今井清一
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人物情報 | |
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生誕 |
1924年2月7日![]() |
死没 | 2020年3月9日 (96歳没) |
出身校 | 東京帝国大学 |
学問 | |
研究分野 | 歴史学・政治学 |
研究機関 | 横浜市立大学 |
今井 清一︵いまい せいいち、 1924年︿大正13年﹀2月7日 - 2020年︿令和2年﹀3月9日[1]︶は、日本の歴史学者・政治学者。横浜市立大学名誉教授。専門は日本近現代史・政治史。
略歴[編集]
1924年、群馬県前橋市に生まれる。群馬県立前橋中学校︵現、群馬県立前橋高等学校︶、第一高等学校を経て、1942年東京帝国大学法学部政治学科に入学し[2]、1945年9月卒業。1947年、東京帝国大学大学院に入学。 卒業後は1952年より横浜市立大学専任講師となり、1955年より同校助教授、1960年同校教授をつとめた。1991年より湘南国際女子短期大学教授を務めた。2020年3月9日、肺炎のため死去[1]。96歳没。墓所は多磨霊園。業績・研究内容[編集]
丸山眞男に学び、1955年藤原彰・遠山茂樹との共著﹃昭和史﹄は亀井勝一郎らとの﹁昭和史論争﹂を起こした。 ﹁中国の会﹂は、尾崎秀樹が普通社主宰で1960年ごろに立ち上げ、野原四郎、竹内好、橋川文三、安藤彦太郎、新島淳良、今井らをメンバーとした[3]。受賞・栄典[編集]
●2010年‥第16回横浜文学賞受賞[4]。2013年、神奈川文化賞受賞[5]。家族・親族[編集]
●岳父‥リヒャルト・ゾルゲと共にソ連のスパイとして活動し、裁判を経て死刑に処された尾崎秀実は妻の父である。 ●義理の叔父‥尾崎秀樹。尾崎秀樹主宰の﹁中国の会﹂にも参加[6]、やはり尾崎秀樹主宰の﹁ゾルゲ事件研究会﹂にも参加していた[7]。著書[編集]
単著[編集]
●﹃日本の歴史︵23︶ 大正デモクラシー﹄︵中央公論社, 1966年/中公バックス, 1971年/中公文庫, 2006年︶ ●﹃日本近代史︵2︶﹄︵岩波書店, 1977年︶ ●﹃大空襲5月29日 第二次大戦と横浜﹄︵有隣堂, 1981年/新版, 1995年︶ ●﹃横浜の関東大震災﹄︵有隣堂, 2007年︶ ●﹃濱口雄幸伝︵上・下︶﹄︵朔北社, 2013年︶共著[編集]
●︵遠山茂樹・藤原彰︶﹃昭和史﹄︵岩波書店﹇岩波新書﹈, 1955年/新版, 1959年︶編著[編集]
●﹃日本の百年︵5︶成金天下﹄︵筑摩書房, 1967年/ちくま学芸文庫, 2008年︶[8] ●﹃日本の百年︵6︶震災にゆらぐ﹄︵筑摩書房, 1967年/ちくま学芸文庫, 2008年︶[9] ●﹃現代日本記録全集︵20︶昭和の動乱﹄︵筑摩書房, 1969年︶ ●﹃近代日本思想大系︵33︶大正思想集1﹄︵筑摩書房, 1978年︶ ●﹃ドキュメント昭和史︵5︶敗戦前後﹄︵平凡社, 1978年︶ ●﹃体系日本現代史︵2︶15年戦争と東アジア﹄︵日本評論社, 1979年︶ ●﹃大正デモクラシー 草の根と天皇制のはざま﹄︵社会評論社, 1990年︶共編著[編集]
●︵藤原彰・大江志乃夫︶﹃近代日本史の基礎知識―史実の正確な理解のために﹄︵有斐閣, 1972年︶ ●︵編集委員‥尾崎秀樹、今井清一、竹内好、野原四郎、橋川文三)﹃尾崎秀実著作集﹄ 全5巻︵勁草書房 1977年 - 1979年︶ ●︵藤井省三︶﹃尾崎秀実の中国研究﹄︵アジア経済研究所, 1983年︶ ●︵藤原彰︶﹃十五年戦争史︵全4巻︶﹄︵青木書店, 1988-89年︶編纂史料[編集]
●﹃現代史史料︵4︶国家主義運動1﹄︵高橋正衛共編, みすず書房, 1963年︶ ●﹃現代史資料︵44︶国家総動員2政治﹄︵伊藤隆共編, みすず書房, 1974年︶ ●﹃開戦前夜の近衛内閣―満鉄﹁東京時事資料月報﹂の尾崎秀実政治情勢報告﹄︵青木書店, 1994年︶脚注[編集]
(一)^ ab“歴史家の今井清一さん死去 ベストセラー﹁昭和史﹂共著”. 朝日新聞社. (2020年3月11日) 2020年3月11日閲覧。
(二)^ ﹃東京帝国大学一覧 昭和17年﹄東京帝国大学、1943年、584頁。
(三)^ 峯島正行﹃荒野も歩めば径になる ロマンの猟人・尾崎秀樹の世界﹄実業之日本社 P.382
(四)^ ﹁主な事業のご紹介﹂﹃横浜文芸懇話会﹄
(五)^ ﹁第62回神奈川文化賞・スポーツ賞贈呈式﹂﹃神奈川県﹄
(六)^ 峯島正行﹃荒野も歩めば径になる ロマンの猟人・尾崎秀樹の世界﹄実業之日本社 P.382
(七)^ 峯島正行﹃荒野も歩めば径になる ロマンの猟人・尾崎秀樹の世界﹄ 実業之日本社 2009 P.359
(八)^ ﹁日本の百年5 成金天下 1912―1923﹂筑摩書房。2024年4月12日閲覧。
(九)^ ﹁日本の百年6 震災にゆらぐ 1923―1931﹂筑摩書房。2024年4月12日閲覧。