg |[[ホーチミン市美術館]](ベトナム)

File:Bảo_tàng_Thành_phố_Hồ_Chí_Minh_1.jpg |[[ホーチミン市美術館]]([[ベトナム]]

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== 胴張り ==

== 胴張り ==

東アジアの歴史的建築にみられる柱のふくらみを、「胴張り」または「徳利柱」と呼ぶ。柱の下から1/3の所が最も太くなるタイプのエンタシスである。

東アジアの歴史的建築にみられる柱のふくらみを、[[日本]]では「胴張り」または「徳利柱」と呼ぶ。柱の下から1/3の所が最も太くなるタイプのエンタシスである。




[[]][[]][[]][[]]<ref>[[ ()|]]p.31</ref>

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[[鎌倉時代]]に中国から[[大仏様]]と[[禅宗様]]が日本に伝えられ、柱の上を細くするエンタシスの曲線を持つ柱が流行したこれは「エンタシス」や「胴張り」とは呼ばず「粽(ちまき)」と言う。

[[鎌倉時代]]に中国から[[大仏様|大仏様(だいぶつよう)]]と[[禅宗様]]が日本に伝えられ、柱の上下端を細くしたエンタシス類似の曲線を持つ柱が流行したが、これは「エンタシス」や「胴張り」とは呼ばず「粽(ちまきがた)」と言う。




[[]][[]]寿殿18[[]]51湿15調

[[]][[]][[]]寿殿18[[]]51[[]][[]][[]]湿[[ ()|]][[15]][[|]][[調]]



[[ (西) |]]殿使1/3entasisentasis

[[ (西) |]]殿使1/3entasisentasis[[]]


中国は法隆寺にあるようなタイプの胴張りは残っておらず、早い時期に廃れてしまったようだ

中国は法隆寺にあるようなタイプの胴張りは残っておらず、早い時期に廃れてしまったと見られる



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== 「法隆寺の胴張りの起源は古代ギリシャのエンタシス」説 ==

== 「法隆寺の胴張りの起源は古代ギリシャのエンタシス」説 ==

1893年(日本の明治時代)、帝国大学(現在の東大)院生の[[伊東忠太]]が、法隆寺の胴張りの起源が古代ギリシャにあるとする論文(学位論文)「法隆寺建築論」を発表した。この説は[[和辻哲郎]]が昭和時代に発表したエッセイ『[[古寺巡礼]]』によって特に有名となった。

1893年(日本の明治時代)、[[帝国大学]](現在の東大)院生の[[伊東忠太]]が、法隆寺の胴張りの起源が古代ギリシャにあるとする論文(学位論文)「法隆寺建築論」を発表した。この説は[[和辻哲郎]]が昭和時代に発表したエッセイ『[[古寺巡礼]]』によって特に有名となった。




[[]]<ref>×   p.13</ref>西

[[]]<ref>×   p.13</ref>西
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なお、伊東忠太はこの説を証明するため、中国からインド・トルコなどを経てギリシャまで3年がかりで徒歩で旅行したが、日本とギリシャ以外のどこにもエンタシスの柱を見つけることはできず、結局この説を証明することは出来なかった。

なお、伊東忠太はこの説を証明するため、中国からインド・トルコなどを経てギリシャまで3年がかりで徒歩で旅行したが、日本とギリシャ以外のどこにもエンタシスの柱を見つけることはできず、結局この説を証明することは出来なかった。




[[]]<ref>[[]] 貿 p.202</ref>

[[|]][[]]<ref>[[]] 貿 p.202</ref>


== 参照 ==

== 参照 ==

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[[カテゴリ:建築構造]]

[[カテゴリ:建築構造]]

[[カテゴリ:古代ギリシアの建築]]

[[カテゴリ:古代ギリシアの建築]]


== 外部リンク ==

*{{Youtube|KQkXL2jxASU|The ArchitecturalOrders "Entasis of Column's Shaft"}} 各種エンタシスを図面で紹介(英語動画)


2019年10月9日 (水) 18:25時点における版

エンタシスの柱(パルテノン神殿

(entasis)使


εντείνω (enteino)

殿1/3

胴張り


1/3

[1]



寿殿1851湿15調

殿使1/3entasisentasis


「法隆寺の胴張りの起源は古代ギリシャのエンタシス」説


1893

[2]西

3

[3]

参照

  1. ^ 近藤豊『古建築の細部意匠』大河出版、p.31
  2. ^ 『藤森照信×山口晃 日本建築集中講義』 淡交社 p.13
  3. ^ 前田正明『ギリシアの美術さ・え・ら』 「法隆寺のエンタシス論争再考」日貿出版社 p.202

外部リンク