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'''モーリス・マリー・エミール・ルブラン'''({{lang-fr|Maurice Marie Émile Leblanc}}, [[1864年]][[12月11日]]<ref>出生証明書に次のように記載されている。「1864年12月12日午後3時、モーリス・マリー・エミール・ルブランの出生証明。性別男。昨日午前4時に出生。」なお、[[11月11日]]とする資料もある。</ref> - [[1941年]][[11月6日]])は、[[フランス]]の[[小説家]]。[[ギュスターヴ・フローベール|フローベール]]や[[ギ・ド・モーパッサン|モーパッサン]]らに[[影響]]され小説家を志望する。他に影響を受けた作家には、[[オノレ・ド・バルザック]]、[[ジェイムズ・フェニモア・クーパー]]、[[アルフレッド・アソラン]]、[[エミール・ガボリオ]]、そして[[エドガー・アラン・ポー]]を挙げている<ref>ルブラン「アルセーヌ・リュパンとは何者か?」(『ル・プティ・ヴァール』紙 1933年11月11日)坂田雪子訳(『[[リュパン、最後の恋]]』東京創元社 2013年)</ref>。

'''モーリス・マリー・エミール・ルブラン'''({{lang-fr|Maurice Marie Émile Leblanc}}[[1864年]][[12月11日]]<ref>出生証明書に次のように記載されている。「1864年12月12日午後3時、モーリス・マリー・エミール・ルブランの出生証明。性別男。昨日午前4時に出生。」なお、[[11月11日]]とする資料もある。</ref> - [[1941年]][[11月6日]])は、[[フランス]]の[[小説家]]。[[ギュスターヴ・フローベール|フローベール]]や[[ギ・ド・モーパッサン|モーパッサン]]らに[[影響]]され小説家を志望する。他に影響を受けた作家には、[[オノレ・ド・バルザック]]、[[ジェイムズ・フェニモア・クーパー]]、[[アルフレッド・アソラン]]、[[エミール・ガボリオ]]、そして[[エドガー・アラン・ポー]]を挙げている<ref>ルブラン「アルセーヌ・リュパンとは何者か?」(『ル・プティ・ヴァール』紙 1933年11月11日)坂田雪子訳(『[[リュパン、最後の恋]]』東京創元社 2013年)</ref>。



怪盗紳士「'''[[アルセーヌ・ルパン]]'''」の生みの親である。ルブランの「ルパン」は、しばしば[[イギリス]]の作家[[アーサー・コナン・ドイル]]の生んだ「[[シャーロック・ホームズ]]」と対比される。ライバル作家は[[オペラ座の怪人]]や、事件記者探偵ルールタビーユシリーズの原作者の[[ガストン・ルルー]]だった。

怪盗紳士「'''[[アルセーヌ・ルパン]]'''」などの優れた作品の生みの親である。ルブランの「ルパン」は、しばしば[[イギリス]]の作家[[アーサー・コナン・ドイル]]の生んだ「[[シャーロック・ホームズ]]」と対比される。ライバル作家は[[オペラ座の怪人]]や、事件記者探偵ルールタビーユシリーズの原作者の[[ガストン・ルルー]]だった。



== 生涯・人物 ==

== 生涯・人物 ==

=== 生い立ち ===

=== 生い立ち ===

[[フランス]]・[[ノルマンディー]]の地方都市[[ルーアン]]市内[[フォントネル]]通り2番地で第二子(長子は年子で長女のジョアンヌ)として生まれる。父エミール・ルブランは海運と[[石炭]][[卸売]]とを主業とする[[ブルジョア階級]]の[[実業家]]だった。[[分娩]]に立ち会ったのは、ルブラン家のかかりつけの[[医師]]で、[[ギュスターヴ・フローベール|フローベール]]の兄、アシル・フローベールだった(後にパリの文壇でモーリス・ルブランがこの事実を自慢することになる<ref>Derouard, Jacques. ''Maurice Leblanc –Arsène Lupin malgré lui–''. Séguier, 1993. フローベール家とは遠い親戚でもある。これは母方の大伯母ゼリー・トルカZélie Torcatが、フローベール兄弟の父、アシル=クレオファス・フローベールと従兄弟関係にある、アマン=アドルフ・カンブルメAmand-Adolphe Cambremerと結婚しているから。</ref>)。

[[フランス]]・[[ノルマンディー]]の地方都市[[ルーアン]]市内[[フォントネル]]通り2番地で第二子(長子は年子で長女のジョアンヌ)として生まれる。父エミール・ルブランは海運と[[石炭]][[卸売]]とを主業とする[[ブルジョア階級]]の[[実業家]]だった。[[分娩]]に立ち会ったのは、ルブラン家のかかりつけの[[医師]]で、[[ギュスターヴ・フローベール|フローベール]]の兄、アシル・フローベールだった(後にパリの[[文壇]]でモーリス・ルブランがこの事実を自慢することになる<ref>Derouard, Jacques. ''Maurice Leblanc –Arsène Lupin malgré lui–''. Séguier, 1993. フローベール家とは遠い親戚でもある。これは母方の大伯母ゼリー・トルカZélie Torcatが、フローベール兄弟の父、アシル=クレオファス・フローベールと従兄弟関係にある、アマン=アドルフ・カンブルメAmand-Adolphe Cambremerと結婚しているから。</ref>)。



[[1870年]]12月、[[普仏戦争]]のため[[スコットランド]]に疎開するものの翌[[1871年]]7月までに(当時まだ[[プロシア]]の占領下にあった)[[ルーアン]]へと呼び戻されている<ref>「いやいやながら ルパンを生み出した作家 モーリス・ルブラン伝」 [[ジャック・ドゥルワール]]著 [[小林佐江子]]・[[相磯佳正]]訳 [[2019年]]9月24日初版発行 [[国書刊行会]] P14-15</ref>。[[1873年]]10月より[[ジャンヌ・ダルク]]大通りのガストン・パトリ寄宿学校で[[初等教育]]を受けた後、同校に通学生として籍を置いたまま[[1875年]]から地元の「グラン・リセ」こと{{仮リンク|コルネイユ高等学校|fr|Lyc%C3%A9e_Pierre-Corneille}}に入学。しばしば表彰を受けるほどの優等生でありながらリセの厳格な空気を嫌っていたことを後に自叙伝小説「[[L'Enthousiasme]](熱意、[[1901年]])」の中で回顧している。

[[1870年]]12月、[[普仏戦争]]のため[[スコットランド]]に疎開するものの翌[[1871年]]7月までに(当時まだ[[プロイセン王国|プロシア]]の占領下にあった)[[ルーアン]]へと呼び戻されている<ref>「いやいやながら ルパンを生み出した作家 モーリス・ルブラン伝」 [[ジャック・ドゥルワール]]著 [[小林佐江子]]・[[相磯佳正]]訳 [[2019年]]9月24日初版発行 [[国書刊行会]] P14-15</ref>。[[1873年]]10月より[[ジャンヌ・ダルク]]大通りのガストン・パトリ寄宿学校で[[初等教育]]を受けた後、同校に通学生として籍を置いたまま[[1875年]]から地元の「グラン・リセ」こと{{仮リンク|コルネイユ高等学校|fr|Lyc%C3%A9e_Pierre-Corneille}}に入学。しばしば表彰を受けるほどの優等生でありながらリセの厳格な空気を嫌っていたことを後に自叙伝小説「[[L'Enthousiasme]](熱意、[[1901年]])」の中で[[回顧]]している。



[[1879年]]の夏には当時チェーン式が発明されたばかりの[[自転車]]を入手し、[[壮年期]]以降も[[サイクリング]]に傾倒するようになる。この当時のルブランは「神経質なほど[[感受性]]が強く、会話の際には時折[[チック]]の症状を示していた」と、実妹[[ジョルジェット・ルブラン]]の「回想録([[1931年]])」中では記述されている<ref>「いやいやながら ルパンを生み出した作家 モーリス・ルブラン伝」 P39</ref>。

[[1879年]]の夏には当時[[ローラーチェーン|チェーン]]式が発明されたばかりの[[自転車]]を入手し、[[壮年期]]以降も[[サイクリング]]に傾倒するようになる。この当時のルブランは「神経質なほど[[感受性]]が強く、会話の際には時折[[チック]]の症状を示していた」と、実妹[[ジョルジェット・ルブラン]]の「回想録([[1931年]])」中では記述されている<ref>「いやいやながら ルパンを生み出した作家 モーリス・ルブラン伝」 P39</ref>。



[[1881年]]7月27~28日に文系[[バカロレア (フランス)|バカロレア]]の第一部試験を受け「可」の成績で合格、最終学年である「[[哲学]]級」に進学する。最終学年では特に人間心理の分析を嗜好し、この時の勉学が後々の作品群に多大な影響を及ぼすこととなる。

[[1881年]]7月27~28日に文系[[バカロレア (フランス)|バカロレア]]の第一部試験を受け「可」の成績で合格、最終学年である「[[哲学]]級」に進学する。最終学年では特に人間心理の分析を嗜好し、この時の勉学が後々の作品群に多大な影響を及ぼすこととなる。

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=== 兵役からの反動 ===

=== 兵役からの反動 ===

[[1883年]]には自らフランスに戻り、[[11月5日]]にルーアン市庁舎で「条件付き兵役(1500フランを納入することで、本来5年の期間を一年に短縮できた)」に志願している。同年11月12日、[[ヴェルサイユ]]旧王立厩舎内の第11連隊(砲兵)に配属、翌[[1884年]][[11月12日]]には[[予備役]]編入(条件付き兵役のため、正式な予備役編入は[[1888年]][[11月8日]]付となる)までの待命予備期間(事実上の復員)となり、ルーアンに帰郷した。後年、このイギリス居住と兵役の期間について、ルブランは「L'Enthousiasme」で「『この二年間、私は[[不幸]]だった』と率直に言うことができるだろう」<ref>「いやいやながら ルパンを生み出した作家 モーリス・ルブラン伝」 P49</ref> と述懐している。

[[1883年]]には自らフランスに戻り、[[11月5日]]に[[ルーアン]]市庁舎で「条件付き兵役(1500フランを納入することで、本来5年の期間を一年に短縮できた)」に志願している。同年11月12日、[[ヴェルサイユ]]旧王立厩舎内の第11連隊(砲兵)に配属、翌[[1884年]][[11月12日]]には[[予備役]]編入(条件付き兵役のため、正式な予備役編入は[[1888年]][[11月8日]]付となる)までの待命予備期間(事実上の復員)となり、ルーアンに帰郷した。後年、このイギリス居住と兵役の期間について、ルブランは「L'Enthousiasme」で「『この二年間、私は[[不幸]]だった』と率直に言うことができるだろう」<ref>「いやいやながら ルパンを生み出した作家 モーリス・ルブラン伝」 P49</ref> と述懐している。



帰郷後の彼はこの二年の反動のごとく遊蕩に明け暮れた。劇場や居酒屋に足繁く通い、[[ビリヤード]]や葉巻きたばこ|葉巻の喫煙、[[飲酒]]や[[買春]]が毎日の生活の一部となった<ref>「いやいやながら ルパンを生み出した作家 モーリス・ルブラン伝」 P50-51</ref>。旅行にも興味を示し、[[ラクロワ]]島を訪れたり、[[サイクリング]]で「フランス全土を踏破」<ref name="ReferenceA">「いやいやながら ルパンを生み出した作家 モーリス・ルブラン伝」 P50</ref> したりしたのもこの頃である。これらについてルブランは「決められた仕事に無理矢理就かせられたり、何らかの制限を設けられたりするという考えが、私には突然、耐えられなくなった」と「L'Enthousiasme」にて回想している<ref name="ReferenceA" />。一方で、後の代表作「[[奇巌城]]」はこの頃訪れた[[エトルタ]]の情景が源流となっている。

帰郷後の彼はこの二年の反動のごとく遊蕩に明け暮れた。劇場や居酒屋に足繁く通い、[[ビリヤード]]や葉巻きたばこ|葉巻の喫煙、[[飲酒]]や[[買春]]が毎日の生活の一部となった<ref>「いやいやながら ルパンを生み出した作家 モーリス・ルブラン伝」 P50-51</ref>。旅行にも興味を示し、ラクロワ島を訪れたり、サイクリングで「フランス全土を踏破」<ref name="ReferenceA">「いやいやながら ルパンを生み出した作家 モーリス・ルブラン伝」 P50</ref> したりしたのもこの頃である。これらについてルブランは「決められた仕事に無理矢理就かせられたり、何らかの制限を設けられたりするという考えが、私には突然、耐えられなくなった」と「L'Enthousiasme」にて回想している<ref name="ReferenceA" />。一方で、後の代表作「[[奇巌城]]」はこの頃訪れた[[エトルタ]]の情景が源流となっている。




[[1885]][[127 ()|127]]41<ref>   P56</ref>

[[1885]][[127 ()|127]]41<ref>   P56</ref>


=== 職業作家へ ===

=== 職業作家へ ===

当時、ルブランはある恋愛ごとで後ろ指をさされ、ルーアンに居づらくなっていた<ref>「いやいやながら ルパンを生み出した作家 モーリス・ルブラン伝」 P58</ref>。一方で、しばしば訪れていた[[パリ]]では一歳年下の寡婦マリー・ラランヌと知り合い、恋愛関係を結ぶに至っていた。田舎に耐えられなくなり、文学的成功も夢見ていたルブランは、ロー・スクールへの通学を口実として[[1888年]]の末にパリの[[モンマルトル]]のカレ6番地へと居を移す。生活資金は[[1891年]]に全額支払われる予定だった母親の遺産がら捻出され、1888年12月29日には父より2万フラン、[[1889年]]から[[1890年]]の間には約7万フランを受け取っている<ref>「いやいやながら ルパンを生み出した作家 モーリス・ルブラン伝」 P61</ref>。

当時、ルブランはある恋愛ごとで後ろ指をさされ、ルーアンに居づらくなっていた<ref>「いやいやながら ルパンを生み出した作家 モーリス・ルブラン伝」 P58</ref>。一方で、しばしば訪れていた[[パリ]]では一歳年下の寡婦マリー・ラランヌと知り合い、恋愛関係を結ぶに至っていた。田舎に耐えられなくなり、文学的成功も夢見ていたルブランは、ロー・スクールへの通学を口実として[[1888年]]の末にパリの[[モンマルトル]]のカレ6番地へと居を移す。生活資金は[[1891年]]に全額支払われる予定だった母親の遺産がら捻出され、1888年12月29日には父より2万フラン、[[1889年]]から[[1890年]]の間には約7万フランを受け取っている<ref>「いやいやながら ルパンを生み出した作家 モーリス・ルブラン伝」 P61</ref>。




1889110[[]][[]]{{||en|Maurice_Donnay}}[[]]

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兵役の再訓練は、妻マリーの妊娠を口実に1890年の秋に延期した。この結果、当時パリを襲った[[インフルエンザ]]の影響から幸運にも逃れられることができた。1889年11月28日、[[ニース]]にて長女マリー・ルイーズが誕生。この頃の生活拠点はニースでは[[マセナ郡区 (アイオワ州カス郡)|マセナ]]広場近辺のアルベルティ通り18番地のヴィラ・ラランヌ、パリでは8区、クラベロン通りだった。

兵役の再訓練は、妻マリーの妊娠を口実に1890年の秋に延期した。この結果、当時パリを襲った[[インフルエンザ]]の影響から幸運にも逃れられることができた。1889年11月28日、[[ニース]]にて長女マリー・ルイーズが誕生。この頃の生活拠点はニースでは[[マセナ郡区 (アイオワ州カス郡)|マセナ]]広場近辺のアルベルティ通り18番地のヴィラ・ラランヌ、パリでは8区、クラベロン通りだった。

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* 『[[ジル・ブラス]]』紙に連作短編 "Contes essentiels" を発表した際(不定期。[[1893年]][[4月28日]]から[[1894年]][[11月5日]]まで)には、「L'Abbé de Jumiège(ジュミエージュ大修道院長)」のペンネームを用いた(ただし、1894年[[4月2日]]号分からは本名で発表されている。ジュミエージュ大修道院はフランス革命の時にその本来の役目を終え、『奇岩城』や『カリオストロ伯爵夫人』でもその遺跡の姿が描写されている)。

* 『[[ジル・ブラス]]』紙に連作短編 "Contes essentiels" を発表した際(不定期。[[1893年]][[4月28日]]から[[1894年]][[11月5日]]まで)には、「L'Abbé de Jumiège(ジュミエージュ大修道院長)」のペンネームを用いた(ただし、1894年[[4月2日]]号分からは本名で発表されている。ジュミエージュ大修道院はフランス革命の時にその本来の役目を終え、『奇岩城』や『[[カリオストロ伯爵夫人]]』でもその遺跡の姿が描写されている)。

* 亡くなる数週間前に、「ルパンが私の周りに出没して何かと邪魔をする」という趣旨の被害届を警察署に出し、そのため[[警察官]]が24時間体制で警備し、最期の日々の平穏を守った。

* 亡くなる数週間前に、「ルパンが私の周りに出没して何かと邪魔をする」という趣旨の被害届を警察署に出し、そのため[[警察官]]が24時間体制で警備し、最期の日々の平穏を守った。

* お金に細かい所があり、経済的に不自由が無くなっても、出版社に鉄道の割引券(permis de circulation)を度々無心して、南仏などへの旅行に利用していた<ref>Derouard, Jacques. ''Maurice Leblanc –Arsène Lupin malgré lui–''. Séguier, 1993. p.302 他。もっとも、妹のジョルジェットはその晩年に、肺炎などの病気で医療費や生活費(本来の仕事である舞台活動に必要とされなくなって来たので、『回想録』などの執筆活動をせざるを得なくなって来ていた)を親族に頼らざるを得なくなったり、更には、居候的な存在(同性愛の相手でもある)のマーガレット・アンダーソン等を引き連れて、モーリスや姉のジャンヌ夫妻に経済的に迷惑をかけていたから、やむを得ない面もあったであろう。</ref>。

* お金に細かい所があり、経済的に不自由が無くなっても、出版社に鉄道の割引券(permis de circulation)を度々無心して、南仏などへの旅行に利用していた<ref>Derouard, Jacques. ''Maurice Leblanc –Arsène Lupin malgré lui–''. Séguier, 1993. p.302 他。もっとも、妹のジョルジェットはその晩年に、肺炎などの病気で医療費や生活費(本来の仕事である舞台活動に必要とされなくなって来たので、『回想録』などの執筆活動をせざるを得なくなって来ていた)を親族に頼らざるを得なくなったり、更には、居候的な存在(同性愛の相手でもある)のマーガレット・アンダーソン等を引き連れて、モーリスや姉のジャンヌ夫妻に経済的に迷惑をかけていたから、やむを得ない面もあったであろう。</ref>。

* 1898年頃、助言を求めていた若い作家からの手紙に対し、次のように答えている。

* 1898年頃、助言を求めていた若い作家からの手紙に対し、次のように答えている。

:「我々の偉大な作家たちをたくさん読みたまえ。フランス的な才能に恵まれた作家たち、[[モンテーニュ]]、[[パスカル]]{{要曖昧さ回避|date=2021年10月}}、[[ラ・ブリュイエール]]、短篇小説の[[ヴォルテール]]、[[ポール=ルイ・クーリエ]]、[[フロベール]]、[[ルナン]]を。……」

:「我々の偉大な作家たちをたくさん読みたまえ。フランス的な才能に恵まれた作家たち、[[モンテーニュ]]、[[ブレーズ・パスカル|パスカル]]、[[ラ・ブリュイエール]]、短篇小説の[[ヴォルテール]]、[[ポール=ルイ・クーリエ]]、[[フロベール]]、[[ルナン]]を。……」

:「生きなさい。そうだ、何よりも生きて、多くのことを感じ、愛し、苦しみ、幸福でいるように心がけたまえ。我々は生きるために生きている。それが、我々の第一の義務だ。それに、それがよい作品を書く最良の方法だ。作品は、それが人生に基づいていなければ、説得力を持たない。小部屋に閉じこもっているような人が書くのは、空虚についての作品だ。街路に太陽があれば、あるいはどこかにきれいな女性がいれば、ペンを捨てなさい。後で、ペンを取ることはいつでも出来るでしょう。その後、あなたが書くことは、必ずその暑さと美しさの影響を受けずにはいられないでしょう。」

:「生きなさい。そうだ、何よりも生きて、多くのことを感じ、愛し、苦しみ、幸福でいるように心がけたまえ。我々は生きるために生きている。それが、我々の第一の義務だ。それに、それがよい作品を書く最良の方法だ。作品は、それが人生に基づいていなければ、説得力を持たない。小部屋に閉じこもっているような人が書くのは、空虚についての作品だ。街路に太陽があれば、あるいはどこかにきれいな女性がいれば、ペンを捨てなさい。後で、ペンを取ることはいつでも出来るでしょう。その後、あなたが書くことは、必ずその暑さと美しさの影響を受けずにはいられないでしょう。」

:「もう一つ助言を。もし可能なら、たくさん旅をしなさい」

:「もう一つ助言を。もし可能なら、たくさん旅をしなさい」


2024年5月22日 (水) 08:19時点における最新版

モーリス・ルブラン
Maurice Leblanc
誕生 (1864-11-11) 1864年11月11日
フランスの旗 フランス帝国ルーアン
死没 (1941-11-06) 1941年11月6日(76歳没)
フランスの旗 フランス国ペルピニャン
国籍 フランスの旗 フランス
代表作 アルセーヌ・ルパンシリーズ
ウィキポータル 文学
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: Maurice Marie Émile Leblanc18641211[1] - 1941116[2]


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18701218717[4]187310宿1875L'Enthousiasme1901

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18941892[15]稿1031110301231222189349Une femme5231894410Ceux qui souffrent1894611189544427[16]11LŒuvre de mort[17][18]

18963[19]512稿Les Heures de mystère1897[20]412Voici des ailes!  [21]122065稿[22]18982Voici des ailes![23]

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調1899調[24]Les Lèvres jointes6[25]189910281900105[26]==1900510 ()102919012LEnthousiasme[27]1000[28]

Les Éditions Pierre Lafitte et CieFemina稿190191519026Les Yeux purs81297稿[29]1903Le Petit Journal Illustré稿830[30]19046Gueule-rouge 80-chevaux[31]1229190512475[32]

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10231904[33]Je sais tout1905215Femina稿[34]

Le Petit Journal Illustré[35]1905715Je sais tout6Je sais tout  稿8Je sais tout宿[36]

12稿1115Je sais tout[37]190613186[38]

5La Pitié856La PitiéLa Pitié[39]Je sais toutJe sais tout使[40]1225190727稿[41]

3527[42]5Je sais tout7[43]610稿2200[44]61222003.506010[44]

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le Clos Lupin, Musée de Maurice Leblanc

西



20121936-37稿

エピソード[編集]


 "Contes essentiels" 18934281894115L'Abbé de Jumiège189442姿

24

permis de circulation[57]

1898

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[58]

姿宿

[59]

Le Censeur politique et littéraire[60]

LEnthousiasme稿

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Des couples1890- 

Une femme1893

Ceux qui souffrent1894- 

LŒuvre de mort1895

Les Heures de mystère1896- 

Armelle et Claude1897

Voici des ailes!1898

Les Lèvres jointes1899

LEnthousiasme1901

Gueule-Rouge 80-chevaux801904- 

La Frontière1908

La Robe décailles roses1912- 

LÉclat dobus1914

Le Cercle rougeThe Red Circle 1914

Les Trois Yeux 19191920 The Three Eyes

Le Formidable Événement 19201921 The Tremendous Event

Le Cercle rouge 19221915The Red Circle

Dorothée, danseuse de corde 1923Dorothy the Rope DancerThe Secret TombA rival de Arsène Lupin

La Vie extravagante de Balthazar 1927

Peau dAne et don Quichotte 1925

Le Prince de Jéricho 19291930 Man of Mystery

De minuit à sept heures 19311932 From Midnight to Morning

Le Chapelet rouge 193219341932Les Clés mystérieusesMan of Miracles

LImages de la femme nue1934

Le Scandale du gazon bleu1935

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La Pitié 1906

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(一)^ 18641212341111

(二)^ ? 19331111 2013

(三)^ Derouard, Jacques. Maurice Leblanc Arsène Lupin malgré lui. Séguier, 1993. Zélie TorcatAmand-Adolphe Cambremer

(四)^      2019924  P14-15

(五)^    P39

(六)^    P49

(七)^    P50-51

(八)^ ab   P50

(九)^    P56

(十)^    P58

(11)^    P61

(12)^    P71

(13)^   P72-74

(14)^    P78

(15)^    P80-81

(16)^    P109

(17)^   P112-113

(18)^    P113-114

(19)^    P114

(20)^    P121

(21)^    P127

(22)^    P128

(23)^    P130-131

(24)^   P121, P138

(25)^   P141-142

(26)^   P142P147

(27)^   P143

(28)^   P148-149

(29)^   P152-156

(30)^   P161

(31)^   P164

(32)^   P165-166

(33)^   P164-165

(34)^   P166

(35)^   P172

(36)^   P175

(37)^   P176

(38)^   P177-178

(39)^   P178-181

(40)^   P181-182

(41)^   P183-184

(42)^   P186-187P190

(43)^   P191-192

(44)^ ab  P192-193

(45)^   P201-202

(46)^   P202

(47)^   P204

(48)^   P201

(49)^   P208-211P213

(50)^   P199-200

(51)^   P215

(52)^   P219

(53)^   P222-223

(54)^   P216-217P227-228

(55)^   2013

(56)^ Derouard, Jacques. Maurice Leblanc Arsène Lupin malgré lui. Séguier, 1993. p.312

(57)^ Derouard, Jacques. Maurice Leblanc Arsène Lupin malgré lui. Séguier, 1993. p.302 

(58)^    P136-137

(59)^   P175-176

(60)^   P184-185P194

[]


  2014

   2019Derouard, Jacques. Maurice Leblanc Arsène Lupin malgré lui.Editions Séguier, 2001.)

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