ミシェル・セルヴェ
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ミシェル・セルヴェ︵Michel Servet 1511年9月29日 - 1553年10月27日︶は、宗教改革期の人文主義者、医師、神学者。
三位一体説を批判したため、カトリック・プロテスタントの双方から異端とされ、逃亡中に立ち寄ったジュネーヴでカルヴァンの手の者によって告発され、ジュネーブ市議会によって火刑に処せられた。セルヴェはフランス語の名で、スペイン語ではミゲル・セルベート︵Miguel Serveto︶、ラテン語ではミカエル・セルウェトゥス︵Michael Servetus︶。
経歴
フランス国境に近いスペインのナバラ生まれ。トゥルーズに出て法律を学び、パリにて、彼をして﹁解剖においてアンドレアス・ヴェサリウスの最も有能な助手﹂と言わしめたジャン・フェルネルらの下で医学を学んだ。イタリア、ドイツなど各地に行き、その中で宗教改革の思想にふれ、カトリックの教義に疑問を持つようになった。古代ギリシアを研究し、プトレマイオスの地理学やギリシア医学に関する著作を刊行した。また血液循環説を唱えた先駆者でもある。 ジュネーヴのジャン・カルヴァンと親交があり、手紙で自説についての意見を聞くなどしていたが、カルヴァンの著作を批判したため、怒りを買っていた。事実カルヴァンは、彼がジュネーブに来て、私に少しでも力があれば生きてこの町を出すことはしないと周囲に語っていた。 1553年、三位一体説を批判する著作をヴィエンヌで出版。匿名だったが、セルヴェが書いたことが明らかになり、カトリック側によって投獄された。まもなく脱獄し、欠席裁判で有罪の判決が下った。各地を転々とした後、ジュネーヴに身を寄せたところをカルヴァンの手の者によって発見されて捕らえられ、告発されて、ジュネーブ市当局によって生きたまま火刑に処せられた。43歳だった。外部リンク
ミシェル・セルヴェ研究参考文献
- 渡辺一夫「フランス・ルネサンスの人々」