「塩狩峠」の版間の差分
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'''塩狩峠'''︵しおかりとうげ︶とは、[[北海道]][[比布町]]と[[和寒町]]の間にある[[峠]]である。[[国道40号]]、[[北海道旅客鉄道|JR北海道]][[宗谷本線]]、 |
'''塩狩峠'''︵しおかりとうげ︶とは、[[北海道]][[比布町]]と[[和寒町]]の間にある[[峠]]である。[[国道40号]]、[[北海道旅客鉄道|JR北海道]][[宗谷本線]]、および[[道央自動車道]]が通過している。国道40号の峠の標高は263m。[[北緯]]44度付近に位置する[[天塩国]]と[[石狩国]]の境界にあり、[[天塩川]]水系と[[石狩川]]水系の[[分水界]]上でもある。また、[[道央]]と[[道北]]の境界とされる場合もある。
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1898年︵明治31年︶に、国道40号の前身である仮定県道天塩線が峠を越えて開通した<ref>北海道道路史 路線史編 北海道道路史調査会 1990年 400頁</ref>。当初は難所の一つであったが、後年改良され、現在では曲線、勾配とも緩やかな峠となっている。
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1898年︵明治31年︶に、国道40号の前身である仮定県道天塩線が峠を越えて開通した<ref>北海道道路史 路線史編 北海道道路史調査会 1990年 400頁</ref>。当初は難所の一つであったが、後年改良され、現在では曲線、勾配とも緩やかな峠となっている。
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== 小説『塩狩峠』 == |
== 小説『塩狩峠』 == |
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鉄道事故の実話を元に、[[三浦綾子]]が小説﹃塩狩峠 ﹄を著し、[[1966年]]︵昭和41年︶4月から約2年半にかけて[[日本基督教団]]出版局の月刊雑誌﹃信徒の友﹄に掲載された。これを記念し、[[塩狩駅]]近くには、塩狩峠記念館 |
鉄道事故の実話を元に、[[三浦綾子]]が小説﹃塩狩峠 ﹄を著し、[[1966年]]︵昭和41年︶4月から約2年半にかけて[[日本基督教団]]出版局の月刊雑誌﹃信徒の友﹄に掲載された。これを記念し、[[塩狩駅]]近くには、塩狩峠記念館および文学碑が建てられた。
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<!-- これは殉職といわれるが、事故死という意見もあり、三浦綾子の小説のあとがきに殉職説と事故説について取材した内容が掲載されている。--新潮文庫版?--> |
<!-- これは殉職といわれるが、事故死という意見もあり、三浦綾子の小説のあとがきに殉職説と事故説について取材した内容が掲載されている。--新潮文庫版?--> |
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小説をもとに、[[1973年]]に[[松竹]]・[[ワールドワイド映画]](監督:[[中村登]]、主演:[[中野誠也]])によって映画化された。 |
小説をもとに、[[1973年]]に[[松竹]]・[[ワールドワイド映画]](監督:[[中村登]]、主演:[[中野誠也]])によって映画化された。 |
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* スタッフ |
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* 製作:[[長島清]]、[[小梶正治]] |
** 製作:[[長島清]]、[[小梶正治]] |
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* 脚本:[[楠田芳子]] |
** 脚本:[[楠田芳子]] |
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* 撮影:[[竹村博]] |
** 撮影:[[竹村博]] |
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* 美術:[[横山豊]] |
** 美術:[[横山豊]] |
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* 音楽:[[木下忠司]] |
** 音楽:[[木下忠司]] |
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* 録音:[[田中俊夫]] |
** 録音:[[田中俊夫]] |
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* 調音:[[松本隆司]] |
** 調音:[[松本隆司]] |
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* 編集:[[森弥成]] |
** 編集:[[森弥成]] |
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* スクリプター:[[堺謙一]] |
** スクリプター:[[堺謙一]] |
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* 撮影協力:[[日本国有鉄道]] |
** 撮影協力:[[日本国有鉄道]] |
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* 永野 |
** 永野トセ:[[村瀬幸子]] |
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** 永野菊:[[岩崎加根子]] |
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** 永野待子:[[田中美香]] |
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** 吉川ふじ子:[[佐藤オリエ]](少女期:[[柿崎澄江]]) |
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** 吉川吉造:[[浅若芳太郎]] |
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* 吉川 |
** 吉川たみ:[[野村昭子]] |
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* 吉川 |
** 吉川芳:[[坂田多恵子]] |
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** 三堀峰吉:[[新克利]] |
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** 三堀キヨ:[[中村美代子]] |
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** 六造:[[永井智雄]] |
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** 和倉礼之助:[[近藤洋介 (俳優)|近藤洋介]] |
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** 和倉米子:[[阿部百合子]] |
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** 伊木一馬:[[滝田裕介]] |
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** 原:[[田中幸四郎]] ほか |
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** 協力:[[劇団俳優座]] |
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* 協力:[[劇団俳優座]] |
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=== 道徳の教科書 === |
=== 道徳の教科書 === |
2013年4月21日 (日) 08:18時点における版
![国道40号標識](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/82/Japanese_National_Route_Sign_0040.svg/60px-Japanese_National_Route_Sign_0040.svg.png)
鉄道事故
1909年︵明治42年︶2月28日、ここ塩狩峠の区間に差し掛かった旅客列車の客車最後尾の連結器が外れて客車が暴走しかける事故がおこった。その車両に乗り合わせていた鉄道院︵国鉄の前身︶職員の長野政雄︵ながの まさお︶が、暴走する客車の前に身を挺して暴走を食い止めた。下敷きとなった長野は殉職したが、これにより乗客の命が救われた。現在、塩狩峠の頂上付近にある塩狩駅近くに顕彰碑[2]が立てられている。 なお、1947年︵昭和22年︶9月1日、類似した事故が長崎県の旧時津村︵現・西彼杵郡時津町︶の打坂峠で起こっている︵詳しくは打坂地蔵尊を参照されたい︶。小説﹃塩狩峠﹄
鉄道事故の実話を元に、三浦綾子が小説﹃塩狩峠 ﹄を著し、1966年︵昭和41年︶4月から約2年半にかけて日本基督教団出版局の月刊雑誌﹃信徒の友﹄に掲載された。これを記念し、塩狩駅近くには、塩狩峠記念館および文学碑が建てられた。登場人物
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映画
小説をもとに、1973年に松竹・ワールドワイド映画︵監督‥中村登、主演‥中野誠也︶によって映画化された。 ●スタッフ ●製作‥長島清、小梶正治 ●脚本‥楠田芳子 ●撮影‥竹村博 ●美術‥横山豊 ●音楽‥木下忠司 ●録音‥田中俊夫 ●調音‥松本隆司 ●編集‥森弥成 ●スクリプター‥堺謙一 ●撮影協力‥日本国有鉄道 ●キャスト ●永野信夫︵現実には:長野政雄︶‥中野誠也︵少年期‥岡本久人︶ ●永野貞行‥武内亨 ●永野トセ‥村瀬幸子 ●永野菊‥岩崎加根子 ●永野待子‥田中美香 ●吉川修‥長谷川哲夫︵少年期‥坂上也寸志︶ ●吉川ふじ子‥佐藤オリエ︵少女期‥柿崎澄江︶ ●吉川吉造‥浅若芳太郎 ●吉川たみ‥野村昭子 ●吉川芳‥坂田多恵子 ●三堀峰吉‥新克利 ●三堀キヨ‥中村美代子 ●六造‥永井智雄 ●和倉礼之助‥近藤洋介 ●和倉米子‥阿部百合子 ●和倉美沙‥執行佐智子 ●伊木一馬‥滝田裕介 ●原‥田中幸四郎 ほか ●協力‥劇団俳優座道徳の教科書
小説版の話を元に埼玉県の道徳の教科書﹃かけがえのないきみだから﹄︵3年生版︶に塩狩峠が掲載されてい る。脚注
関連項目
外部リンク
座標: 北緯43度58分01.0秒 東経142度26分54.8秒 / 北緯43.966944度 東経142.448556度