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1905年︵明治38年︶生まれ。[[1928年]]に[[東京帝国大学]][[物理学科]]を卒業後、同大学で助手となり、[[1931年]]、[[東北大学]]物理学教室の助手となる。その後、東京帝国大学に戻り講師を務めた後、[[1942年]]に[[東京文理科大学 (旧制)|東京文理科大学]]の教授となった。[[1968年]]、[[東京教育大学]]を定年退官。名誉教授になった後、同年に学長に就任したが病気を理由に翌[[1969年]]に退任した。その後は[[読売理工医療福祉専門学校|東京理工専門学校]]︵現在の読売理工医療福祉専門学校︶の初代校長に就任して理工系[[技術者]]の育成に当たった<ref>{{Cite journal|和書|author=大橋秀雄 |title=三輪光雄先生のご逝去を悼む |url=https://doi.org/10.14935/jssej.2.74 |journal=科学教育研究 |ISSN=0386-4553 |publisher=日本科学教育学会 |year=1978 |volume=2 |issue=2 |pages=74 |doi=10.14935/jssej.2.74}}</ref>。
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専門分野は物理学の中でも[[原子核]]に関する分野で、[[1957年]]には原子核研究のための当時日本最大の[[加速器]]、[[ベータトロン]]の建設に携わった。1978年(昭和53年)7月28日に[[心筋梗塞]]のため[[東京都]][[世田谷区]]の[[公立学校共済組合関東中央病院|関東中央病院]]にて死去。73歳<ref>訃報欄 三輪光雄(みわ・みつお = 元東京教育大学学長)</ref>。 |
専門分野は物理学の中でも[[原子核]]に関する分野で、[[1957年]]には原子核研究のための当時日本最大の[[加速器]]、[[ベータトロン]]の建設に携わった。1978年(昭和53年)7月28日に[[心筋梗塞]]のため[[東京都]][[世田谷区]]の[[公立学校共済組合関東中央病院|関東中央病院]]にて死去。73歳<ref>訃報欄 三輪光雄(みわ・みつお = 元東京教育大学学長)</ref>。 |
2024年1月21日 (日) 04:08時点における版
三輪 光雄︵みわ みつお、1905年︵明治38年︶ - 1978年︵昭和53年︶7月28日︶は、日本の原子核物理学者。教育者。
経歴
1905年︵明治38年︶生まれ。1928年に東京帝国大学物理学科を卒業後、同大学で助手となり、1931年、東北大学物理学教室の助手となる。その後、東京帝国大学に戻り講師を務めた後、1942年に東京文理科大学の教授となった。1968年、東京教育大学を定年退官。名誉教授になった後、同年に学長に就任したが病気を理由に翌1969年に退任した。その後は東京理工専門学校︵現在の読売理工医療福祉専門学校︶の初代校長に就任して理工系技術者の育成に当たった[1]。 専門分野は物理学の中でも原子核に関する分野で、1957年には原子核研究のための当時日本最大の加速器、ベータトロンの建設に携わった。1978年︵昭和53年︶7月28日に心筋梗塞のため東京都世田谷区の関東中央病院にて死去。73歳[2]。著作
- 『高校A級物理1,2計算問題集』(共著)昇龍堂出版 1975年
- 『詳解物理1 : 計算問題の解き方』 昇龍堂出版 1974年
- 『研修物理』 昇龍堂出版 1964年
- 『理論応用 物理学演習 第4』 森北出版 1964年
- 『物理学 : 大学教養』 森北出版 1956年
- 『物理実験学 : 原子核物理学 第10巻』(共著)河出書房 1940年
脚注
(一)^ 大橋秀雄﹁三輪光雄先生のご逝去を悼む﹂﹃科学教育研究﹄第2巻第2号、日本科学教育学会、1978年、74頁、doi:10.14935/jssej.2.74、ISSN 0386-4553。
(二)^ 訃報欄 三輪光雄︵みわ・みつお = 元東京教育大学学長︶