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「エンタシス」の版間の差分

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なお、伊東忠太はこの説を証明するため、中国からインド・トルコなどを経てギリシャまで3年がかりで徒歩で旅行したが、日本とギリシャ以外のどこにもエンタシスの柱を見つけることはできず、結局この説を証明することは出来なかった。

なお、伊東忠太はこの説を証明するため、中国からインド・トルコなどを経てギリシャまで3年がかりで徒歩で旅行したが、日本とギリシャ以外のどこにもエンタシスの柱を見つけることはできず、結局この説を証明することは出来なかった。




[[|]][[]]<ref>[[]] 貿 p.202</ref>

また、[[ギリシア美術|ギリシャ美術史]]研究家の[[前田正明]]も、ギリシャ建築様式とその周辺諸国への伝播の経緯から考察し、「たとえそこにエンタシスが

られるからといってこの法隆寺の中門、金堂内陣などの柱をドリス様式の影響と観るのは誤りである。」と否定している<ref>[[前田正明]]『ギリシアの美術さ・え・ら』 「法隆寺のエンタシス論争再考」日貿出版社 p.202</ref>。



== 参照 ==

== 参照 ==


2019年10月10日 (木) 00:00時点における版

エンタシスの柱(パルテノン神殿

(entasis)使


εντείνω (enteino)

殿1/3

胴張り


1/3

[1]



寿殿1851湿15調

殿使1/3entasisentasis


「法隆寺の胴張りの起源は古代ギリシャのエンタシス」説


1893

[2]西

3



[3]

参照

  1. ^ 近藤豊『古建築の細部意匠』大河出版、p.31
  2. ^ 『藤森照信×山口晃 日本建築集中講義』 淡交社 p.13
  3. ^ 前田正明『ギリシアの美術さ・え・ら』 「法隆寺のエンタシス論争再考」日貿出版社 p.202

外部リンク