「レティシア (スペイン王妃)」の版間の差分
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[[2004年]][[5月22日]]成婚。マドリードで2ヶ月前に[[スペイン列車爆破事件|列車爆破事件]]が起きたばかりで、2万人近くの警官、保安要員を動員、上空には空軍の偵察機が飛ぶという厳戒態勢が敷かれた。
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2009年10月2日 (金) 11:11時点における版
レティシア Letizia | |
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スペイン王太子妃 | |
アストゥリアス公フェリペとレティシア、2003年 | |
出生 |
1972年9月15日(51歳) スペイン・オビエド |
配偶者 | ゲレロ(1998年 - 1999年) |
フェリペ(2004年結婚) | |
子女 |
レオノール ソフィア |
父親 | ヘスース・オルティス |
母親 | パロマ・ロカソラーノ |
レティシア︵Letizia, 旧名Letizia Ortiz Rocasolano, 1972年9月15日 - ︶はスペインの王太子︵アストゥリアス公︶フェリペの妃。
アストゥリアス公妃の紋章
2002年10月、知人宅で催された夕食会でアストゥリアス公フェリペと出会う。2人はすぐに意気投合するも、この時、フェリペはまだレティシアに対して特別な感情は持っていなかった。
2003年春、正式に交際がスタートする。デートを重ね、9月中旬には国王フアン・カルロス1世夫妻に紹介された。ソフィア王妃の伝記の著者によると、フェリペは﹁彼女と結婚できないのなら王冠を捨ててもいい﹂と断言したとのことである。
同年11月1日、フェリペとの婚約が発表された。
スペイン・ブルボン家が民間出身の、しかも離婚歴のある妃を迎えるのは彼女が初である。
2004年5月22日成婚。マドリードで2ヶ月前に列車爆破事件が起きたばかりで、2万人近くの警官、保安要員を動員、上空には空軍の偵察機が飛ぶという厳戒態勢が敷かれた。
2005年10月31日に長女レオノール (Leonor)王女が誕生、2007年4月29日次女ソフィア (Sofía)王女が誕生した。
経歴
出生、ジャーナリストとして
1972年9月15日、スペイン北部の都市オビエドに生まれる。14歳まで地元の公立学校に通い、私立の高等学校に進学。15歳の時に父の転勤に伴い、マドリードの高校へ転校する。そこで、最初の夫となる教師のアロンソ・ゲレロ (Alonso Guerrerro)と出会う。その後、マドリードのコンプルテンセ大学情報学部に進学、情報科学を専攻し、1995年にジャーナリズムの学士号を取得する。 大学卒業後は、オーディオ・ビジュアル・ジャーナリスト学院で修士号を履修。その後メキシコに渡り、卒業はしていないがジャーナリズムの分野でドクター・コースを受講している。 スペインに帰国後、2000年からスペイン国営放送テレビシオン・エスパニョーラに勤務。 1998年、マドリードの高校時代の教師ゲレロと10年の交際期間を経て結婚するが、1年後に離婚した。 2001年には30歳以下の優れたジャーナリストに贈られるLarra賞を受賞している。海外特派員として、アメリカ同時多発テロやイラク戦争を取材したこともある。スペイン王室へ
家族
スペイン王室 |
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傍系王族
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父ヘスース・オルティス (Jesús Ortiz) はラジオ・アナウンサーであり、アストゥリアス地方のラジオ局﹁Antena 3 Radio﹂の創設者でもある。祖母メンチュ・アルバレス・デル・バジェ (Menchu Álvarez del Valle) も同じくラジオ・アナウンサーだった。母パロマ・ロカソラーノ (Paloma Rocasolano) は看護師で、マドリードの病院に勤めている。両親は1988年に離婚している。
テルマ (Thelma) とエリカ (Erika) の2人の妹がおり、テルマは国境なき医師団の一員として2008年3月に出産帰国するまで活躍。エリカは2007年2月6日、大量の薬物を服用し、6歳の女児を残して自殺。レティシアに計り知れない衝撃を与えた。
レティシア (Letizia) という名前は、通常スペインでは“Leticia”と“C”を使って書かれるが、彼女の場合“Z”が使われている。これは、当時出生届を受理した市役所の担当のイタリア人の誤記入によるものだと言われている。フェリペとの婚約発表以来、“Letizia”と名付けられる新生児が急増した。