「佐山哲郎」の版間の差分
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[[1975年]]から[[自販機本]][[出版社]]﹁'''[[エルシー企画]]'''﹂の編集局長に就任し、[[官能小説|官能小説家]]兼[[著作家|ライター]]として活躍。以後、[[明石賢生]]社長の右腕役を長年務める<ref name="QJ14">竹熊健太郎、佐山哲郎﹁天国桟敷の人々─エロ本三国志② 自動販売機本の黎明期と﹃JAM﹄の出現⑵﹂﹃[[Quick Japan]]﹄14号、[[太田出版]]、150-153頁。</ref>。ちなみに[[エルシー企画]]で同僚だった[[アリス出版]]第四編集部編集長の[[安田邦也]]によれば当時の佐山は非常に速筆であったようで﹁一冊分の原稿を一人で書くという荒ワザをやってのけるんだ。それも一昼夜だよ。小説から風俗ルポルタージュ物、告白手記と、文体変えて次から次へとササーッとでっち上げて行く。あんなに筆の速い人って後にも先にも見たことないよ﹂と後年回想している<ref>安田邦也、但馬オサム﹁[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/yasudakuniya 天国桟敷の人々─安田邦也インタビュー]﹂﹃Quick Japan﹄15号、太田出版、176-184頁。</ref>。
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[[1975年]]から[[自販機本]][[出版社]]﹁'''[[エルシー企画]]'''﹂の編集局長に就任し、[[官能小説|官能小説家]]兼[[著作家|ライター]]として活躍。以後、[[明石賢生]]社長の右腕役を長年務める<ref name="QJ14">竹熊健太郎、佐山哲郎﹁天国桟敷の人々─エロ本三国志② 自動販売機本の黎明期と﹃JAM﹄の出現⑵﹂﹃[[Quick Japan]]﹄14号、[[太田出版]]、150-153頁。</ref>。ちなみに[[エルシー企画]]で同僚だった[[アリス出版]]第四編集部編集長の[[安田邦也]]によれば当時の佐山は非常に速筆であったようで﹁一冊分の原稿を一人で書くという荒ワザをやってのけるんだ。それも一昼夜だよ。小説から風俗ルポルタージュ物、告白手記と、文体変えて次から次へとササーッとでっち上げて行く。あんなに筆の速い人って後にも先にも見たことないよ﹂と後年回想している<ref>安田邦也、但馬オサム﹁[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/yasudakuniya 天国桟敷の人々─安田邦也インタビュー]﹂﹃Quick Japan﹄15号、太田出版、176-184頁。</ref>。
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[[1978年]]から[[自販機本]]﹃'''[[Jam (自販機本)#前史|X-MAGAZINE]]'''﹄の初代[[編集長]]に就任し﹁'''もう書店では文化は買えない'''﹂という[[キャッチコピー]]をつける。その後、佐山が同誌でデビューさせた元[[日本大学芸術学部・大学院芸術学研究科|日本大学芸術学部]]の[[高杉弾]]と[[隅田川乱一]]が5号目で﹁雑誌の乗っ取り﹂を宣言し、[[高杉弾]]に |
[[1978年]]から[[自販機本]]﹃'''[[Jam (自販機本)#前史|X-MAGAZINE]]'''﹄の初代[[編集長]]に就任して同社の雑誌群に﹁'''もう書店では文化は買えない'''﹂という[[キャッチコピー]]をつける。その後、佐山が同誌でデビューさせた元[[日本大学芸術学部・大学院芸術学研究科|日本大学芸術学部]]の[[高杉弾]]と[[隅田川乱一]]が5号目で﹁雑誌の乗っ取り﹂を宣言し、編集長が[[高杉弾]]に交代する<ref name="QJ14" />。
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[[1979年]]には[[高杉弾]]と[[山崎春美]]を編集に採用した伝説的[[自販機本]]﹃'''[[Jam (自販機本)|Jam]]'''﹄︵のちに﹃'''[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]'''﹄と改題︶の創刊に立ち会った<ref name="QJ14" />。翌年には﹃[[Jam (自販機本)|Jam]]﹄に触発された自販機雑誌﹃'''[[アリス出版#代表的な出版物|NOISE1999]]'''﹄を[[アリス出版]]から創刊し<ref>小田光雄﹁[http://ronso.co.jp/%E6%9C%AC%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%80%e3%80%80022-%E3%80%88%E8%87%AA%E8%B2%A9%E6%A9%9F%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%80%89/ 本を読む #022︿自販機本の時代﹀]﹂論創社 2017年11月15日</ref><ref>﹃[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]﹄2号︵[[アリス出版]]︶掲載の[[山崎春美]]﹁X人名事典 第2回﹂より﹁再度エロ坊主の登場だが、今度は[[浄土宗]]。まったくこれじゃ、死んでも浮かばれねーよ。60年[[全学共闘会議|全共闘]]の典型的な生き残りで、目も当てられない酔い方をするトコがまたカワユイともっぱらの評判。ジャムに触発されて﹃ノイズ1999﹄とゆー新刊をアリスから出した。ボクらも書いてるし、御愛読のほどを。︵笑︶[[野坂昭如|野坂]][[北方謙三|譲三]]と[[歌人]]の[[ジョージ秋山]]﹂。</ref>、同誌2号掲載の﹁[[鈴木いづみ]]+[[山崎春美]]ベッドイン・インタビュー﹂が話題となる。
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[[1979年]]には[[高杉弾]]と[[山崎春美]]を編集に採用した伝説的[[自販機本]]﹃'''[[Jam (自販機本)|Jam]]'''﹄︵のちに﹃'''[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]'''﹄と改題︶の創刊に立ち会った<ref name="QJ14" />。翌年には﹃[[Jam (自販機本)|Jam]]﹄に触発された自販機雑誌﹃'''[[アリス出版#代表的な出版物|NOISE1999]]'''﹄を[[アリス出版]]から創刊し<ref>小田光雄﹁[http://ronso.co.jp/%E6%9C%AC%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%80%e3%80%80022-%E3%80%88%E8%87%AA%E8%B2%A9%E6%A9%9F%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%80%89/ 本を読む #022︿自販機本の時代﹀]﹂論創社 2017年11月15日</ref><ref>﹃[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]﹄2号︵[[アリス出版]]︶掲載の[[山崎春美]]﹁X人名事典 第2回﹂より﹁再度エロ坊主の登場だが、今度は[[浄土宗]]。まったくこれじゃ、死んでも浮かばれねーよ。60年[[全学共闘会議|全共闘]]の典型的な生き残りで、目も当てられない酔い方をするトコがまたカワユイともっぱらの評判。ジャムに触発されて﹃ノイズ1999﹄とゆー新刊をアリスから出した。ボクらも書いてるし、御愛読のほどを。︵笑︶[[野坂昭如|野坂]][[北方謙三|譲三]]と[[歌人]]の[[ジョージ秋山]]﹂。</ref>、同誌2号掲載の﹁[[鈴木いづみ]]+[[山崎春美]]ベッドイン・インタビュー﹂が話題となる。
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2018年12月31日 (月) 00:35時点における版
佐山 哲郎 (さやま てつろう) | |
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ペンネーム | 麻耶 十郎 |
誕生 |
1948年 日本 東京都台東区根岸 |
職業 |
編集者 文筆家 官能小説家 漫画原作者 詩歌研究家 歌人・俳人 住職・浄土宗僧侶 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 東京都立大学人文学部中退 |
活動期間 | 1973年 - |
ジャンル |
官能小説 漫画原作 少女漫画 |
代表作 | 『コクリコ坂から』 |
ウィキポータル 文学 |
佐山 哲郎︵さやま てつろう、1948年 - ︶は、日本の編集者、文筆家、同人作家、官能小説家、漫画原作者、詩歌研究家、歌人、住職、浄土宗僧侶、エルシー企画・群雄社出版編集局長、スタジオジブリ製作の長編アニメーション映画﹃コクリコ坂から﹄原作者。通称S︵エス︶。別名は麻耶 十郎︵まや じゅうろう︶。
1970年代から1980年代にかけて明石賢生の右腕として自販機本・ビニ本業界の雑誌編集者や官能小説家として活動した。
略歴・人物
生い立ち
1948年、東京都台東区根岸生まれ[1]。 東京都立大学人文学部中退[1]。学生歌人や全共闘運動などの活動を経て1968年4月28日の沖縄奪還闘争で逮捕されたのち学生運動から足を洗う[2]。出版業界での活躍
「明石賢生」および「Jam (自販機本)」も参照
1973年からフリー編集者兼ライターとして三崎書房のインテリ向けエロ本﹃えろちか﹄の編集に携わる[3]。この頃、東京都立大学の同窓で同人仲間の鈴木宏︵のちに水声社社長︶を三崎書房の林宗宏社長に紹介する[4]。
同年、三崎書房が倒産。その後、元三崎書房の林宗宏が新たに興した林書店で﹃異端文藝﹄を編集する[3]。またこの頃から旧知の編集者からの依頼で講談社の漫画雑誌﹃なかよし﹄で少女漫画の漫画原作者としても活躍する[5]。
この頃、盟友の明石賢生と再会して袋物のグラフ誌﹃アリス﹄︵林書店︶を共同編集する。しかし、これが全く売れず林書店とは絶縁する[3]。
1975年から自販機本出版社﹁エルシー企画﹂の編集局長に就任し、官能小説家兼ライターとして活躍。以後、明石賢生社長の右腕役を長年務める[3]。ちなみにエルシー企画で同僚だったアリス出版第四編集部編集長の安田邦也によれば当時の佐山は非常に速筆であったようで﹁一冊分の原稿を一人で書くという荒ワザをやってのけるんだ。それも一昼夜だよ。小説から風俗ルポルタージュ物、告白手記と、文体変えて次から次へとササーッとでっち上げて行く。あんなに筆の速い人って後にも先にも見たことないよ﹂と後年回想している[6]。
1978年から自販機本﹃X-MAGAZINE﹄の初代編集長に就任して同社の雑誌群に﹁もう書店では文化は買えない﹂というキャッチコピーをつける。その後、佐山が同誌でデビューさせた元日本大学芸術学部の高杉弾と隅田川乱一が5号目で﹁雑誌の乗っ取り﹂を宣言し、編集長が高杉弾に交代する[3]。
1979年には高杉弾と山崎春美を編集に採用した伝説的自販機本﹃Jam﹄︵のちに﹃HEAVEN﹄と改題︶の創刊に立ち会った[3]。翌年には﹃Jam﹄に触発された自販機雑誌﹃NOISE1999﹄をアリス出版から創刊し[7][8]、同誌2号掲載の﹁鈴木いづみ+山崎春美ベッドイン・インタビュー﹂が話題となる。
﹃コクリコ坂から﹄秘話
1980年には少女漫画﹃コクリコ坂から﹄の漫画原作を手がける[5]。佐山によれば同作は﹃なかよし﹄編集部が作画の高橋千鶴を売り出そうと力を入れた作品だったようで、初回は新年号の巻頭カラーだったが、連載6回目で打ち切りが決まり全8話で完結したという[5]。のちに佐山は﹃週刊文春﹄2011年8月4日号の告白記事で﹁大長編にするつもりで伏線を張るだけ張って、これから面白くなるところだったのに…﹂と苦笑する[5]。 しかし、2011年になって同作は宮崎駿の企画・脚本でスタジオジブリによってアニメ映画化され、興行収入44.6億円のヒットを記録する︵佐山曰く﹁ただ、ただ吃驚﹂﹁ただ、ただ不思議﹂とのこと[9]︶。製作発表で宮崎は﹁︵﹃コクリコ坂から﹄は︶1980年頃、﹃なかよし﹄に連載されて不発に終わった作品である。高校生の純愛、出生の秘密ものであるが、明らかに1970年の経験を引きずる原作者︵男性︶の存在を感じさせ、学園紛争と大衆蔑視が敷き込まれている。少女マンガの制約を知りつつ挑戦したとも言えるだろう﹂とコメントを寄せている[10]。 製作に至るまでの経緯について鈴木敏夫など関係者の証言によれば、宮崎が別荘の山小屋で夏休みを取っていた時、姪が忘れていった﹃なかよし﹄を暇を持て余して仲間と回し読みしていたところ同作が載っており、これを気に入った宮崎は断片から全体の構想を膨らませたり[11]、同行していた押井守や庵野秀明らと議論を交わしたりして、将来的に映画化することを心に誓っていたという[12]。なお押井は著書﹃誰も語らなかったジブリを語ろう﹄で﹁僕もこの漫画は読んでいて、﹃ラピュタ﹄の頃だったかはっきりしないけど、みんなで宮さんの別荘に泊まっていたとき、退屈して回し読みしていたの。みんなというのは、僕に庵野秀明に山賀博之、もしかしたら前田真宏もいたかもしれない。みんな﹃なんだか胸があったかくなるなあ﹄とか﹃これで安らかに眠れる﹄とか言っちゃって。その頃から宮さんは﹃コクリコ坂から﹄をやりたいと言っていたから、かなり長い間、この企画を抱えていたことになる。ホント、宮さんも僕と同じように執念深い︵笑︶﹂と述懐している[13]。群雄社倒産から現在
1980年からは明石賢生主宰の群雄社出版で編集局長を務め、竹熊健太郎の初単行本﹃色単―現代色単語辞典﹄︵2005年にポット出版から復刊︶の企画や[5]、筒井康隆原作/内藤誠監督の映画﹃俗物図鑑﹄の便乗本﹃俗物図鑑の本﹄の編集を金田トメらと行う。 しかし、経営不振で群雄社は1983年に倒産。その後は東京都台東区根岸にある浄土宗西念寺の住職を務める傍ら[5]、麻耶十郎名義で官能小説も手掛け、現在は句誌﹃月天﹄同人代表を務めるなど俳人としても活動している[1]。 2011年に﹃週刊文春﹄8月4日号が﹁﹃コクリコ坂から﹄原作者初告白﹃ポルノ小説家から住職になるまで﹄﹂と題した小特集を組み[14]、佐山自ら少女漫画の原作者から官能小説家を経て住職になるまでの経緯を語っている[5]。なお、かつて群雄社に出入りしていた編集家の竹熊健太郎はTwitterで﹁あの人がジブリの原作者になると言うのは、原子力潜水艦の炉心にピンポイントで隕石が当たったような感じ﹂とコメントしている[15]。作品
漫画原作
●タランチュラのくちづけ︵講談社 1976年︶※作画‥高階良子 ●小夜子より…星便り︵講談社 1979年︶※作画‥高橋千鶴 ●コクリコ坂から︵講談社 1980年︶※作画‥高橋千鶴 ●マンガ法然上人伝︵浄土宗出版 1995年︶※監修‥阿川文正/作画‥川本コウ官能小説
すべて麻耶十郎名義
●犯された教室︵二見書房 1982年︶※1985年12月に同社より文庫化
●ドッグ・ファッション─犬の姿勢︵群雄社出版 1983年︶
●快感︵二見書房 1985年︶
●女医監禁︵マドンナ社 1986年︶
●女子高生 あぶない体操着︵マドンナ社 1988年︶
●義母の下着、義妹の制服︵二見書房 1991年︶
●﹃監禁﹄セーラー服蕩し︵二見書房 1992年︶
●﹃解剖﹄恥ずかし授業︵二見書房 1993年︶
●セーラー服 快感の口淫︵二見書房 1995年︶
●﹃発熱﹄女高生の粘膜─服従の淫具いじめ︵二見書房 1997年︶