「オーエンス (競走馬)」の版間の差分
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'''オーエンス'''とは[[日本]]の[[競走馬]]である。第21回[[天皇賞・春]]勝ち馬。 |
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その後は2着6回、3着3回と、戦績そのものは悪くはなかったが、なかなか勝ちきれなかった。しかし、[[1950年]]5月23日の特ハン︵京都︶で、14戦ぶりに勝利。その後1戦を挟んで、6月4日の[[ |
その後は2着6回、3着3回と、戦績そのものは悪くはなかったが、なかなか勝ちきれなかった。しかし、[[1950年]]5月23日の特ハン︵京都︶で、14戦ぶりに勝利。その後1戦を挟んで、6月4日の[[天皇賞︵春︶|天皇賞]]︵京都︶へと駒を進めた。同レースでは9頭中、ブービー人気の8番人気でしかなかったが、1番人気のナスノタケに3馬身の差をつける圧勝を演じた。その後、同年シーズンにおいて、9月24日のオープン︵阪神︶、10月8日の優勝︵阪神︶、10月15日のオープン︵京都︶を勝利。しかしその後は60kgを超える重ハンデを背負うレースばかり続いたこともあってか、勝ちきれないレースが続いた。
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*母の半妹に1947年[[中山記念]]勝ち馬の[[ヤマトナデシコ (競走馬)|ヤマトナデシコ]]がいる。 |
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*従兄弟に1951年[[天皇賞(秋)]]勝ち馬の[[ハタカゼ]]がいる。 |
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*祖母オーグメント(競走馬名[[アスベル (競走馬)|アスベル]])は、共に[[天皇賞]]の前身である[[帝室御賞典]]と[[優勝内国産馬連合競走]]の勝ち馬。 |
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*4代母[[アストニシメント]]は[[小岩井農場の基礎輸入牝馬]]の一頭。 |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
2022年11月4日 (金) 14:32時点における最新版
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オーエンス | |
---|---|
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 黒鹿毛 |
生誕 | 1946年 |
死没 | 不明(1964年廃用) |
父 | セントライト |
母 | 第弐オーグメント |
母の父 | シアンモア |
生国 |
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生産者 | 小岩井農場 |
馬主 | 桶谷辰造 |
調教師 | 松田由太郎(京都) |
競走成績 | |
生涯成績 | 60戦13勝(国営競馬のみ) |
来歴[編集]
初勝利は2戦目となる、1948年11月7日のA3歳︵京都競馬場、以下京都︶。1949年[編集]
その後しばらく勝ち星から遠ざかったが、1949年10月23日の20万円下︵京都︶で2勝目を挙げ、同年11月3日の菊花賞︵京都︶に出走したが、6頭立ての最下位に終った。その後、11月27日の20万円下︵京都︶と、12月4日の30万円下︵阪神競馬場、以下阪神︶を連勝し、オープン馬となる。1950年[編集]
その後は2着6回、3着3回と、戦績そのものは悪くはなかったが、なかなか勝ちきれなかった。しかし、1950年5月23日の特ハン︵京都︶で、14戦ぶりに勝利。その後1戦を挟んで、6月4日の天皇賞︵京都︶へと駒を進めた。同レースでは9頭中、ブービー人気の8番人気でしかなかったが、1番人気のナスノタケに3馬身の差をつける圧勝を演じた。その後、同年シーズンにおいて、9月24日のオープン︵阪神︶、10月8日の優勝︵阪神︶、10月15日のオープン︵京都︶を勝利。しかしその後は60kgを超える重ハンデを背負うレースばかり続いたこともあってか、勝ちきれないレースが続いた。1951年[編集]
1951年、4月1日の特ハン︵阪神︶において、後に第23回の天皇賞︵春の天皇賞︶を制することになる、タカクラヤマを首差退け、10戦ぶりに勝利するや、続く4月15日の阪神記念︵阪神。当時はオープン特別扱い︶では、前年の菊花賞馬であるハイレコードを半馬身差下し、芝2600m、2分44秒3のレコード勝ち。さらに4月29日の勝入︵京都︶を勝ち3連勝。そして5月13日の京都記念︵京都︶では、同年の春の天皇賞を制したばかりのタカクラヤマとのマッチレースを頭差制し、芝2400m、2分30秒0のレコード勝ちを収め、4連勝を果たした。しかしその後は重ハンデに苦しみ、1勝も挙げることなく、10月14日のチャレンジカップ︵阪神。5着︶を最後に、国営競馬の登録から抹消された。地方競馬時代[編集]
しかし当時、日本では深刻な馬資源不足状態が続いていたことから、その後地方競馬へと転じた。当時の地方競馬は、競走成績資料が散逸しているため、詳細な戦績は残っていないが、﹃廃競馬場巡礼﹄︵東邦出版︶[1]という本によると、当時春木競馬場で実況を担当していた[2]吉田勝彦の証言をもとに、同競馬場の障害レースに出走していたという記述がなされている[3]他、下関競馬場でも出走歴があるという。また競走馬生活を終えると1958年から宮崎で種牡馬に転じたが、1965年の小倉記念2着のヒウガチエリーが代表産駒。他に公営・佐賀重賞勝ち馬が複数いる。血統表[編集]
オーエンスの血統(オーム系/Rock Sand 4×5=9.38%(父内)、Orby 4×5=9.38%、Donovan 5×5=6.25%) | (血統表の出典) | |||
父 セントライト 1938 黒鹿毛 |
父の父 *ダイオライトDiolite 1927 黒鹿毛 |
Diophon | Grand Parade | |
Donnetta | ||||
Needle Rock | Rock Sand | |||
Needlepoint | ||||
父の母 *フリッパンシーFlippancy 1924 黒鹿毛 |
Flamboyant | Tracery | ||
Simonath | ||||
Slip | Robert Le Diable | |||
Snip | ||||
母 第弐オーグメント 1931 黒鹿毛 |
*シアンモア Shian Mor 1924 黒鹿毛 |
Buchan | Sunstar | |
Hamoaze | ||||
Orlass | Orby | |||
Simon Lass | ||||
母の母 オーグメント1923 黒鹿毛 |
*ガロン | Gallinule | ||
Flair | ||||
第二アストニシメント | *インタグリオー | |||
*アストニシメント F-No.7-c |