コンテンツにスキップ

「木村泰賢」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
23行目: 23行目:

1881年に[[岩手県]]滝沢村一本木(現在の[[滝沢市]]一本木)に、父亀治と母リツの次男として生まれる<ref name="nishine1989-1156">{{Cite book|和書|title=西根町史 下巻 |publisher=[[西根町]] |date=1989-09-30 |page=1156 |id={{国立国会図書館書誌ID|000002015184}}}}</ref>。幼名二蔵。一家は[[1984年]]に[[大更村]](現在の[[八幡平市]]大更)へ移り住み、父は当地で酒造業を営む工藤家の家事手伝いを勤めた<ref name="nishine1989-1156" />。[[1891年]]に父が亡くなった後、母の労苦を見かねて酒造店で[[小僧]]修業していたところ、東慈寺の住職であった十九世村山実定に見込まれて養子となり出家<ref name="nishine1989-1156" />。実定の[[号 (称号)|号]]である泰山から一字を与えられ、泰賢と称した<ref name="nishine1989-1156" />。

1881年に[[岩手県]]滝沢村一本木(現在の[[滝沢市]]一本木)に、父亀治と母リツの次男として生まれる<ref name="nishine1989-1156">{{Cite book|和書|title=西根町史 下巻 |publisher=[[西根町]] |date=1989-09-30 |page=1156 |id={{国立国会図書館書誌ID|000002015184}}}}</ref>。幼名二蔵。一家は[[1984年]]に[[大更村]](現在の[[八幡平市]]大更)へ移り住み、父は当地で酒造業を営む工藤家の家事手伝いを勤めた<ref name="nishine1989-1156" />。[[1891年]]に父が亡くなった後、母の労苦を見かねて酒造店で[[小僧]]修業していたところ、東慈寺の住職であった十九世村山実定に見込まれて養子となり出家<ref name="nishine1989-1156" />。実定の[[号 (称号)|号]]である泰山から一字を与えられ、泰賢と称した<ref name="nishine1989-1156" />。



[[1903年]]に[[曹洞宗大学]](現・[[駒澤大学]])を卒業すると、成績抜群につき[[曹洞宗|曹洞]]宗務院から学資が支給されることとなったため<ref>{{Cite book|和書|title=西根町史 下巻 |publisher=[[西根町]] |date=1989-09-30 |page=1157 |id={{国立国会図書館書誌ID|000002015184}}}}</ref>、[[東京大学大学院人文社会系研究科・文学部|東京帝国大学文科大学]]に選科生として進学し、[[高楠順次郎]]に学ぶ。[[1904年]]5月、[[日露戦争]]に召集され[[満州]]の[[野戦病院]]で勤務することとなったが、不慣れな軍務のため[[チフス]]に罹ってしまった<ref name="nishine1989-1158">{{Cite book|和書|title=西根町史 下巻 |publisher=[[西根町]]|date=1989-09-30 |page=1158 |id={{国立国会図書館書誌ID|000002015184}}}}</ref>。[[1906年]]9月に帝大に戻ったが、曹洞宗務院からの学資の関係で受験の上再入学となった<ref name="nishine1989-1158" />。本科生へと、[[1909年]]に首席で卒業した<ref>次席[[宇井伯寿]]</ref>。

[[1903年]]に[[曹洞宗大学]](現・[[駒澤大学]])を卒業すると、成績抜群につき曹洞宗務院から学資が支給されることとなったため<ref>{{Cite book|和書|title=西根町史 下巻 |publisher=[[西根町]] |date=1989-09-30 |page=1157 |id={{国立国会図書館書誌ID|000002015184}}}}</ref>、[[東京大学大学院人文社会系研究科・文学部|東京帝国大学文科大学]]に選科生として進学し、[[高楠順次郎]]に学ぶ。[[1904年]]5月、[[日露戦争]]に召集され[[満州]]の[[野戦病院]]で勤務することとなったが、不慣れな軍務のため[[チフス]]に罹ってしまった<ref name="nishine1989-1158">{{Cite book|和書|title=西根町史 下巻 |publisher=[[西根町]]|date=1989-09-30 |page=1158 |id={{国立国会図書館書誌ID|000002015184}}}}</ref>。[[1906年]]9月に帝大に戻ったが、曹洞宗務院からの学資の関係で受験の上再入学となった<ref name="nishine1989-1158" />。本科生、[[1909年]]に首席で卒業した<ref>次席[[宇井伯寿]]</ref>。




[[]][[|]]19191921[[]][[]]1923[[]]

[[]][[]][[|]]19191921[[]][[]]1923[[]]


1930年、在職のまま[[心臓病]]のため死去<ref>[[服部敏良]]『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)10頁</ref>。

1930年、在職のまま[[心臓病]]のため死去<ref>[[服部敏良]]『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)10頁</ref>。


2023年1月28日 (土) 13:00時点における版

木村 泰賢
人物情報
生誕 (1881-08-11) 1881年8月11日
日本の旗 日本岩手県
死没 1930年5月16日(1930-05-16)(48歳没)
出身校 曹洞宗大学
子供 木村泰三(医師)
学問
研究分野 哲学(インド哲学)・仏教学
研究機関 東京帝国大学
学位 文学博士
テンプレートを表示

  1881811 - 1930516[1]


1881[2]1984[2]1891[2][2]

1903[3]19045[4]19069[4]1909[5]

191919211923

1930[6]




西


1915

 - 19221944

 - 1922

1925

1927

 - 1928 1956

1930

1935

1935

 - 1939

1941

1942

 - 1948

1951

1968

6  2004

 2022

2022


1914

19332011


6







(一)^  2012NHK64

(二)^ abcd西 西19899301156ID:000002015184 

(三)^ 西 西19899301157ID:000002015184 

(四)^ ab西 西19899301158ID:000002015184 

(五)^ 寿

(六)^  201010