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2023年7月19日 (水) 06:39時点における版
大渡 忠太郎︵おおわたり ちゅうたろう、1867年 - 1953年[1]︶は、日本の植物学者。東京帝国大学植物学科を卒業し[2]、同学で助手を務めるが、1899年に志願兵として入隊したため退官した[3]。学位は理学士[4]。その後、1901年に岡山県岡山市の第六高等学校︵現・岡山大学︶[5]教授に着任し[6]、中世以来途絶えたとされていたキクザクラを発見[7]、校庭に植えた[6]。松本高等学校︵現・信州大学︶では第2代校長︵在任‥1921年10月 - 1927年8月︶を務め、同校跡のあがたの森公園には、在任中に購入・植栽したヒマラヤスギの大木が残っている[8]。その後、日本博物館協会常務理事を務めた[9]。
旧制第一高等学校時代は音楽部に所属し、ピアノやオルガンなどを弾いていた[1]。東京帝大助手時代の1896年10月に、牧野富太郎らとともに神戸から小倉丸に乗船して台湾の基隆へ渡り、植物採集旅行を行い、12月5日に東京に戻った[10]。翌1897年12月7日に再び台湾へ渡り、単独で植物採集を行い、1898年4月中旬に日本へ帰った[10]。この単独台湾調査は、台湾総督府衛生課から﹁森林植物標品採集及薬用植物調査事務﹂嘱託として招請されたものである[11]。2度の台湾での調査成果は﹁臺灣植物探檢紀行﹂︵台湾植物探検紀行︶の題で﹃植物学雑誌﹄に発表された[10]。この時に発見したトウサワトラノオは1898年以降、台湾では見つからず、絶滅したと考えられていたが、2020年3月26日に基隆市暖暖区で植物愛好家によって122年ぶりに発見された[12]。
医事評論家の大渡順二は息子である[6]。
参考文献
(一)^ ab西澤忠志﹁日本における﹁演奏批評﹂の誕生―第一高等学校﹃校友会雑誌﹄を例として―﹂﹃文芸学研究﹄第22号、文芸学研究会︵大阪大学︶、2019年、38-55頁、doi:10.18910/85185、NAID 120007175259。
(二)^ 大浜郁子﹁﹁牡丹社事件﹂はなぜ起こったのか ﹁原住民﹂・琉球島民・客家人からみた事件の発端に関する検討﹂﹃2010年第三回台日原住民族研究論壇﹄、国立政治大学、2010年、101-112頁。
(三)^ 東京帝國大學 書記官事務代理 (1927年12月3日). “元本學助手大渡忠太郎履歴事項ノ件”. 東京大学文書館デジタル・アーカイブ. 東京大学文書館. 2022年3月21日閲覧。 “パブリックドメイン”
(四)^ 大渡忠太郎﹁臺灣探檢記﹂﹃地学雑誌﹄第11巻第5号、東京地学協会、1899年、355-358頁、doi:10.5026/jgeography.11.355、NAID 130000975747。
(五)^ ﹁大渡忠太郎君の赴任﹂﹃動物学雑誌﹄第13巻第157号、東京動物學會、371頁。
(六)^ abc土岐隆信﹁明治以降の岡山県における民間の植物研究の軌跡―里庄町出身の研究者 佐藤清明、横溝熊市、安原清隆氏について―﹂﹃佐藤清明資料保存会会報﹄第6号、佐藤清明資料保存会・里庄町立図書館、2020年、2-9頁。
(七)^ ﹁特別展﹁池田厚子様と佐藤清明ゆかりの菊桜展﹂﹂﹃佐藤清明資料保存会会報﹄第7号、佐藤清明資料保存会・里庄町立図書館、2021年、10-11頁。
(八)^ 小澤弥生﹁松本高等学校の植栽〜ヒマラヤ杉が植えられた頃〜﹂﹃あなたと博物館 松本市立博物館ニュース﹄第155号、松本市立博物館、2008年3月1日、2-3頁。
(九)^ 犬塚康博﹁反商品の教育主義―博物館の自意識に関する考察﹂﹃千葉大学人文社会科学研究﹄第20号、千葉大学大学院人文社会科学研究科、2010年、69-84頁、NAID 120007065811。
(十)^ abc“臺灣歷史人物小傳--大渡忠太郎” (中国語). 臺灣記憶. 2020年11月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月31日閲覧。
(11)^ 呉文星﹁東京帝国大学の台湾に於ける学術調査と台湾総督府の植民地政策について﹂﹃東京大学史紀要﹄第17号、東京大学史史料室、1999年、1-9頁、NAID 120007147520。
(12)^ “姿を消して122年、トウサワトラノオが基隆市暖暖区で見つかる”. Taiwan Today. 中華民国外交部 (2020年4月27日). 2022年3月21日閲覧。