「中華」の版間の差分
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** 「中華」と「[[中華思想]]」を区別する例も多いが、本来は「中華」という言葉自体が「華夷[[思想]]」を意味する。 |
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**中華を世界の中心とする解釈は、非中華(非文明=他文明)地域を方角によって[[南蛮]](なんばん)・[[東夷]](とおい・とうい)・[[北狄]](ほくてき)・[[西戎]](せいじゅう)と呼び区別または差別したことにはじまる。 |
**中華を世界の中心とする解釈は、非中華(非文明=他文明)地域を方角によって[[南蛮]](なんばん)・[[東夷]](とおい・とうい)・[[北狄]](ほくてき)・[[西戎]](せいじゅう)と呼び区別または差別したことにはじまる。 |
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* 中華を主張する地域において、また本来の意味において中華は「[[文明圏]]」を意味する。華の外の地域(外世界)は、 |
* 中華を主張する地域において、また本来の意味において中華は「[[文明圏]]」を意味する。華の外の地域(外世界)は、野蛮や未開を意味する「'''夷狄'''」とされる。 |
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== 中華 == |
== 中華 == |
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*「中華とは、宇宙唯一の文明ということである。(中略)華が |
*「中華とは、宇宙唯一の文明ということである。(中略)華が文明である限りは野蛮(夷)がなければならない。具体的に──政治的地理的に──言えば、華はまわりを野蛮国でかこまれていてこその華である」(司馬遼太郎『この国のかたち』より) |
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** 「中華」とは自分達を華(文明)の中にあるとする |
** 「中華」とは自分達を華(文明)の中にあるとする選民的な価値観であり、華の外世界を野蛮や未開を意味する「'''[[夷狄]]'''」「'''[[化外の地|化外]]'''」「'''[[戎狄]]'''」「'''[[蛮夷]]'''」などの蔑称で呼び、歴史的に区別または否定してきた。したがって中華と非中華の間には対等な外交は成立せず、[[19世紀]]のある時期まで[[朝貢]]関係としてのみの関係が結ばれた。 |
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**︵したがって本来の意味を客観的に解釈したなら、日本人が中華と呼んで認めることは、華の外にある日本を﹃夷狄・ |
**(したがって本来の意味を客観的に解釈したなら、日本人が中華と呼んで認めることは、華の外にある日本を『夷狄・化外の地』野蛮・未開とすることになる。当然のことながら彼らの名乗る『華人』とは文明人を意味し、中華街も『文明圏内の街』の意であり、中華料理も同様である) |
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*また中華は漢民族文明として一般的に認識されているが、近年の研究︵謝小東︵シエ・シャオドン︶副教授の遺伝子調査など︶によって、 |
*また中華は漢民族文明として一般的に認識されているが、近年の研究(謝小東(シエ・シャオドン)副教授の遺伝子調査など)によって、漢民族の定義自体が名目上(中国的正統主義による考え)であり、遺伝子的には現存していないとする調査結果も出てきている。 |
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* 言葉としての'''中華'''の始まり。 |
* 言葉としての'''中華'''の始まり。 |
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** 中華の語源は[[北宋]]時代に[[司馬光]]の書いた﹃[[資治通鑑]]﹄であるとする説もあるが、﹃[[晋書]]﹄に[[桓温]]が都[[洛陽市|洛陽]]に帰国したいと願って曰く﹁彊胡陵暴,中華蕩覆,狼狽失據。︵列傳第六十八/桓温 子熙 濟 歆 禕 偉 孟嘉︶﹂、﹁所以防夷狄之亂中華,其備豫如此︵巻101 載記第一︶﹂、今年國滅,吾必死之,卿等中華之士,復為文身矣︵卷一百二十八 載記第二十八/慕容超 慕容鍾 封孚︶﹂という用例が見られ、﹃[[北斉書]]﹄巻二十一・高乾伝に﹁于時,鮮卑共軽中華朝士,唯憚服於昂。﹂ という用例が出ている。
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** 中華の語源は[[北宋]]時代に[[司馬光]]の書いた﹃[[資治通鑑]]﹄であるとする説もあるが、﹃[[晋書]]﹄に[[桓温]]が都[[洛陽市|洛陽]]に帰国したいと願って曰く﹁彊胡陵暴,中華蕩覆,狼狽失據。︵列傳第六十八/桓温 子熙 濟 歆 禕 偉 孟嘉︶﹂、﹁所以防夷狄之亂中華,其備豫如此︵巻101 載記第一︶﹂、今年國滅,吾必死之,卿等中華之士,復為文身矣︵卷一百二十八 載記第二十八/慕容超 慕容鍾 封孚︶﹂という用例が見られ、﹃[[北斉書]]﹄巻二十一・高乾伝に﹁于時,鮮卑共軽中華朝士,唯憚服於昂。﹂ という用例が出ている。
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** 北宋説の語源は、北族出身〔[[沙陀族]]系〕とされる[[北宋]]人が新興北族勢力である[[契丹]]に対し、主に国内向けて「契丹は夷狄であり、自分達こそが[[漢族]]であり支配の正統性がある中華であると」主張したことに始まる、という説である。 |
** 北宋説の語源は、北族出身〔[[沙陀族]]系〕とされる[[北宋]]人が新興北族勢力である[[契丹]]に対し、主に国内向けて「契丹は夷狄であり、自分達こそが[[漢族]]であり支配の正統性がある中華であると」主張したことに始まる、という説である。 |
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*自分達(中華)以外は夷狄(野蛮・未開とする)とする選民的な考え方は、[[儒教]]を国教化した[[前漢]]の[[武帝 (漢)|武帝]]時代(紀元前159〜89)の頃にはすでにあったとされる。その根拠の一例として、周辺の国や民族に対して差別的な名称(例:[[ワイ人|濊]]、[[ワイ貊|貊]]など)が使用されたり、中華での国名が[[秦]]、[[漢]]、[[隋]]、[[唐]]のように一字表記なのに対して、華の外(夷狄)とされた国や民族は[[匈奴]]、[[鮮卑]]、[[東胡]]、[[烏丸]]のような二字以上の表記がされたことがあげられる。このような中華の根底には儒教での序列(順位)を絶対視する価値観があるとされ、司馬遼太郎は著書の中で「 |
*自分達(中華)以外は夷狄(野蛮・未開とする)とする選民的な考え方は、[[儒教]]を国教化した[[前漢]]の[[武帝 (漢)|武帝]]時代(紀元前159〜89)の頃にはすでにあったとされる。その根拠の一例として、周辺の国や民族に対して差別的な名称(例:[[ワイ人|濊]]、[[ワイ貊|貊]]など)が使用されたり、中華での国名が[[秦]]、[[漢]]、[[隋]]、[[唐]]のように一字表記なのに対して、華の外(夷狄)とされた国や民族は[[匈奴]]、[[鮮卑]]、[[東胡]]、[[烏丸]]のような二字以上の表記がされたことがあげられる。このような中華の根底には儒教での序列(順位)を絶対視する価値観があるとされ、司馬遼太郎は著書の中で「儒教とは、華(文明)であるにはどうすればいいかという宗教であり、野蛮を悪としてきた」と記している。 |
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*華︵文明︶の意味は、本来﹁'''﹃[[中原]]﹄︵河南省地域︶とそこに発祥した文明'''﹂をさすが、歴史的に見て[[五胡十六国]]・[[隋]]︵[[鮮卑族]]︶・[[唐]]︵鮮卑族︶・[[五代]]︵[[沙陀族]]︶・[[宋]]︵沙陀族︶・[[元 (王朝)|元]]︵[[モンゴル族]]︶・[[金 (王朝)|金]]︵[[女真族]]︶・[[清]]︵女真族︶などの他民族の流入と他民族王朝支配に加えて︵ |
*華︵文明︶の意味は、本来﹁'''﹃[[中原]]﹄︵河南省地域︶とそこに発祥した文明'''﹂をさすが、歴史的に見て[[五胡十六国]]・[[隋]]︵[[鮮卑族]]︶・[[唐]]︵鮮卑族︶・[[五代]]︵[[沙陀族]]︶・[[宋]]︵沙陀族︶・[[元 (王朝)|元]]︵[[モンゴル族]]︶・[[金 (王朝)|金]]︵[[女真族]]︶・[[清]]︵女真族︶などの他民族の流入と他民族王朝支配に加えて︵漢王朝以前の秦や楚も中原の外である︶、周辺地域︵華の外︶からの文明が流入︵稲作・仏教・鉄器・衣服など︶して影響を与え続け、現在では外国︵華の外︶の影響を受けた制度・仕事・道具・衣服・建物などに囲まれた生活をおくっている。中華とは現実よりも儒教的思想にそった考え方であり当初の形より変化したものである。
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== 日本での呼称変化 == |
== 日本での呼称変化 == |
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*江戸時代までは、一般に﹃'''唐︵から︶・唐土︵もろこし︶'''﹄などと呼称していたが︵例‥[[唐物]]、[[唐染め]]など︶、[[明治時代]]に入ると、清朝の存在を否定する革命家達とその賛同者によって王朝名の﹃'''清'''﹄ではなく﹃'''支那'''﹄の呼び名が広められた。例えば |
*江戸時代までは、一般に﹃'''唐︵から︶・唐土︵もろこし︶'''﹄などと呼称していたが︵例‥[[唐物]]、[[唐染め]]など︶、[[明治時代]]に入ると、清朝の存在を否定する革命家達とその賛同者によって王朝名の﹃'''清'''﹄ではなく﹃'''支那'''﹄の呼び名が広められた。例えば革命に失敗し日本に亡命していた[[宗教仁]]は、東京で機関誌﹁'''二十世紀之支那'''﹂を発行、同じく日本に留学した後に[[中華民国]]を建国した革命家の[[孫文]]も、1914年首相の[[大隈重信]]に宛てた書簡の中身で、支那29回、支那革命1回、支那国民2回、支那人1回の合計34回を使用していた。しかし戦後︵第二次大戦後︶、中華民国は美称である中華の呼称(または逆差別的な呼称)を使うよう日本に要求し、現在のように報道から消える事となった。
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*<※ちなみに『'''支那'''(シナ)』とは外国表記での'''chaina'''(チャイナ)や'''china'''(チナ)と同じく、彼の地での最初の統一王朝である『[[秦]]』([[始皇帝]]で有名)の訛り読みの1つであり、インド地域の[[サンスクリット語]]での呼び名(発音)であったシナを当て字にして逆輸入したものとされ、『[[宋書]]』などに記載が残る> |
*<※ちなみに『'''支那'''(シナ)』とは外国表記での'''chaina'''(チャイナ)や'''china'''(チナ)と同じく、彼の地での最初の統一王朝である『[[秦]]』([[始皇帝]]で有名)の訛り読みの1つであり、インド地域の[[サンスクリット語]]での呼び名(発音)であったシナを当て字にして逆輸入したものとされ、『[[宋書]]』などに記載が残る> |
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