ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
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ヴィルヘルム・フルトヴェングラー Wilhelm Furtwängler | |
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![]() ヴィルヘルム・フルトヴェングラー | |
基本情報 | |
生誕 |
1886年1月25日![]() |
死没 |
1954年11月30日(68歳没)![]() |
職業 | 指揮者・作曲家・ピアニスト |
活動期間 | 1906年 - 1954年 |
レーベル | EMI DG |
クラシック音楽 |
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作曲家 |
ア-カ-サ-タ-ナ ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
音楽史 |
古代 - 中世 ルネサンス - バロック 古典派 - ロマン派 近代 - 現代 |
楽器 |
鍵盤楽器 - 弦楽器 木管楽器 - 金管楽器 打楽器 - 声楽 |
一覧 |
作曲家 - 曲名 交響曲 - ピアノ協奏曲 ピアノソナタ ヴァイオリン協奏曲 ヴァイオリンソナタ チェロ協奏曲 フルート協奏曲 弦楽四重奏曲 - オペラ 指揮者 - 演奏家 オーケストラ - 室内楽団 |
音楽理論/用語 |
音楽理論 - 演奏記号 |
演奏形態 |
器楽 - 声楽 宗教音楽 |
イベント |
音楽祭 |
メタ |
ポータル - プロジェクト カテゴリ |
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー︵Wilhelm Furtwängler, 1886年1月25日ベルリン - 1954年11月30日バーデン・バーデン︶はドイツの指揮者。作曲活動、ピアノ演奏活動も行った。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督。
概要
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カラヤンの前にベルリン・フィルの音楽監督を務め、20世紀を代表する指揮者とされる。ベートーヴェン、ブラームス、ワーグナー等のドイツ本流を得意とした。ロマン派のスタイルを継承した演奏で、ライバルのトスカニーニとは対極をなした。スコアの深読みにかけては今なおその追随を許さず、燃えれば限りなく燃え上がり、落ち込めばどん底まで落ち込む、この落差は曲のフォルムをとらえるというより、人間の情念をえぐりだすものと言われる。現在でも続々と発売されるCDは熱烈なマニアを生み続け、その存在はあたかも教祖のごとく、彼の足音を録音したCDまで出ているほどである。バイロイトでの第九が代表的な名演といわれる。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f3/DBPB_1955_128_Wilhelm_Furtw%C3%A4ngler.jpg/220px-DBPB_1955_128_Wilhelm_Furtw%C3%A4ngler.jpg)
フルトヴェングラー没後1周年に発行された記念切手︵1955年︶
本人は自分のことを作曲家とみなしていた。作曲家としては評価されているとは言い難いが、近年では録音も増えつつある。
略年譜
●1886年 ベルリンにて誕生。正式な洗礼名はグスタフ・ハインリヒ・エルンスト・マルティン・ヴィルヘルム︵Gustav Heinrich Ernst Martin Wilhelm︶。父は考古学者アドルフ。 ●1906年 カイム管弦楽団︵現在のミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団︶を指揮しデビュー。 ●1920年 音楽学者ハインリヒ・シェンカーと親しく交わる。 ●1922年 同年死去したアルトゥール・ニキシュの後任として、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団およびベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就任。 ●1927年 フェーリクス・フォン・ヴァインガルトナーの後継としてウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就任。 ●1933年 ベルリン国立歌劇場でワーグナーの﹁マイスタージンガー﹂を指揮した際、ヒトラーと握手している写真を撮影される。 ●1934年 ヒンデミット事件によりナチスと対立。 ●1936年 ニューヨーク・フィルの次期音楽監督にトスカニーニから指名されるが、ナチスの妨害により破談。 ●1938年 ドイツのオーストリア併合後、ナチスによるウィーン・フィル解散を阻止。 ●1939年 第二次世界大戦が勃発するがドイツに残る。国内のユダヤ人音楽家を庇護。 ●1945年 ●2月 ウィーン・フィルの定期演奏会後にスイスへ亡命。 ●5月 戦時中のナチ協力を疑われ、演奏禁止処分を受ける。 ●1947年 ﹁非ナチ化﹂裁判の無罪判決をうけ、音楽界に復帰。ベルリン・フィルの終身指揮者に。 ●1948年 シカゴ交響楽団の常任指揮者就任の要請を受けるが、ユダヤ系からの抗議により破談。 ●1951年 バイロイト音楽祭再開記念演奏会でベートーヴェンの交響曲第9番を指揮︵7月29日︶。 ●1954年 肺炎により死去。68歳。主な録音
初録音は公式には1926年のベートーヴェンの交響曲第5番とウェーバーの﹁魔弾の射手﹂序曲と記録されている。 ●ベートーヴェン/交響曲第5番﹁運命﹂︵ベルリン・フィル 1937年スタジオ録音︶ ●シューベルト/交響曲第9番﹁ザ・グレイト﹂︵ベルリン・フィル 1942年演奏会ライヴ録音︶ ●ベートーヴェン/交響曲第9番﹁合唱付﹂︵ベルリン・フィル 1942年演奏会ライヴ録音︶ ●ベートーヴェン/交響曲第3番﹁英雄﹂︵ウィーン・フィル 1944年放送録音︶ ●ベートーヴェン/交響曲第5番﹁運命﹂︵ベルリン・フィル 1947年5月25〜29日 演奏会ライヴ録音 現存しているのは25日と27日の演奏で、特に27日の録音が有名︶ ●ワーグナー/﹁ニーベルングの指環﹂全曲︵スカラ座 1950年ライヴ録音&ローマRAI放送 1953年放送録音︶ ●ベートーベン/交響曲第7番︵ウィーン・フィル 1950年スタジオ録音︶ ●ベートーヴェン/交響曲第9番﹁合唱付﹂︵1951年7月29日 バイロイト音楽祭再開記念演奏会ライヴ録音。英EMIが録音したのと独バイエルン放送協会が録音した2種類存在し、2007年から話題になっている。︶ ●ワーグナー/﹁トリスタンとイゾルデ﹂︵1952年 スタジオ録音︶ ●ベートーヴェン/交響曲第3番﹁英雄﹂︵ウィーン・フィル 1952年11月26、27日スタジオ録音︶ ●シューマン/交響曲第4番︵ベルリン・フィル 1953年5月スタジオ録音︶ ●ベートーヴェン/交響曲第5番﹁運命﹂︵ウィーン・フィル 1954年2月28日&3月1日 スタジオ録音[1]︶ ●ワーグナー/﹁ワルキューレ﹂全曲︵ウィーン・フィル 1954年スタジオ録音︶映像
1954年ザルツブルク音楽祭におけるモーツァルトの﹁ドン・ジョヴァンニ﹂、1942年AEGによる慰問演奏会での﹃ニュルンベルクのマイスタジンガー﹄第一幕前奏曲などが存在する。主な初演作品
●バルトーク/ピアノ協奏曲第1番 - ピアノ:バルトーク、劇場管弦楽団(Theater Orchestra) 1927年7月1日 フランクフルト ●シェーンベルク/管弦楽のための変奏曲作品31 - ベルリン・フィル 1928年12月2日 ベルリン ●ヒンデミット/交響曲﹃画家マティス﹄ - ベルリン・フィル 1934年3月11日 ベルリン ●リヒャルト・シュトラウス/﹃4つの最後の歌﹄ - ソプラノ‥キルステン・フラグスタート、フィルハーモニア管弦楽団 1950年5月22日 ロンドン︵初演時、あるいは直前のドレス・リハーサルによるとされる録音が現存している︶ ●プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第5番 - 作曲者のピアノ。作品
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f3/DBPB_1955_128_Wilhelm_Furtw%C3%A4ngler.jpg/220px-DBPB_1955_128_Wilhelm_Furtw%C3%A4ngler.jpg)
交響曲
交響曲第1番ロ短調 (1941年) 交響曲第2番ホ短調 (1945〜47年) ベルリンフィルやウィーンフィルなどを振った自作自演の録音が複数存在する。 交響曲第3番嬰ハ短調 (1947年〜54年)その他の作品
ヴァイオリン・ソナタ︵2曲︶、ピアノ五重奏曲、テ・デウム、歌曲、ピアノと管弦楽のための交響的協奏曲、2つの幻想曲︵ピアノ︶ピアニスト
エリーザベト・シュヴァルツコップの1953年ザルツブルク音楽祭に於けるヴォルフ没後50年を記念したオール・ヴォルフ・プログラムによるリサイタルを伴奏した録音及び、ウィーン・フィルハーモニーとの演奏会に於けるバッハのブランデンブルク協奏曲第五番の録音が残る。主要な著作
フルトヴェングラーは評論、文筆活動にも積極的で、著作物も多く残している。 ●音と言葉︵Ton und Wort︶ フルトヴェングラーの主著で、フルトヴェングラーが各方面の雑誌に載せた論文や講演会での講演をまとめたもので、没後の1956年、ドイツのブロックハウス社︵Brockhaus︶から上梓された。主要論文﹁ヴァーグナー問題〜ニーチェ風の随想﹂をはじめ、現代の音楽、社会に対する鋭い慧眼と哲学的考察を持って書かれた論考32編が収められている。中には有名な﹁ヒンデミット事件﹂︵Der Fall Hindemith︶も含まれている。日本語訳は芦津丈夫訳で白水社から出版されており、1996年には新装版も新たに出版された。 ●音楽ノート︵遺稿集︶︵Vermächtnis︶ フルトヴェングラーの没後に残された最終的な推敲を経ていない論考をまとめた本。最終的な推敲を経ていないとはいえ、ほぼ完全な形でまとまったものがほとんどである。特に、﹁音と言葉﹂には見られない指揮者自身の役割、フルトヴェングラーの指揮に対する考え方を率直に示した論考も含まれ、極めて貴重である。同時にフルトヴェングラーが自身のカレンダーに記していた覚書も﹁カレンダーより﹂として収められている。フルトヴェングラー没後の1956年にこれもドイツのブロックハウス社から出版された。日本語版も同様に芦津丈夫の訳で白水社から出版されている。また、1996年の新装版では、従来版で割愛されていた青年期の論考1編も新たに収められた。 その他にもワルター・アーベントロートとの対談が収められた﹁音楽を語る﹂などがある。フランク・ティース編纂の書簡集も白水社から出版されている。脚注
(一)^ 同録音は、東芝が1955年に初めて出したLPレコードとなった︵規格番号‥HA-1001︶。関連項目
●シェンカー理論 フルトヴェングラーに影響を与えたハインリヒ・シェンカーの音楽理論 ●ヒンデミット事件 ●クラシック音楽の指揮者一覧参考文献
●サム・H・シラカワ、中矢一義訳・桧山浩介協力﹁作曲家フルトヴェングラーと現在の評価﹂﹃悪魔の楽匠 レコーディングから探る巨匠フルトヴェングラーの実像﹄レコード芸術1994年12月号、音楽之友社、1994年外部リンク
●日本フルトヴェングラー協会 ●THE WILHELM FURTWANGLER CENTRE OF JAPAN ︵フルトヴェングラー・センター︶ - フランス、アメリカ、イギリスにも同様の組織が存在する
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