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「服忌」の版間の差分

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[[江戸時代]]に入ると、[[徳川綱吉]]の[[貞享]]元年(1684年)に[[江戸幕府]]の公式の法令としての「服忌令」が出される。これは基本的には[[大名]]を含めた武士を対象としたもので、庶民{{Efn|村役人や町役人のように、業務上[[代官]]や[[奉行]]、その配下などの武士階層と接触する人は適用の対象とみなされた。}}には直接適用はされなかったが<ref>林由紀子「江戸幕府忌服令と庶民」藩法研究会 編『幕藩法の諸相-規範・訴訟・家族-』(汲古書院、2019年) ISBN 978-4-7629-4230-3 P43・88.</ref>、庶民の間でも住んでいる地域や宗派の慣習に基づいた葬儀や服喪が行われていたとみられており、特に庶民の大半が[[仏教寺院]]の[[檀家]]になっている([[寺請制度]])ため、仏教の「[[中陰]]」などの風習が服忌に大きな影響を与えたと考えられている(勿論、儒教や神道に基づいた葬儀を行う例もあり、その場合は服忌もそれぞれの形式に従っていた)<ref>林由紀子「江戸幕府忌服令と庶民」藩法研究会 編『幕藩法の諸相-規範・訴訟・家族-』(汲古書院、2019年) ISBN 978-4-7629-4230-3 P46-84.</ref>。一方、[[公家]]の間では前述の神道を家職とする家を除いては、原則として律令法の喪葬令や假寧令を原典とした所謂「京家の例」が存続したまま[[明治維新]]を迎えている<ref name=国史大辞典/>。なお、江戸幕府の「服忌令」はそれまでは社会的には定着していてもあくまで民間の俗信に過ぎなかった血や死に対する「[[穢]]」という概念を法制化したという点やこうした「穢」に接する機会の多かった[[穢多]]・[[非人]]・[[乞食]]に対する差別に法的根拠を与えた可能性について指摘されている<ref>林由紀子「江戸幕府忌服令と庶民」藩法研究会 編『幕藩法の諸相-規範・訴訟・家族-』(汲古書院、2019年) ISBN 978-4-7629-4230-3 P90.</ref>。

[[江戸時代]]に入ると、[[徳川綱吉]]の[[貞享]]元年(1684年)に[[江戸幕府]]の公式の法令としての「服忌令」が出される。これは基本的には[[大名]]を含めた武士を対象としたもので、庶民{{Efn|村役人や町役人のように、業務上[[代官]]や[[奉行]]、その配下などの武士階層と接触する人は適用の対象とみなされた。}}には直接適用はされなかったが<ref>林由紀子「江戸幕府忌服令と庶民」藩法研究会 編『幕藩法の諸相-規範・訴訟・家族-』(汲古書院、2019年) ISBN 978-4-7629-4230-3 P43・88.</ref>、庶民の間でも住んでいる地域や宗派の慣習に基づいた葬儀や服喪が行われていたとみられており、特に庶民の大半が[[仏教寺院]]の[[檀家]]になっている([[寺請制度]])ため、仏教の「[[中陰]]」などの風習が服忌に大きな影響を与えたと考えられている(勿論、儒教や神道に基づいた葬儀を行う例もあり、その場合は服忌もそれぞれの形式に従っていた)<ref>林由紀子「江戸幕府忌服令と庶民」藩法研究会 編『幕藩法の諸相-規範・訴訟・家族-』(汲古書院、2019年) ISBN 978-4-7629-4230-3 P46-84.</ref>。一方、[[公家]]の間では前述の神道を家職とする家を除いては、原則として律令法の喪葬令や假寧令を原典とした所謂「京家の例」が存続したまま[[明治維新]]を迎えている<ref name=国史大辞典/>。なお、江戸幕府の「服忌令」はそれまでは社会的には定着していてもあくまで民間の俗信に過ぎなかった血や死に対する「[[穢]]」という概念を法制化したという点やこうした「穢」に接する機会の多かった[[穢多]]・[[非人]]・[[乞食]]に対する差別に法的根拠を与えた可能性について指摘されている<ref>林由紀子「江戸幕府忌服令と庶民」藩法研究会 編『幕藩法の諸相-規範・訴訟・家族-』(汲古書院、2019年) ISBN 978-4-7629-4230-3 P90.</ref>。



[[明治]]4年([[1871年]])、[[明治政府]]は服忌の規定を「武家の制」すなわち江戸幕府の服忌令に一本化することにしたが、明治29年([[1900年]])の[[民法]]公布([[親族法]]・[[相続法]]からなる家族法の制定)によって親族の定義・範囲の規定と服喪の関係性は失われ、[[皇室服喪令]]{{Efn|[[昭和]]22年([[1947年]])に法律としては廃止。}}を例外として葬儀や服喪は法的分野から切り離されることになった<ref name=服忌令/>。

[[明治]]7年([[1874年]])、[[明治政府]]は服忌の規定を「武家の制」すなわち江戸幕府の服忌令に一本化することにしたが、明治29年([[1900年]])の[[民法]]公布([[親族法]]・[[相続法]]からなる家族法の制定)によって親族の定義・範囲の規定と服喪の関係性は失われ、[[皇室服喪令]]{{Efn|[[昭和]]22年([[1947年]])に法律としては廃止。}}を例外として葬儀や服喪は法的分野から切り離されることになった<ref name=服忌令/>。



== 脚注 ==

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脚注

注釈



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(二)^ 

(三)^ 

(四)^ 

(五)^ 113

(六)^ 

(七)^ 221947

出典

  1. ^ a b c 大隅『日本史大事典』「服紀」
  2. ^ a b c d e f 吉岡『国史大辞典』「服忌」
  3. ^ a b c 西山『日本歴史大事典』「服紀」
  4. ^ a b 林『日本史大事典』「服忌令」
  5. ^ 林由紀子「江戸幕府忌服令と庶民」藩法研究会 編『幕藩法の諸相-規範・訴訟・家族-』(汲古書院、2019年) ISBN 978-4-7629-4230-3 P43・88.
  6. ^ 林由紀子「江戸幕府忌服令と庶民」藩法研究会 編『幕藩法の諸相-規範・訴訟・家族-』(汲古書院、2019年) ISBN 978-4-7629-4230-3 P46-84.
  7. ^ 林由紀子「江戸幕府忌服令と庶民」藩法研究会 編『幕藩法の諸相-規範・訴訟・家族-』(汲古書院、2019年) ISBN 978-4-7629-4230-3 P90.

参考文献

  • 吉岡真之「服忌」(『国史大辞典 12』(吉川弘文館、1991年)ISBN 4-642-00512-9
  • 大隅清陽「服紀」(『日本史大事典 5』(平凡社、1993年) ISBN 978-4-582-13105-5
  • 西山良平「服忌」(『日本歴史大事典 3』(小学館、2001年) ISBN 978-4-095-23003-0
  • 林由紀子「服忌令」(『日本史大事典 5』(平凡社、1993年) ISBN 978-4-582-13105-5