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「新徴組」の版間の差分

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当時の江戸は、文久2年(1862年)の参勤交代緩和によって大名屋敷などに空き家が多くできたため、そこを根城に夜盗・盗賊が跋扈するなど治安が極度に悪化していた。そこで幕府は新徴組を預かる庄内藩に江戸市中の取り締まりを命じたのだが、もともと無頼の徒の集まりである新徴組の浪士だけでは統制が取れないことから、庄内藩では藩士の次男、三男、徒歩組などを郷里から呼び寄せて浪士たちが乱暴を働かないよう見張らせながら江戸市中警備の任に就かせた。

当時の江戸は、文久2年(1862年)の参勤交代緩和によって大名屋敷などに空き家が多くできたため、そこを根城に夜盗・盗賊が跋扈するなど治安が極度に悪化していた。そこで幕府は新徴組を預かる庄内藩に江戸市中の取り締まりを命じたのだが、もともと無頼の徒の集まりである新徴組の浪士だけでは統制が取れないことから、庄内藩では藩士の次男、三男、徒歩組などを郷里から呼び寄せて浪士たちが乱暴を働かないよう見張らせながら江戸市中警備の任に就かせた。



このように、[[新徴組]]は[[新選組]]が[[近藤|近藤勇]]、[[土方|土方歳三]]ら浪士たち自身で統制されていたのと違い、庄内藩統制下に組み込まれ活動していたのが特徴である。

このように、新徴組は[[新選組]]が[[近藤|近藤勇]]、[[土方|土方歳三]]ら浪士たち自身で統制されていたのと違い、庄内藩が直接統制活動していたのが特徴である。



[[新選組]]のように制服こそなかったが、揃いの朱の陣笠を被り、夜には庄内藩の[[紋所]]である[[かたばみ]]の[[提灯]]を下げて市中を練り歩いた。そして、五十人二組となって昼夜交代で毎日市中の巡回を始めると、江戸の治安が次第に回復していったため江戸市民から

[[新選組]]のように制服こそなかったが、揃いの朱の陣笠を被り、夜には庄内藩の[[紋所]]である[[かたばみ]]の[[提灯]]を下げて市中を練り歩いた。そして、五十人二組となって昼夜交代で毎日市中の巡回を始めると、江戸の治安が次第に回復していったため江戸市民から


2019年12月20日 (金) 04:48時点における版

新徴組(しんちょうぐみ)は、江戸時代後期の文久3年(1863年)1月に結成された、江戸幕府による警備組織。

概要


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関連項目

脚注

  1. ^ 子母澤寛『勝海舟』新潮社(新潮文庫)

参考文献