徳仁
徳仁 | |
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即位礼 |
即位礼正殿の儀 2019年(令和元年)10月22日 於 皇居 宮殿 |
大嘗祭 |
大嘗宮の儀 2019年(令和元年)11月14日・15日 於 皇居 東御苑大嘗宮 |
元号 | 令和: 2019年5月1日 - |
内閣総理大臣 | |
先代 | 明仁 |
誕生 |
1960年(昭和35年)2月23日16時15分(64歳) 日本 東京都千代田区千代田 皇居・宮内庁病院 |
諱 |
1960年(昭和35年)2月29日命名 |
称号 |
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印 |
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元服 | 1980年(昭和55年)2月23日 |
父親 | 明仁(第125代天皇・上皇) |
母親 | 美智子(上皇后) |
皇后 |
雅子 (旧姓名:小和田 雅子) 1993年(平成5年)6月9日 結婚 |
子女 | 愛子内親王 |
皇嗣 | 秋篠宮文仁親王 |
皇居 | |
栄典 |
一覧参照
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学歴 |
学習院大学大学院人文科学研究科 博士前期課程修了 |
親署 |
称号:天皇 | |
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敬称 |
陛下 His Majesty the Emperor[1]/ His Imperial Majesty(H.I.M.) |
皇室 |
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概要[編集]
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1961年(昭和36年)2月の徳仁親王(満1歳直前)
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皇太子徳仁親王の立太子の礼
1991年(平成3年)2月23日 -
燕尾服(テールコート)姿の徳仁
2019年(令和元年)5月撮影 -
皇后雅子、長女の敬宮愛子内親王とともに
2019年(令和元年)8月19日、即位後初めての那須御用邸での夏季静養。
来歴[編集]
皇孫時代[編集]
「 | 肫肫たる其の仁、淵淵たる其の淵、浩浩たる其の天。苟くも固に聡明聖知にして天徳に達する者ならざれば、其れ孰か能くこれを知らん。 | 」 |
—『中庸』第32章 |
皇太子時代[編集]
1989年︵昭和64年︶1月7日、祖父・昭和天皇の崩御を受け、父の皇太子明仁親王が第125代天皇に即位した。これに伴い、皇位継承順位が第1位となり、徳仁親王は皇太子︵皇嗣たる皇子/皇男子、法定推定相続人︶となった。また、それまで両親および弟妹の家族と同居していたがこれを機に別居、独立した。 父帝の即位の礼などを経て、1991年︵平成3年︶2月23日、満31歳となった日に立太子の礼が執り行われた。また同日、皇太子の印とされる﹁壺切御剣﹂を父帝から親授された。 1993年︵平成5年︶1月19日、皇室会議において婚姻の相手に小和田雅子︵当時‥外務省北米局北米二課職員︶を内定。同年6月9日に結婚の儀が執り行われた。小和田雅子との成婚までの経緯[編集]
皇太子妃雅子との成婚以降[編集]
成婚8年後の2001年︵平成13年︶12月1日、妃雅子との間に第1子で第1皇女の愛子内親王が誕生した。 皇太子となってからは、外国を度々訪問し、皇室外交の進展を図っている。また、公務の傍ら1991年︵平成3年︶9月には、イギリスの名門の一つであるケンブリッジ大学から名誉法学博士号を授与されている。そして1992年︵平成4年︶4月からは学習院大学史料館客員研究員の委嘱を受け、日本中世史の研究を続けている。学習院女子大学国際文化交流学部の授業では、﹁北米文化の源流・イギリスの社会と文化﹂や﹁オックスフォードにおける学生生活﹂について講義を行い、名誉総裁として臨席した世界水フォーラムの開会式では、﹁京都と地方を結ぶ水の道﹂や﹁江戸と水運﹂と題した講演を行なっている。 2004年︵平成16年︶5月10日、欧州3か国歴訪を前にした会見内で﹁雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です﹂と発言した︵いわゆる﹁人格否定発言﹂︶。同発言は、皇太子一家と皇室・宮内庁の間に不和があることを浮き彫りにし、大きな反響を呼んだ。同年7月に妃雅子が療養している事実が正式に発表され、以後徳仁親王は単独で公務・祭祀を行うことがほとんどとなった。 2007年︵平成19年︶3月27日、定期健康診断で十二指腸にポリープが発見された。同年5月には良性と診断されたが、同年6月6日に十二指腸ポリープの内視鏡による切除手術を東京大学医学部附属病院︵東京都文京区︶で受けた。同年11月1日、国連﹁水と衛生に関する諮問委員会﹂の名誉総裁に就任。日本の皇族が国連などの常設の国際機関の役職に就任するのは初である[21]。 2009年︵平成21年︶11月8日から11月20日まで来日した彭麗媛が団長を務める中国人民解放軍総政治部の歌舞団が東京都と北海道札幌市で中国歌劇﹃木蘭詩編﹄を皇太子の母校である学習院大学で公演した際に皇太子は私的に会場に行啓し、2階VIP席で彭麗媛と隣り合わせの席で台覧して言葉を交わしており、彭麗媛の夫の習近平の天皇特例会見と同様に﹁中華人民共和国による皇室の政治的利用﹂と批判されることになった[22][23]。 2013年︵平成25年︶3月6日、米国ニューヨークの国際連合本部で開催された﹁水と災害に関する特別会合﹂において英語で基調講演を行った。同会合は、東日本大震災︵東北地方太平洋沖地震︶など世界的な水災害の増加を受け国連で初めて開催された会合である[24]。 2016年︵平成28年︶1月28日、父帝・明仁が皇后美智子︵当時︶とともに第二次世界大戦戦没者慰霊を目的としたフィリピン訪問のために不在であったことから、第3次安倍第1次改造内閣で経済再生・経済財政担当大臣が甘利明から石原伸晃へ交代したことに伴う閣僚の認証官認証式を国事行為臨時代行の形で執り行った[25]。 2017年︵平成29年︶6月16日、天皇の退位等に関する皇室典範特例法公布、同年12月1日開催の皇室会議︵議長‥安倍晋三内閣総理大臣︶及び12月8日開催の第4次安倍内閣の定例閣議で同法施行期日を規定する政令が閣議決定され、明仁が2019年4月30日を以って退位して上皇となり、皇太子徳仁親王が2019年5月1日に、第126代天皇に即位するという皇位継承の日程が確定された。天皇時代[編集]
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天皇徳仁と皇后雅子(即位前の2018年撮影)
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2019年(令和元年)5月1日の即位日に、御料車で赤坂御所と皇居間を移動する天皇と皇后
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新天皇即位を祝う一般参賀、皇居・宮殿長和殿(2019年5月4日)
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即位礼正殿の儀(2019年10月22日)
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饗宴の儀(2019年10月31日)
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祝賀御列の儀(2019年11月10日)
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祝賀御列の儀に集まった観衆
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2020年東京オリンピック開会式(2021年7月23日)
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ジョー・バイデンとの会見(2022年5月23日)
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学制150年記念式典にて(2022年9月5日)
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皇后雅子と政府専用機からロンドン・スタンステッド空港に降り立つ(2022年9月17日)
年譜[編集]
●1960年︵昭和35年︶2月23日16時15分[6]、東京都千代田区千代田の皇居・宮内庁病院にて誕生。父の皇太子明仁親王と母の同妃美智子︵いずれも当時︶の間の2男1女のうち、第1皇男子︵第1子︶。 ●1964年︵昭和39年︶ ●4月13日、学習院幼稚園に入園。 ●10月29日、着袴の儀。 ●1966年︵昭和41年︶4月8日、学習院初等科に入学。 ●1972年︵昭和47年︶4月8日、学習院中等科に入学。 ●1975年︵昭和50年︶4月7日、学習院高等科に入学。 ●1980年︵昭和55年︶ ●2月23日︵成年‥20歳︶、加冠の儀︵皇居宮殿・春秋の間︶。 ●11月30日、大勲位菊花大綬章を親受。 ●1982年︵昭和57年︶4月8日︵22歳︶、学習院大学文学部史学科を卒業︵文学士︶。 ●1983年︵昭和58年︶10月15日、英国オックスフォード大学マートン・カレッジに入学。 ●1988年︵昭和63年︶、学習院大学大学院人文科学研究科博士前期課程を修了︵文学修士︶。 ●1989年︵昭和64年︶1月7日︵28歳︶、祖父・昭和天皇崩御、日本国憲法及び皇室典範に基づき父の明仁親王︵当時︶が第125代天皇に践祚したことに伴い、皇太子︵皇位継承順位第1位、法定推定相続人︶となる。 ●1991年︵平成3年︶2月23日︵31歳︶、立太子の礼︵宮殿正殿・松の間︶。壺切御剣を親授される︵宮殿表御座所・鳳凰の間︶。 ●1993年︵平成5年︶ ●1月19日︵32歳︶、妃に外務省北米局北米二課職員︵当時︶の小和田雅子が内定。 ●4月12日、納采の儀︵東京都目黒区南・小和田邸︶。 ●6月9日、結婚の儀︵宮中三殿・賢所︶。 ●2001年︵平成13年︶12月1日︵41歳︶、第1皇女子の敬宮愛子内親王が誕生。 ●2019年︵令和元年︶ ●5月1日︵59歳︶、日本国憲法及び天皇の退位等に関する皇室典範特例法︵2017年、平成29年法律第63号︶に基づき皇位継承し、第126代天皇に即位︵明仁から徳仁への皇位継承︶。同日、日本政府は徳仁に対し、大勲位菊花章頸飾、桐花大綬章及び文化勲章を譲与した[注釈 7][67]。剣璽等承継の儀、即位後朝見の儀。 ●同年10月22日︵59歳︶、即位礼正殿の儀。 ●同年11月9日︵59歳︶、﹁天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典﹂。 ●同年11月10日︵59歳︶、祝賀御列の儀。 ●同年11月14日・15日︵59歳︶、大嘗祭︵大嘗宮の儀︶。皇子女[編集]
皇后雅子との間に、1女︵1人︶がいる。明仁︵上皇、第125代天皇︶の皇孫にあたる。諱及び身位 | 生年月日 / 年齢 | 御称号 | 続柄 | |
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平成13年(2001年)12月1日(22歳) | 第1皇女子(第1子) |
系譜[編集]
徳仁の系譜 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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第126代:徳仁 | 父: 第125代:明仁 |
祖父: 第124代:昭和天皇 |
曽祖父: 第123代:大正天皇 |
曽祖母: 貞明皇后 | |||
祖母: 香淳皇后 |
曽祖父: 邦彦王(久邇宮) | ||
曽祖母: 俔子 | |||
母: 美智子(上皇后) |
祖父: 正田英三郎 |
曽祖父: 正田貞一郎 | |
曽祖母: 正田きぬ | |||
祖母: 正田富美子 |
曽祖父: 副島綱雄 | ||
曽祖母: 副島アヤ |
系図[編集]
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122 明治天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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123 大正天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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124 昭和天皇 |
| 秩父宮雍仁親王 |
| 高松宮宣仁親王 |
| 三笠宮崇仁親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||
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125 上皇 |
| 常陸宮正仁親王 |
| 寬仁親王 |
| 桂宮宜仁親王 |
| 高円宮憲仁親王 | |||||||||||||||||||||||||||||
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126 今上天皇 |
| 秋篠宮文仁親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 悠仁親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
第126代天皇の男系(父系)直系祖先[編集]
1 神武天皇 | 2 綏靖天皇 | 3 安寧天皇 | 4 懿徳天皇 | 5 孝昭天皇 | 6 孝安天皇 | 7 孝靈天皇 | 8 孝元天皇 | 9 開化天皇 | 10 崇神天皇 |
11 垂仁天皇 | 12 景行天皇 | 日本武尊 | 14 仲哀天皇 | 15 応神天皇 | 稚野毛二派皇子 | 意富富杼王 | 乎非王 | 彦主人王 | 26 継体天皇 |
29 欽明天皇 | 30 敏達天皇 | 押坂彦人 大兄皇子 |
34 舒明天皇 | 38 天智天皇 | 志貴皇子 | 49 光仁天皇 | 50 桓武天皇 | 52 嵯峨天皇 | 54 仁明天皇 |
58 光孝天皇 | 59 宇多天皇 | 60 醍醐天皇 | 62 村上天皇 | 64 円融天皇 | 66 一条天皇 | 69 後朱雀天皇 | 71 後三条天皇 | 72 白河天皇 | 73 堀河天皇 |
74 鳥羽天皇 | 77 後白河天皇 | 80 高倉天皇 | 82 後鳥羽天皇 | 83 土御門天皇 | 88 後嵯峨天皇 | 89 後深草天皇 | 92 伏見天皇 | 93 後伏見天皇 | 北1 光厳天皇 |
北3 崇光天皇 | 栄仁親王(伏見宮) | 貞成親王(伏見宮) | 102 後花園天皇 | 103 後土御門天皇 | 104 後柏原天皇 | 105 後奈良天皇 | 106 正親町天皇 | 誠仁親王 | 107 後陽成天皇 |
108 後水尾天皇 | 112 霊元天皇 | 113 東山天皇 | 直仁親王(閑院宮) | 典仁親王(慶光院) | 119 光格天皇 | 120 仁孝天皇 | 121 孝明天皇 | 122 明治天皇 | 123 大正天皇 |
124 昭和天皇 | 125 明仁 | 126 徳仁 |
家系図形式[編集]
天照大御神/神話上の存在/♀ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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天忍穂耳/神話上の存在/♂ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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瓊瓊杵/神話上の存在/♂ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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彦火火出見/神話上の存在/♂ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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彦波瀲武盧茲草葺不合/神話上の存在/♂ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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彦火火出見/前711-前585/♂ 神武天皇(諡) 前660-前585(第1代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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(諱不明)/前632-前549/♂ 綏靖天皇(諡) 前581-前549(第2代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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(諱不明)/前577-前510/♂ 安寧天皇(諡) 前549-前510(第3代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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(諱不明)/前553-前476/♂ 懿徳天皇(諡) 前510-前476(第4代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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(諱不明)/前506-前393/♂ 孝昭天皇(諡) 前475-前393(第5代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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(諱不明)/前427-前291/♂ 孝安天皇(諡) 前392-前291(第6代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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(諱不明)/前342-前215/♂ 孝靈天皇(諡) 前290-前215(第7代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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(諱不明)/前273-前158/♂ 孝元天皇(諡) 前214-前158(第8代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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(諱不明)/前208-前98/♂ 開化天皇(諡) 前157-前98(第9代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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御間城/前148-前29/♂ 崇神天皇(諡) 前97-前29(第10代) |
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| 彦坐/?-?/♂ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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活目/前68-70/♂ 垂仁天皇(諡) 前29-70(第11代) |
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大足彦/前13-130/♂ 景行天皇(諡) 71-130(第12代) |
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日本武/82?-113?/♂ |
| 稚足彦/84-191/♂ 成務天皇(諡) 131-191(第13代) |
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足仲彦/148?-200/♂ 仲哀天皇(諡) 192-200(第14代) |
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| 気長足姫/170-269/♀ 神功皇后(諡) 201-269(摂政) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 譽田/200-310/♂ 應神天皇(諡) 270-310(第15代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 大鷦鷯/257-399/♂ 仁徳天皇(諡) 313-399(第16代) |
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| 稚野毛二派/?-?/♂ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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去来穂/336?-405/♂ 履中天皇(諡) 400-405(第17代) |
| 瑞歯/336?-410/♂ 反正天皇(諡) 406-410(第18代) |
| 雄朝津間稚子/376?-453/♂ 允恭天皇(諡) 413-453(第19代) |
| 忍坂大中姫/?-?/♀ |
| 意富富杼/?-?/♂ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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市辺押磐/?-?/♂ |
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| 穴穂/401-456/♂ 安康天皇(諡) 454-456(第20代) |
| 大泊瀬幼武/418-479/♂ 雄略天皇(諡) 456-479(第21代) |
| 乎非/?-?/♂ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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億計/449-498/♂ 仁賢天皇(諡) 488-498(第24代) |
| 弘計/450-487/♂ 顯宗天皇(諡) 484-487(第23代) |
| 飯豊青/440-484/♀ 484-484(臨朝秉政) |
| 白髪/444-484/♂ 清寧天皇(諡) 480-484(第22代) |
| 彦主人/?-?/♂ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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小泊瀬稚鷦鷯/489-507/♂ 武烈天皇(諡) 498-507(第25代) |
| 手白香/?-?/♀ |
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| 男大迹/450-531/♂ 繼體天皇(諡) 507-531(第26代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 志帰嶋/509-571/♂ 欽明天皇(諡) 540-571(第29代) |
| 勾/465-536/♂ 安閑天皇(諡) 531-536(第27代) |
| 高田/467-539/♂ 宣化天皇(諡) 536-539(第28代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 他田/538-585/♂ 敏達天皇(諡) 572-585(第30代) |
| 額田部/554-628/♀ 推古天皇(諡) 593-628(第33代) |
| 池辺/540?-587/♂ 用明天皇(諡) 585-587(第31代) |
| 泊瀬部/553?-592/♂ 崇峻天皇(諡) 587-592(第32代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 押坂彦人/?-?/♂ |
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| 厩戸/574-622/♂ 聖徳太子(諡) 593-622(摂政) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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軽/596-654/♂ 孝徳天皇(諡) 645-654(第36代) |
| 宝/594-661/♀ 皇極天皇(諡) 642-645(第35代) 齊明天皇(諡) 654-661(第37代) |
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| 田村/593-641/♂ 舒明天皇(諡) 629-641(第34代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 葛城/626-672/♂ 天智天皇(諡) 661-672(第38代) |
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| 大友/648-672/♂ 弘文天皇(諡) 672(第39代) |
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| 鸕野讚良/645-701/♀ 持統天皇(諡) 690-697(第41代) |
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| 大海人/631?-686/♂ 天武天皇(諡) 672-686(第40代) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
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志貴/668?-716/♂ 春日宮天皇(諡) (追尊) |
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| 阿閇/661-721/♀ 元明天皇(諡) 707-715(第43代) |
| 草壁/662-689/♂ 岡宮天皇(諡) (追尊) |
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| 舎人/676-735/♂ 崇道尽敬天皇(諡) (追尊) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 氷高/680-748/♀ 元正天皇(諡) 715-724(第44代) |
| 珂瑠/683-707/♂ 文武天皇(諡) 697-707(第42代) |
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| 大炊/733-765/♂ 淳仁天皇(諡) 758-764(第47代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 首/701-756/♂ 聖武天皇(諡) 724-749(第45代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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高野新笠/?-790/♀ |
| 白壁/709-782/♂ 光仁天皇(諡) 770-781(第49代) |
| 井上/717-775/♀ |
| 阿倍/718-770/♀ 孝謙天皇(諡) 749-758(第46代) 称徳天皇(諡) 764-770(第48代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 山部/737-806/♂ 桓武天皇(諡) (別名: 柏原帝) 781-806(第50代) |
| 早良/750?-785/♂ 崇道天皇(諡) (追尊) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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安殿/774-824/♂ 平城天皇(諡) (別名: 奈良帝) 806-809(第51代) |
| 神野/786-842/♂ 嵯峨天皇(諡) 809-823(第52代) |
| 大伴/786-840/♂ 淳和天皇(諡) (別名: 西院帝) 823-833(第53代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 正良/810-850/♂ 仁明天皇(諡) (別名: 深草帝) 833-850(第54代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 道康/827-858/♂ 文徳天皇(諡) (別名: 田邑帝) 850-858(第55代) |
| 時康/830-887/♂ 光孝天皇(諡) (別名: 小松帝) 884-887(第58代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 惟仁/850-880/♂ 清和天皇(諡) (別名: 水尾帝) 858-876(第56代) |
| 定省/867-931/♂ 宇多天皇(諡) 887-897(第59代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 貞明/869-949/♂ 陽成天皇(諡) 876-884(第57代) |
| 敦仁/885-930/♂ 醍醐天皇(諡) 897-930(第60代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 寛明/923-952/♂ 朱雀天皇(諡) 930-946(第61代) |
| 成明/926-967/♂ 村上天皇(諡) 946-967(第62代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 憲平/950-1011/♂ 冷泉天皇(諡) 967-969(第63代) |
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| 守平/959-991/♂ 圓融天皇(諡) 969-984(第64代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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師貞/968-1008/♂ 花山天皇(諡) 984-986(第65代) |
| 居貞/976-1017/♂ 三條天皇(諡) 1011-1016(第67代) |
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| 懐仁/980-1011/♂ 一條天皇(諡) 986-1011(第66代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 禎子/1013-1094/♀ |
| 敦良/1009-1045/♂ 後朱雀天皇(諡) 1036-1045(第69代) |
| 敦成/1008-1036/♂ 後一條天皇(諡) 1016-1036(第68代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 尊仁/1034-1073/♂ 後三條天皇(諡) 1068-1073(第71代) |
| 親仁/1025-1068/♂ 後冷泉天皇(諡) 1045-1068(第70代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 貞仁/1053-1129/♂ 白河天皇(諡) 1073-1087(第72代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 善仁/1079-1107/♂ 堀河天皇(諡) 1087-1107(第73代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 宗仁/1103-1156/♂ 鳥羽天皇(諡) 1107-1123(第74代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 顕仁/1119-1164/♂ 崇徳天皇(諡) 1123-1142(第75代) |
| 雅仁/1127-1192/♂ 後白河天皇(諡) 1155-1158(第77代) |
| 体仁/1139-1155/♂ 近衞天皇(諡) 1142-1155(第76代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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守仁/1143-1165/♂ 二條天皇(諡) 1158-1165(第78代) |
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| 憲仁/1161-1181/♂ 高倉天皇(諡) 1168-1180(第80代) |
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順仁/1164-1176/♂ 六條天皇(諡) 1165-1168(第79代) |
| 言仁/1178-1185/♂ 安徳天皇(諡) 1180-1185(第81代) |
| 守貞/1179-1223/♂ 後高倉天皇(諡) (追尊) |
| 尊成/1180-1239/♂ 後鳥羽天皇(諡) 1185-1198(第82代) |
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| 茂仁/1212-1234/♂ 後堀河天皇(諡) 1221-1232(第86代) |
| 為仁/1196-1231/♂ 土御門天皇(諡) 1198-1210(第83代) |
| 守成/1197-1242/♂ 順徳天皇(諡) 1210-1221(第84代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 秀仁/1231-1242/♂ 四條天皇(諡) 1232-1242(第87代) |
| 邦仁/1220-1272/♂ 後嵯峨天皇(諡) 1242-1246(第88代) |
| 懐成/1218-1234/♂ 仲恭天皇(諡) 1221(第85代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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宗尊/1242-1274/♂ 1252-1266(鎌倉将軍6) |
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| 久仁/1243-1304/♂ 後深草天皇(諡) 1246-1260(第89代) |
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| 恒仁/1249-1305/♂ 龜山天皇(諡) 1260-1274(第90代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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惟康/1264-1326/♂ 1266-1289(鎌倉将軍7) |
| 熈仁/1265-1317/♂ 伏見天皇(諡) 1287-1298(第92代) |
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| 久明/1279-1308/♂ 1289-1308(鎌倉将軍8) |
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| 世仁/1267-1324/♂ 後宇多天皇(諡) 1274-1287(第91代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 胤仁/1288-1336/♂ 後伏見天皇(諡) 1298-1301(第93代) |
| 富仁/1297-1348/♂ 花園天皇(諡) 1308-1318(第95代) |
| 守邦/1301-1333/♂ 1308-1333(鎌倉将軍9) |
| 邦治/1285-1308/♂ 後二條天皇(諡) 1301-1308(第94代) |
| 尊治/1288-1339/♂ 後醍醐天皇(諡) 1318-1339(第96代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 量仁/1313-1348/♂ 光厳天皇(諡) 1332-1334(北朝1) |
| 豊仁/1322-1380/♂ 光明天皇(諡) 1336-1348(北朝2) |
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| 義良/1328-1368/♂ 後村上天皇(諡) 1339-1368(第97代) |
| 護良/1308-1335/♂ 1333-1334(征夷大将軍) |
| 成良/1326-1338(または1344)/♂ 1334-1338(征夷大将軍) |
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| 興仁/1334-1398/♂ 崇光天皇(諡) 1348-1351(北朝3) |
| 弥仁/1336-1374/♂ 後光嚴天皇(諡) 1352-1371(北朝4) |
| 寛成/1343-1394/♂ 長慶天皇(諡) 1368-1383(第98代) |
| 熙成/1350?-1424/♂ 後龜山天皇(諡) 1383-1392(第99代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 栄仁/1351-1416/♂ |
| 緒仁/1339-1393/♂ 後圓融天皇(諡) 1371-1382(北朝5) |
| 参照: 南朝、北朝 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 貞成/1372-1456/♂ 後崇光天皇(諡) (追尊) |
| 幹仁/1377-1433/♂ 後小松天皇(諡) 1382-1392(北朝6) 後小松天皇(諡) 1392-1412(第100代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 彦仁/1419-1471/♂ 後花園天皇(諡) 1428-1464(第102代) |
| 躬仁/1401-1428/♂ 称光天皇(諡) 1412-1428(第101代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 成仁/1442-1500/♂ 後土御門天皇(諡) 1464-1500(第103代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 勝仁/1464-1526/♂ 後柏原天皇(諡) 1500-1526(第104代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 知仁/1497-1557/♂ 後奈良天皇(諡) 1526-1557(第105代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 方仁/1517-1593/♂ 正親町天皇(諡) 1557-1586(第106代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 誠仁/1552-1586/♂ 陽光天皇(諡) (追尊) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 和仁/1572-1617/♂ 後陽成天皇(諡) 1586-1611(第107代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 政仁/1596-1680/♂ 後水尾天皇(諡) 1611-1629(第108代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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興子/1624-1696/♀ 明正天皇(諡) 1629-1643(第109代) |
| 紹仁/1633-1654/♂ 後光明天皇(諡) 1643-1654(第110代) |
| 良仁/1638-1685/♂ 後西天皇(諡) 1655-1663(第111代) |
| 識仁/1654-1732/♂ 靈元天皇(諡) 1663-1687(第112代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 朝仁/1675-1710/♂ 東山天皇(諡) 1687-1709(第113代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 直仁/1704-1753/♂ |
| 慶仁/1702-1737/♂ 中御門天皇(諡) 1709-1735(第114代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 昭仁/1720-1750/♂ 櫻町天皇(諡) 1735-1747(第115代) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 典仁/1733-1794/♂ 慶光天皇(諡) (追尊) |
| 遐仁/1741-1762/♂ 桃園天皇(諡) 1747-1762(第116代) |
| 智子/1740-1813/♀ 後櫻町天皇(諡) 1762-1771(第117代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 英仁/1758-1779/♂ 後桃園天皇(諡) 1771-1779(第118代) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 勧修寺婧子/1780-1843/♀ |
| 師仁/1771-1840/♂ 光格天皇(諡) 1780-1817(第119代) |
| 欣子/1779-1846/♀ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 恵仁/1800-1846/♂ 仁孝天皇(諡) 1817-1846(第120代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 統仁/1831-1867/♂ 孝明天皇(諡) 1846-1867(第121代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 睦仁/1852-1912/♂ 明治天皇(諡) 1867-1912(第122代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 嘉仁/1879-1926/♂ 大正天皇(諡) 1912-1926(第123代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 裕仁/1901-1989/♂ 1921-1926(摂政) 昭和天皇(諡) 1926-1989(第124代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 明仁/1933-/♂ (上皇) 1989-2019 (第125代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 徳仁/1960-/♂ (今上天皇) 2019-(第126代) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国事行為の臨時代行歴[編集]
2016年(平成28年)1月、昭和天皇在位中に皇孫として1回、天皇明仁(当時)の即位後に皇太子として21回、天皇から委任を受け国事行為臨時代行を務めている。
委任を行った天皇 | 委任年月日 | 委任の理由 | 委任の期間 | 委任された事項 | 解除(終了)年月日 | 解除(終了)の理由 |
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昭和天皇 | 1987年(昭和62年)10月3日 | 病気療養中 皇太子明仁親王外国旅行 |
当分の間 | 全般 | 1987年(昭和62年)10月10日 | 皇太子明仁親王帰国 |
明仁 | 1991年(平成3年)9月26日 | 外国旅行 | 外国旅行の間 | 全般 | 1991年(平成3年)10月6日 | 帰国 |
1992年(平成4年)10月23日 | 外国旅行 | 外国旅行の間 | 全般 | 1992年(平成4年)10月28日 | 帰国 | |
1993年(平成5年)8月6日 | 外国旅行 | 外国旅行の間 | 全般 | 1993年(平成5年)8月9日 | 帰国 | |
1993年(平成5年)9月3日 | 外国旅行 | 外国旅行の間 | 全般 | 1993年(平成5年)9月19日 | 帰国 | |
1994年(平成6年)6月10日 | 外国旅行 | 外国旅行の間 | 全般 | 1994年(平成6年)6月26日 | 帰国 | |
1994年(平成6年)10月2日 | 外国旅行 | 外国旅行の間 | 全般 | 1994年(平成6年)10月14日 | 帰国 | |
1997年(平成9年)5月30日 | 外国旅行 | 外国旅行の間 | 全般 | 1997年(平成9年)6月13日 | 帰国 | |
1998年(平成10年)5月23日 | 外国旅行 | 外国旅行の間 | 全般 | 1998年(平成10年)6月5日 | 帰国 | |
2000年(平成12年)5月20日 | 外国旅行 | 外国旅行の間 | 全般 | 2000年(平成12年)6月1日 | 帰国 | |
2002年(平成14年)7月6日 | 外国旅行 | 外国旅行の間 | 全般 | 2002年(平成14年)7月20日 | 帰国 | |
2003年(平成15年)1月16日 | 病気療養 | 当分の間 | 全般 | 2003年(平成15年)2月18日 | 病気快復の状況に鑑み | |
2005年(平成17年)5月7日 | 外国旅行 | 外国旅行の間 | 全般 | 2005年(平成17年)5月14日 | 帰国 | |
2005年(平成17年)6月27日 | 外国旅行 | 外国旅行の間 | 全般 | 2005年(平成17年)6月28日 | 帰国 | |
2006年(平成18年)6月8日 | 外国旅行 | 外国旅行の間 | 全般 | 2006年(平成18年)6月15日 | 帰国 | |
2007年(平成19年)5月21日 | 外国旅行 | 外国旅行の間 | 全般 | 2007年(平成19年)5月30日 | 帰国 | |
2009年(平成21年)7月3日 | 外国旅行 | 外国旅行の間 | 全般 | 2009年(平成21年)7月17日 | 帰国 | |
2011年(平成23年)11月7日 | 病気療養 | 当分の間 | 全般 | 2011年(平成23年)12月6日 | 病気快復の状況に鑑み | |
2012年(平成24年)2月17日 | 病気療養 | 当分の間 | 全般 | 2012年(平成24年)4月10日 | 病気快復の状況に鑑み | |
2012年(平成24年)5月16日 | 外国旅行 | 外国旅行の間 | 全般 | 2012年(平成24年)5月20日 | 帰国 | |
2013年(平成25年)11月30日 | 外国旅行 | 外国旅行の間 | 全般 | 2013年(平成25年)12月6日 | 帰国 | |
2016年(平成28年)1月26日 | 外国旅行 | 外国旅行の間 | 全般 | 2016年(平成28年)1月30日 | 帰国 |
- 「委任年月日」は、『官報』に掲載された代行開始期日。
- 明仁(上皇、第125代天皇)の訪問国は、「明仁#世界各国訪問歴」を参照。
世界各国訪問歴[編集]
年 | 出国 | 帰国 | 訪問地 | 同行 | 備考 |
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2022年 (令和4) |
9月17日 | 9月20日 | イギリス | 皇后 | 女王エリザベス2世の国葬参列 |
2023年 (令和5) |
6月17日 | 6月23日 | インドネシア | 皇后 | 国際親善 インドネシア政府からの招待 |
発言[編集]
●﹁美しいものを見たときに、それを美しいと評価できる人﹂ ●﹁これからはある程度の外国語が話せたほうが良い﹂ ●﹁ニューヨークのティファニーに行ってあれやこれや買うような方では困る﹂ ●﹁誰とでも気軽に話が出来る人。人と会った時でも話し合える環境を自然に作り出せる女性。話す時は控えめではあっても、必要な時は自分の意見をしっかり言える女性﹂ ●以上、1985年︵昭和60年︶、留学先のイギリスから帰国後の記者会見で、﹁︵自身の結婚相手として︶どのような方を妃として望むか﹂という質問に対して。 ●﹁人の心情、悩み、苦しみを推し量って、思いやれる人が良い﹂ ●以上、1986年︵昭和61年︶、誕生日記者会見でお妃の理想像を聞かれて。 ●﹁すぐ手の届くところに中世が存在する﹂ ●1983年︵昭和58年︶留学した、オックスフォード大マートンコレッジ︵1264年創立︶について。 ●﹁自分の意見をはっきり述べ、服装も︵日本の女性と比べて︶気取らず地味なのに感心しました﹂ ●留学して半年後、昭和58年12月の記者懇談で、英国の女子学生について。 ●﹁寮の部屋ごと、記念に持って帰りたい心境です﹂ ●1985年︵昭和60年︶10月オックスフォード大での留学を終えての感想[68]。 ●﹁心から祝福いたします。川嶋紀子さんは以前からよく遊びに来ており、妹のような気持ちで接しておりました︵中略︶弟と紀子さんとは非常によく合うと思います﹂ ●﹁川嶋家に色々問い合わせが来て、二人の間が不安定になっているのはよくないということもありました。二人の結婚は私も強く勧めたところです。私についてはマイペースでやっていきたいと考えております﹂ ●以上、1989年︵平成元年︶9月21日、記者会見にて、文仁親王の婚約についての質問に対して[69]。 ●﹁立太子宣明の儀が行われ、誠に身の引きしまる思いであります。皇太子としての責務の重大さを思い、力を尽くしてその務めを果たしてまいります﹂ ●1991年︵平成3年︶2月23日、立太子の礼にて[70]。 ●﹁皇室に入られるということには、いろいろな不安や心配がおありでしょうけれども、雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから﹂ ●1992年︵平成4年︶11月後半に交際中の小和田雅子︵当時︶にかけた言葉、婚約内定の記者会見にて雅子妃が披露した[71]。 ●﹁外交官としての雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあったことも事実です﹂[72] ●2004年︵平成16年︶、訪欧前の記者会見で。いわゆる人格否定発言。 ●﹁皇室典範に関する有識者会議が最終報告書を提出したこと、そしてその内容については、私も承知しています。親としていろいろと考えることもありますが、それ以上の発言は控えたいと思います﹂[73] ●2006年︵平成18年︶2月21日、誕生日に際する記者会見にて、皇室典範改正問題についての質問に対して。 ●﹁昨年9月の悠仁親王の誕生を心から喜ばしく思います。御所で、また、秋篠宮邸で、そしてまた、この赤坂御用地を弟夫妻が散歩で連れている折などに会うことがありますけれども、健やかに成長しているようで嬉しく思っております﹂[74] ●2007年︵平成19年︶2月21日、誕生日に際する記者会見にて、悠仁親王誕生についての質問に対して。 ●﹁両陛下のこれまでの歩みについては、常に深くご尊敬申し上げており、両陛下のご活動の一つ一つから多くを学んでまいりました﹂ ●2009年︵平成21年︶2月20日、誕生日に際する記者会見にて、第125代天皇明仁とその皇后美智子のこれまでの歩みについての質問に対して[75]。 ●﹁花園天皇の言われる﹃学問﹄とは、単に博学になるということだけではなくて、人間として学ぶべき道義や礼儀も含めての意味で使われた言葉です。私も五十歳になって改めて学ぶことの大切さを認識しています﹂ ●2010年︵平成22年︶2月、誕生日に際する記者会見にて﹃誡太子書﹄に言及して[76]。 ●﹁若い世代が国の内外で自信を持って活躍し、女性・高齢者・障害者を含め全ての人々が、社会に積極的に参画できるような活力のある社会を構築するために、︵中略︶私自身、今年も、国の内外で若者やボランティアの方々など多くの方にお会いしたいと思っています﹂ ●2013年︵平成25年︶2月21日、誕生日に際する記者会見にて、前年6月に20年ぶりに開催された﹁国連持続可能な開発会議﹂に言及して[77]。 ●﹁過去の天皇が歩んでこられた道と、そしてまた、天皇は日本国、そして国民統合の象徴であるとの日本国憲法の規定に思いを致して、国民と苦楽を共にしながら、国民の幸せを願い、象徴とはどうあるべきか、その望ましい在り方を求め続けるということが大切であると思います。同時に、これまで行われてきている公務を踏まえつつ、将来にわたり生じる日本社会の変化に応じて、公務に対する社会の要請に応えていくことが、重要であると考えております。私としても、常に学ぶ姿勢を忘れずに、他人への思いやりの心を大切にしながら、世の中のためにできることを心掛けてやっていきたいと思っております﹂ ●同記者会見にて、将来天皇となる立場から、公務をどのようなものと考えているのかという質問に対して。 ●﹁私、それから秋篠宮が折に触れて、陛下の所で、陛下のご意見を伺ったり、あるいはいろいろな意見交換をするということは、非常に私自身も大切なことだと思いますし、私自身も大変有意義な一時を過ごさせていただいております。陛下と折に触れてご質問の象徴天皇の在り方について、具体的にどういうことを話しているかは申し上げられませんけれども、陛下ご自身がいろいろ思われていること、あるいは体験されてきたことなどをお話しくださるので、私としても本当にいろいろと参考にさせていただいておりますし、大変有り難いことだと思っております﹂ ●同記者会見にて、御所での第125代天皇明仁と皇太子徳仁親王と秋篠宮文仁親王との懇談についての質問に対して ●﹁平成28年8月8日の天皇陛下のおことば以来、これから私が担うこととなる重責について、改めて思いを巡らせる機会も増えてきましたが、その度に、両陛下のこれまでの御苦労と御努力に感謝と尊敬の念を覚えます。また、両陛下から、様々な機会に、多くのお話を伺わせていただいていることも、今後公務に取り組んでいく際の大きな道標となるものであり、大変有り難いことと思っております。 ●これからのことを思うと、とても厳粛な気持ちになりますが、引き続き自己研鑽に努めながら、過去の天皇のなさりようを心にとどめ、国民を思い、国民のために祈るとともに、両陛下がなさっておられるように、国民に常に寄り添い、人々と共に喜び、あるいは共に悲しみながら、象徴としての務めを果たしてまいりたいと思います。また、以前も述べたとおり、私が長年携わってきました﹁水﹂問題についても、そのことを切り口に、豊かさや防災など、国民生活の安定と発展について考えを巡らせることもできると思います。日本の変化に富む豊かな国土は、同時に、自然災害、例えば台風や豪雨、津波などの影響を受けやすいことから、﹁水﹂問題への取組で得られた知見も、これからの務めの中で、国民生活の安定と発展を願い、また、防災・減災の重要性を考えていく上で、大切にいかしていきたいと思います。 ●皇室の将来像についての御質問については、男性皇族の割合が減り、高齢化が進んでいること、また、女性皇族は結婚により皇籍を離脱しなければならないということは、将来の皇室の在り方とも関係する問題です。ただ、制度に関わる事項については、私からこの場で言及することは控えたいと思います。 ●皇室の在り方に関しては、国民と心を共にし、苦楽を共にする皇室、ということが基本であり、これは時代を超えて受け継がれてきているものだと思います。過去の天皇が歩んでこられた道と、天皇は日本国及び日本国民統合の象徴であるとの日本国憲法の規定に思いを致し、国民と苦楽を共にしながら、国民の幸せを願い、象徴とはどうあるべきか、その望ましい在り方を求め続けることが大切であるとの考えは、今も変わっておりません。 ●同時に、その時代時代で新しい風が吹くように、皇室の在り方もその時代時代によって変わってくるものと思います。私も、過去から様々なことを学び、古くからの伝統をしっかりと引き継いでいくとともに、それぞれの時代に応じて求められる皇室の在り方を追い求めていきたいと思います。﹂ ●2019年︵平成31年︶2月21日、皇太子として迎える最後の誕生日︵59歳︶に際する記者会見にて︵場所‥東宮御所︶、﹁︵自身が︶新天皇として即位するまで残り2か月余りとなり、皇太子としての歩みを振り返るとともに、即位を控えた現在の心境や、新たな時代に臨む決意及び皇室全体で皇族の減少や高齢化が進んでいることを踏まえつつ、どのような皇室の将来像を描こうとしているのか﹂という質問に対して[78] ●﹁日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより、ここに皇位を継承しました。この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします。顧みれば、上皇陛下には御即位より、三十年以上の長きにわたり、世界の平和と国民の幸せを願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その強い御心を御自身のお姿でお示しになりつつ、一つ一つのお務めに真摯に取り組んでこられました。上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝を申し上げます。ここに、皇位を継承するに当たり、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、また、歴代の天皇のなさりようを心にとどめ、自己の研鑽に励むとともに、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望します。﹂ ●2019年︵令和元年︶5月1日、﹁即位後朝見の儀の天皇陛下のおことば﹂[79] ●﹁さきに、日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより皇位を継承いたしました。ここに﹃即位礼正殿の儀﹄を行い、即位を内外に宣明いたします。上皇陛下が三十年以上にわたる御在位の間、常に国民の幸せと世界の平和を願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その御心を御自身のお姿でお示しになってきたことに、改めて深く思いを致し、ここに、国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います。国民の叡智とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします。﹂ ●2019年︵令和元年︶10月22日、﹁即位礼正殿の儀の天皇陛下のおことば﹂[80] ●﹁上皇陛下の御退位を受け、昨年5月に即位して以来、国民の幸せを願いながら日々の務めを果たし、今日まで過ごしてきました。即位関係の諸行事を無事に終えることができ、安堵するとともに、国内外の多くの方々とお会いし、折々に温かい祝福を頂く機会も多かったこの1年は、私にとっても皇后にとっても誠に感慨深いものでした。その一方で、昨年も台風や大雨により、多くの尊い命が失われたことに心が痛みます。寒さも厳しい折、住まいを失い、いまだ御苦労の多い生活をされている多くの方々の身を案じております。本年は、災害がない1年となることを祈ります。新しい年が、日本と世界の人々にとって幸せな年となることを心より願いつつ、務めを果たしていきたいと考えています。﹂ ●2020年︵令和2年︶1月1日、天皇陛下のご感想︵新年に当たり︶[81] ●﹁御指摘のように、近年は特に変化の激しい時代です。例として挙げられたAI︵人工知能︶が数年前には今のように話題になっていなかったことや、今では当たり前に使われ、我々の生活を大きく変えているスマートフォンの普及、その一方で、各地で大きな被害をもたらす気候変動による自然災害の脅威が更に深刻になっていることなど、平成の初期と比べても、人々の生活環境は異なってきていると思います。このような変化の激しい時代にあって、社会の変化や時代の移り変わりに応じた形でそれに対応した務めを考え、行動していくことは大切なことであり、その時代の皇室の役割でもあると考えております。そのためにも、多くの人々と触れ合い、直接話を聞く機会を大切にしていきたいと考えています。同時に、先に述べましたとおり、常に国民を思い、国民に寄り添い、象徴としてあるべき姿を模索しながら務めを果たし、今後の活動の方向性についても考えていきたいと思っております。﹂ ●﹁即位の年齢については、歴代天皇の中では、より高齢で即位された天皇もおられますが、還暦を迎えるのに当たっては、もう還暦ではなく、まだ還暦という思いでおります。﹂ ●2020年︵令和2年︶2月21日、自身の還暦︵60歳︶のかつ即位後初の誕生日︵天皇誕生日‥2月23日︶に際しての赤坂御所での記者会見での発言抜粋[46]。 ●﹁この度の感染症の拡大は、人類にとって大きな試練であり、我が国でも数多くの命が危険にさらされたり、多くの人々が様々な困難に直面したりしていることを深く案じています。今後、私たち皆がなお一層心を一つにして力を合わせながら、この感染症を抑え込み、現在の難しい状況を乗り越えていくことを心から願っています。﹂ ●2020年︵令和2年︶4月10日、尾身茂新型コロナウイルス感染症対策専門家会議副座長 御進講時[82]。 ●﹁今年の正月は、新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、残念ながら一般参賀の場で皆さんに直接お話をすることができなくなりました。そこで、今回は、ビデオで新年の御挨拶をしようと思います。︵中略︶私たち人類は、これまで幾度も恐ろしい疫病や大きな自然災害に見舞われてきました。しかし、その度に、団結力と忍耐をもって、それらの試練を乗り越えてきたものと思います。今、この難局にあって、人々が将来への確固たる希望を胸に、安心して暮らせる日が必ずや遠くない将来に来ることを信じ、皆が互いに思いやりを持って助け合い、支え合いながら、進んで行くことを心から願っています。即位以来、私たちは、皆さんと広く接することを願ってきました。新型コロナウイルス感染症が収まり、再び皆さんと直接お会いできる日を心待ちにしています。そして、今年が、皆さんにとって、希望を持って歩んでいくことのできる年になることを心から願います。ここに、我が国と世界の人々の安寧と幸せ、そして平和を祈ります。﹂ ●2021年︵令和3年︶1月1日、皇后雅子同席での新年ビデオメッセージの内容抜粋。 ●﹁昨年も述べたとおり、皇室の在り方や活動の基本は、国民の幸せを常に願って、国民と苦楽を共にすることだと思います。そして、時代の移り変わりや社会の変化に応じて、状況に対応した務めを果たしていくことが大切であると思います。皇室を構成する一人一人が、このような役割と真摯に向き合い、国民の幸せを願いながら一つ一つの務めを果たし、国民と心の交流を重ねていく中で、国民と皇室との信頼関係が築かれていくものと考えております。同時に、皇室に関する情報をきちんと伝えていくことも大事なことと考えています。﹂ ●﹁週刊誌報道やインターネット上の書き込みについては、人々が自分の意見や考えを自由に表現できる権利は、憲法が保障する基本的人権として、誰もが尊重すべきものですし、人々が自由で多様な意見を述べ合える社会をつくっていくことは大切なことと思います。その中にあって、一般論になりますが、他者に対して意見を表明する際には、時に、その人の心や立場を傷つけることもあるということを常に心にとどめておく必要があると思います。他者の置かれた状況にも想像力を働かせ、異なる立場にあったり、異なる考えを持つ人々にも配慮し、尊重し合える寛容な社会が築かれていくことを願っております。﹂ ●2022年︵令和4年︶2月21日、自身の62歳の誕生日︵2月23日︶に際しての皇居・宮殿での記者会見での発言抜粋[83]。人物[編集]
逸話[編集]
●幼少時︵2歳頃︶の徳仁親王は、身体は活発だが器用な方ではなかった。しかし、何事にも非常に粘り強く頑張る性格で服のボタン留めなども丁寧にやりとげていた。学習院幼稚園時代、自転車をマスターする時にも、倒れて涙を見せても自分の力で立ち上がり自転車を起こしていた。しかし、4歳の時、﹁なぜ自分には苗字がないのか﹂と寂しそうに尋ねた。7歳の時には自分の立場を自覚し、一人で歓迎の人達に向かって挨拶をした。﹁男の子は泣くものではありません﹂としつけられていたが、弟の秋篠宮文仁親王が誕生しベビーベッドで泣いていたとき﹁アーヤは赤ちゃんだから泣いてもいいんだよね﹂と言ってかばった[84]。 ●趣味は、スポーツと音楽を中心に幅広く、特に日本各地の登山とヴィオラの演奏はしばしば国民の目をひく。登山に関しては、登山専門誌﹃岳人﹄や﹃山と渓谷﹄などに、幾度かエッセイも寄稿している。このエッセイでは、父と山に登ったときの思い出なども書かれ、文中では一般の敬語の原則に従い、上皇を﹁父﹂、上皇后を﹁母﹂と呼んだ。登山のほかにはテニスとジョギングを好む。普段は赤坂御用地内を走っているが、皇居を周回するジョギングコースで市民ランナーとともに走ったことが過去に3回ある。2007年︵平成19年︶は約10km︵2周︶を51分前後で走破し、その健脚ぶりを披露している。 ●ヴィオラは、友人知人や演奏家を招いた際などに私邸で演奏するほか、学習院OB演奏会のオーケストラなどで演奏することもある。元来ヴァイオリンを弾いていたが、学習院大学入学を機にヴィオラに転じた。 ●皇太子になる前には、ファンだったアイドル歌手の柏原芳恵コンサートに赴いたことが話題となった。1986年︵昭和61年︶10月19日、東京厚生年金会館ホール︵新宿区新宿︶でのコンサートで、出迎えた柏原がレコードと写真集をプレゼントした。そのお礼に彼女にバラ﹁プリンセスサヤコ﹂を贈っており、柏原はそのバラを永久保存している。カラオケで柏原の曲﹁ハロー・グッバイ﹂を歌うこともあった。 ●石川さゆりやサザンオールスターズのファンでもあることが理髪を担当していた人物の証言によって明かされている[85]。 ●学生時代にカラオケで﹁氷雨﹂を得意としていた[86]。学習院大卒業後、オックスフォード大に留学する年に参加した歌会始で叔父の常陸宮正仁親王︵父・明仁上皇の皇弟︶が﹁能登島にかかりし虹の消えしあとたちまちにしてまた氷雨ふる﹂という歌を詠っている[87]。 ●小学生の頃は読売ジャイアンツのファンで、そのユニフォームを着て野球に興じる姿を映した映像も残っている。末次利光を贔屓にしており、観戦した1971年の日本シリーズ第4戦で末次が満塁本塁打を放った際には大いに喜んだ[88]。元は長嶋茂雄のファンであった[89]が、観戦した1970年の日本シリーズ第3戦で末次が放った三塁打を見てファンになり、自らが着るユニフォームの背番号も長嶋の﹁3﹂から末次の﹁38﹂に変えたとされる[90]。1988年︵昭和63年︶の夏の甲子園の第70回全国高等学校野球選手権大会では開会式後の始球式を務めた[注釈 8] この大会については良い思い出として記憶していると語っていたことが雑誌記事に掲載され、21年後の2009年︵平成21年︶夏の甲子園の第91回全国高等学校野球選手権大会では開会式に親覧し、おことばを読み上げた。 ●阪神・淡路大震災に際しては被災者を見舞い、﹁春になればいいことがありますよ﹂と言葉をかけたと伝わる。地震の発生メカニズムについても興味を示し、地震研究所を訪問したと伝わる。この直前には中東︵クウェート、アラブ首長国連邦、ヨルダン︶を訪問中であり、外国訪問を継続する予定であったが、訪問先のヨルダンのフセイン国王の勧めで急遽予定を切り上げ、帰国した。ハーシミーヤ宮殿で会見し﹁訪問の約束は果たさなければと思っていましたが、はざまで難しかった﹂と語っている。その後、2010年︵平成22年︶までに、阪神・淡路大震災被災地訪問を12回行い[91]、15周年の追悼式典には療養中の妃雅子を伴って夫妻で臨席した[92]。研究者として[編集]
●歴史学︵交通史、流通史︶を専門としたきっかけは、﹁幼少時、母親の皇太子妃美智子︵当時︶と共に御用地を散策中に石碑を見つけたことだ﹂という。のちに﹁そもそも私は、幼少の頃から交通の媒介となる﹁道﹂について大変興味があった。ことに、外に出たくともままならない私の立場では、たとえ赤坂御用地の中を歩くにしても、道を通ることにより、今までまったく知らない世界に旅立つことができたわけである。私にとって、道はいわば未知の世界と自分とを結びつける貴重な役割を担っていたといえよう﹂と回想している[93]。小学生時代、赤坂御用地内にある道の一部がかつての鎌倉時代の古道であったことを知って交通への興味が募り、高学年で松尾芭蕉﹃奥の細道﹄を母とともに読破。学習院大学での中世瀬戸内海海運、オックスフォード大学でのテムズ川水運の研究へと発展した[94]。 ●第5回世界水フォーラムトルコでの開会式では、トルコ語で最後の呼びかけを行い、会場は割れるような拍手に沸いた。一方、基調講演では、弥生時代の唐古・鍵遺跡︵奈良県︶の環濠集落や、徳川家康が治水上の安全を根本的に向上させるために実施した利根川東遷事業の事例を引いて水問題を歴史の視点から語った。﹁殿下は水と人との関係を、開催国の歴史と日本の伝統を踏まえて具体的な事例を示して講演されるので、開催国と日本の間に﹁伝統の継承﹂という美しい橋を架ける﹂と尾田栄章︵建設省河川局長、世界水フォーラム事務局長ほか︶は[95]、補足解説している。外国滞在・訪問[編集]
●1984年︵昭和59年︶、英国オックスフォード大学への留学中、ロンドンサミット出席のため訪英していた中曽根康弘首相︵当時︶に、エリザベス2世英女王の夫エディンバラ公フィリップは﹁浩宮殿下は完全にロイヤル・ファミリーの一員となっています﹂と伝えた[96]。 ●2007年︵平成19年︶の モンゴル訪問においては、到着翌日に日本人抑留者の慰霊碑に供花した。﹁︵ソビエト連邦による︶シベリア抑留被害者のうち1万4000人がモンゴルに移送され、約2,000人が死亡していることに思いを寄せたため﹂という。このことに感謝した日本モンゴル協会の人々は、﹁大きな日の丸の旗を振って皇太子の車列を迎え、見送った﹂という[97]。 ●2017年︵平成29年︶のデンマーク訪問のときには、同国首都コペンハーゲン市民の自撮りに応じた[98]。公務︵国内︶[編集]
●1986年︵昭和61年︶石川県金沢市における全国高校相撲選手権大会で、原稿なしで堂々たるスピーチをしたことで大きな拍手が沸き起こった。﹁お言葉﹂を読み上げる以上の熱意を観衆が感じたためと思われる[99]。 ●沖縄県からの子ども達による記者﹁豆記者﹂の受け入れを、平成時代になってからは皇太子徳仁親王と同妃雅子︵いずれも当時︶が引き継いでおり、毎年8月に東宮御所で会見し、一人一人に声をかけ会話を重ねたという[100]。皇族として[編集]
●高円宮家とは、家族ぐるみで親しく交際していた。高円宮憲仁親王は自身とも年齢が近く、徳仁親王にとっては兄のような存在で、結婚後も二人の心の支えとなった。夫妻は結婚当日、赤坂御用地で家族揃って成婚祝賀パレードを終えた二人を迎えた。憲仁親王は﹁皇太子夫妻の待望の第1子であった愛子内親王の誕生をことのほか喜び、出産時の見舞いに先に妃たちだけが行くことになったのを非常に悔しがった﹂という。皇太子夫妻が憲仁親王と最後に会えたのは、憲仁親王が薨去する1週間前に愛子内親王を連れて高円宮邸を訪問した時だった[101]。 ●2006年︵平成18年︶9月6日、秋篠宮妃紀子が愛育病院で、今上天皇にとっての甥である第3子の悠仁親王を出産した際は、弟の秋篠宮からの電話連絡を受け、﹁ご無事のご出産おめでとう。妃殿下の手術が無事に終わることを祈っています。両殿下も親王殿下もお身体をお大切に﹂と祝意を述べた。北海道で公務中だった両親の天皇皇后の還幸︵同月9日︶と見舞い︵同月10日︶の後、自らは11日に妃雅子と愛子内親王を伴って一家で見舞いに訪れた。 ●徳仁親王は2007年︵平成19年︶の誕生日会見で、﹁︵愛子内親王が、︶︵自身の祖父母にあたる︶両陛下とお会いする機会を作っていきたい﹂と表明したが[102]、翌2008年︵平成20年︶2月13日の定例会見で羽毛田信吾宮内庁長官︵当時︶に﹁天皇皇后両陛下への参内︵訪問︶の回数が増えていないこと﹂を指摘された[103]。その直後の誕生日会見では羽毛田長官の発言に対し、﹁参内を心がけたい﹂として、﹁それ以上の内容は“プライベートな事柄”﹂として発言を控えた[104]。親族[編集]
姻族[編集]
2000年︵平成12年︶11月19日、皇太子妃雅子の実妹である小和田礼子の結婚披露宴︵東京都文京区︶に親覧した。2004年︵平成16年︶11月19日、祖母に当たる江頭寿々子が病床にあったときは、愛子内親王を伴って東京都目黒区の円融寺に見舞いに訪れており、2006年︵平成18年︶に雅子の祖父である江頭豊が死去した際には雅子に同行、東京都新宿区の千日谷会堂の葬儀に親覧している。栄典・称号[編集]
勲章[編集]
日本[編集]
- 大勲位菊花章頸飾‥2019年︵令和元年︶5月1日[67] - 大勲位菊花大綬章‥1980年︵昭和55年︶11月30日 - 桐花大綬章‥2019年︵令和元年︶5月1日[67] - 文化勲章‥2019年︵令和元年︶5月1日[67] - 日本赤十字社特別社員 - 日本赤十字社金色有功章 - ボーイスカウト日本連盟きじ章‥1989年[105]外国[編集]
オーストリア: オーストリア功労勲章 - (1999年) [106] バーレーン: カリフ勲章 - ドイツ‥連邦共和国功労勲章 - ベルギー: レオポルド勲章 - [107] デンマーク: エレファント勲章 - ︵2004年︶[108] ギリシャ : 贖主勲章 - ハンガリー: ハンガリー共和国功労勲章 - ︵2000年︶ イタリア : イタリア共和国功労勲章 - ︵1982年︿昭和57年﹀3月9日︶[109] ルクセンブルク‥ナッサウ家金獅子勲章 - マレーシア: 王冠勲章 - ︵2012年︶[110] オランダ: ネーデルラント獅子勲章 - ︵1991年︶ ノルウェー: 聖オーラヴ勲章 - ︵2001年︶ フィリピン: シカツナ勲章 - ︵2002年︶[111] ポルトガル : キリスト騎士団大十字章 - ︵1993年12月2日︶[112] カタール : 独立勲章 - スペイン : カルロス3世勲章 - ︵2008年︶[113] スウェーデン : 熾天使勲章 - ︵2007年︶[114] トンガ : ●トンガ王冠勲章 - ︵2008年︶[115] ●ジョージ・トゥポウ5世戴冠メダル︵2008年︶[116] ●トゥポウ6世戴冠メダル︵2015年︶ アラブ首長国連邦: ザーイド勲章︵1995年︶ - [117] ヨルダン: ルネッサンス勲章大綬章︵1995年︶ -名誉博士[編集]
●学習院大学︵法学︶名誉職[編集]
●日本赤十字社名誉副総裁︵ - 2019年︿平成31年﹀4月30日︶[118][119] ●公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会﹁東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会﹂名誉総裁︵2019年︿令和元年﹀7月24日 - 2021年︿令和3年﹀9月5日︶[120][121] ●﹁日デンマーク外交関係樹立150周年﹂日本側名誉総裁︵2017年︿平成29年﹀1月1日 - 12月31日︶[122] ●国際連合事務局﹁水と衛生に関する諮問委員会﹂名誉総裁︵2007年︿平成19年﹀11月1日 - 2015年︿平成27年﹀︶[123] ●﹁日本・スイス国交樹立150周年﹂日本側名誉総裁︵2014年︿平成26年﹀2月1日 - 12月31日︶[124] ●﹁日本スペイン交流400周年﹂日本側名誉総裁︵2013年︿平成25年﹀6月1日 - 2014年︿平成26年﹀7月31日︶[125] ●﹁日独交流150周年﹂日本側名誉総裁︵2010年︿平成22年﹀10月1日 - 2011年︿平成23年﹀12月31日︶[126] ●﹁日本メキシコ交流400周年﹂日本側名誉総裁︵2009年︿平成21年﹀ - 2010年︿平成22年﹀︶[127] ●﹁日本ブラジル交流年︵日伯交流年︶﹂日本側名誉総裁︵2008年︿平成20年﹀1月11日 - 12月31日︶[128] ●2007年ユニバーサル技能五輪国際大会名誉総裁︵2007年︿平成19年﹀1月18日 - 2007年︿平成19年﹀11月21日︶[129] ●﹁日本におけるドイツ2005/2006﹂日本側名誉総裁[130] ●2005年日本国際博覧会名誉総裁︵2002年︿平成14年﹀6月29日 - 2005年︿平成17年﹀9月25日︶[131][132] ●﹁Japan 2001﹂名誉総裁[注釈 9][133] ●国際花と緑の博覧会名誉総裁︵1989年︿平成元年﹀ - 1990年︿平成2年﹀9月30日︶[注釈 10][132]著作[編集]
●﹃テムズとともに -英国の二年間-﹄学習院総務部広報課︿学習院教養新書﹀、1993年2月。各﹁徳仁親王﹂名義 ●﹃テムズとともに : 英国の二年間﹄紀伊國屋書店、2023年4月。ISBN 978-4314012003。 - 新版 ●﹃水運史から世界の水へ﹄NHK出版、2019年4月。ISBN 978-4140817728。 - 講演集 以下は寄稿、講演録ほか ●﹁兵庫北関入船納帳の一考察-問丸を中心にして﹂、﹃交通史研究﹄第8号、交通史学会、1982年 ●H.I.H PRINCE NARUHITO THE THAMES AS HIGHWAY ︵交通路としてのテムズ川︶、Oxford University Press、1989年 ●﹁室町前中期の兵庫関の二、三の問題﹂、安田元久先生退任記念論集刊行委員会編﹃中世日本の諸相・下巻﹄、吉川弘文館、1989年、ISBN 4642026290 ●﹁18世紀テムズ川における輸送船舶及び輸送業者について﹂、﹃地学雜誌﹄第100巻 第1号 p. 3-18、公益社団法人東京地学学会、1991年, doi:10.5026/jgeography.100.1_3 ●﹁皇太子さまが綴られた野の花,山の花への思い 山の花随想﹂、﹃岳人﹄1997年6月号︵通号600︶ ●﹁西園寺家所蔵﹁河瀬清貞山城国美豆牧代官職請文﹂について﹂、﹃学習院大学史料館紀要﹄第10号、学習院大学史料館、1999年 ●︵木村真美子共著︶﹁史料紹介 西園寺家所蔵﹃公衡公記﹄﹂﹁﹃西園寺家車図﹄諸本の研究—附、宮内庁書陵部所蔵九条本﹃西園寺家車図﹄翻刻﹂、﹃学習院大学史料館紀要﹄第11号、学習院大学史料館、2001年3月 ●﹁関銭-兵庫関 兵庫北関代官職請文﹂、﹃東大寺文書を読む﹄堀池春峰監修・綾村宏‥編、思文閣出版、2001年5月、ISBN 4-7842-1074-1 ●︵木村真美子共著︶﹁忘れられた車図 : 陽明文庫所蔵﹃納言大将車絵様﹄および﹃車絵﹄について﹂、﹃学習院大学史料館紀要﹄第12号、学習院大学史料館、2003年, hdl:10959/4092 ●︵木村真美子共著︶﹁﹃九条家車図﹄の成立をめぐって : 附、学習院大学史料館所蔵飛鳥井本﹃九条家車図﹄解題および翻刻﹂、﹃学習院大学史料館紀要﹄第14号、学習院大学史料館、2007年, hdl:10959/4093 ●︵木村真美子共著︶﹁東山御文庫所蔵﹁立倚子政記﹂﹂、﹃学習院大学史料館紀要﹄第15号、学習院大学史料館、2009年, hdl:10959/4094 ●﹁史料館講座講演録 目白キャンパスの思い出﹂、﹃学習院大学史料館紀要﹄第16号、学習院大学史料館、2010年 ●﹁水災害とその歴史﹂、﹃東日本大震災復興を期して-知の交響︵ハーモニー︶﹄学習院女子大学編、東京書籍、2012年、ISBN 978-4-487-80729-1 ●﹁江戸と水﹂﹃地学雑誌﹄2014年 123巻4号 p. 389-400、- 2009年日本アジア協会総会で行なった講演の日本語訳。 ●﹁前近代の﹁御料車﹂-牛車と鳳輦・葱華輦-﹂、﹃御料車と華族の愛車﹄︵非売品、800部限定︶霞会館、2019年[94]。脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
関連項目[編集]
- 明仁から徳仁への皇位継承
- 水の危機 - 国際連合「水と衛生に関する国連諮問委員会」の主題。
- ウィキメディア・コモンズには、徳仁に関するカテゴリがあります。
台灣嶼議題。
外部リンク[編集]
- 天皇皇后両陛下 - 宮内庁
- 天皇皇后両陛下のご活動 - 宮内庁
- 皇太子徳仁親王の結婚の儀の行われる日を休日とする法律( ウィキソース)
- 皇太子徳仁親王の婚姻を記念するための五万円の貨幣の発行に関する法律
- 誕生時のニュース映像 - British Pathe
- 美智子さま 男子をご出産 - NHK放送史
- 1960年 浩宮徳仁さま誕生 東京は奉祝ムード(1960年2月)【映像記録 news archive】 - YouTube(TBS NEWS)
- 浩宮さまの成年式 - NHK放送史
- 天皇陛下 成年式「朝見の儀」(1980年2月23日) - YouTube(TBS NEWS)
- 皇太子さま・雅子さまご結婚 - NHK放送史
- 新元号は「令和」 皇太子さまが天皇即位 - NHK放送史
- 天皇陛下御即位記念貨幣を発行します - 財務省
- 蘇る昭和の記録 昭和天皇とその時代 第二巻企画・製作:日本記録映画社 NPO法人科学映像館 - 1961年12月の映像
徳仁 | ||
日本の皇室 | ||
---|---|---|
先代 明仁(上皇) |
皇位 第126代天皇 2019年5月1日 - 現在 令和元年5月1日 - 現在 |
次代 (皇嗣) (皇位継承順位第1位) 秋篠宮文仁親王 |