「小熊慎司」の版間の差分
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2013年1月25日 (金) 08:32時点における版
小熊 慎司 おぐま しんじ | |
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生年月日 | 1968年6月16日(56歳) |
出生地 |
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所属政党 |
(自由民主党→) (みんなの党→) 日本維新の会 |
公式サイト | おぐましんじ 公式サイト |
選挙区 | 比例東北ブロック(福島4区) |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2012年12月16日 - 現職 |
選挙区 | 比例区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2010年7月26日 - 2012年12月4日 |
略歴
●1987年3月 - 福島県立会津高等学校卒業。 ●1992年 ●3月 - 専修大学法学部卒業。 ●4月 - 衆議院議員新井将敬秘書。 ●1993年11月 - 衆議院議員斎藤文昭秘書。 ●1999年4月 - 会津若松市議会議員に初当選。 ●2003年4月 - 福島県議会議員当選︵自由民主党・会津若松市選挙区︶、2期務める。 ●2009年6月 - みんなの党に参加するため県会議員を辞職し、自由民主党を離党[1]。 ●2009年8月 - みんなの党より第45回衆議院議員総選挙に福島県第4区より出馬するも落選。 ●2010年7月 - 第22回参議院議員通常選挙においてみんなの党比例代表より出馬し、当選。 ●2012年9月 - 日本維新の会へ参加するため、みんなの党を離党届を提出[2][3]。 ●2012年11月 - みんなの党に提出した離党届が受理されず、みんなの党除籍[4]。 ●2012年12月 - 第46回衆議院議員総選挙では日本維新の会から福島県第4区と比例東北ブロックに重複立候補し、比例東北ブロックで復活当選した。人物
●東日本大震災の復興補正予算が議論される中、復興予算捻出のためのODA削減案に反対する超党派連合のメンバーとして名を連ねる[5][6]。 ●2011年8月23日に芸能界引退会見を行なった島田紳助に関して、﹁次の総理より紳助さんの引退が大きく扱われる﹂﹁紳助さんの潔さは武士道に通ずるものがあり、きょうびの政治家でもまねできない﹂とツイッターで述べた。 ●2012年6月24日に福島県会津若松市で開いた国政報告会において、福島県産の物品の風評被害対策の必要性について演説を行ったが、この中で、﹁﹃水俣湾の刺し身です﹄と言われたら、﹃相模湾﹄と言われるよりドキッとするのが人間の心情﹂と発言。これについて小熊は、﹁水俣病患者らとの間で苦しみを共有することで福島県への偏見や誤解を解きたいとの思いからだったが、水俣の人達に対し失礼な表現だった﹂として謝罪[7]。脚注
(一)^ “小熊県議が19日に議員辞職願を提出”. 福島民友. (2009年6月17日)
(二)^ “小熊氏、維新合流へ きょう除名願い提出し、みんなの党離党へ”. 福島民報. (2012年9月11日) 2012年10月24日閲覧。
(三)^ “維新合流へ離党届 ﹁みんな﹂小熊氏ら7議員”. 福島民友. (2012年9月12日) 2012年10月24日閲覧。
(四)^ みんな、小熊氏を除籍︻12衆院選︼ - ウォール・ストリート・ジャーナル 2012年11月24日
(五)^ 超党派議員がODA削減反対で一致 政府に申し入れへ
(六)^ 平成23年4月14日第一次補正予算におけるODA削減に関する勉強会
(七)^ ﹁水俣の刺し身、どきっとするのが心情﹂ 小熊参院議員 朝日新聞 2012年6月24日
外部リンク
- おぐましんじ 公式サイト
- 小熊慎司 公式ブログ
- 小熊慎司 (@oguma_shinji) - X(旧Twitter)