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「本庄氏」の版間の差分

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*ここで記す庄氏分家とは、直系の本宗家に対してであり、本庄氏は列記とした庄氏本宗家の子息である為、児玉庄氏の宗家を継ぐ事ができた。

*ここで記す庄氏分家とは、直系の本宗家に対してであり、本庄氏は列記とした庄氏本宗家の子息である為、児玉庄氏の宗家を継ぐ事ができた。


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*事実的には、備中に土着した家次は庄氏本宗家を継いだので庶子家とは言えないが、家次の子息である[[本庄朝次|朝次]]が児玉庄氏本宗家の領地(栗崎の地)を継がなかった事から時家が本宗家と位置付けられている。

*事実的には、備中に土着した家次は庄氏本宗家を継いだので庶子家とは言えないが、家次の子息である朝次が児玉庄氏本宗家の領地(栗崎の地)を継がなかった事から時家が本宗家と位置付けられている。

*'''[[高富藩]]・本庄家'''と'''[[宮津藩]]・松平本庄家'''は、この児玉党系本庄氏の流れをくむ。

*'''[[高富藩]]・本庄家'''と'''[[宮津藩]]・松平本庄家'''は、この児玉党系本庄氏の流れをくむ。



下記の系図の信憑性については判断を留保(本庄氏の系図が複数存在する為)。

下記の系図の信憑性については判断を留保(本庄氏の系図が複数存在する為、いまだに諸説ある)。



=== 系図 ===

=== 系図 ===


2009年4月28日 (火) 03:12時点における版




12136

45西












斜体は養子

児玉惟行児玉弘行児玉家行庄家広庄家長庄頼家一ノ谷の戦いで戦死。家督を継ぐべき直系が絶えた事で、庄家次が養子に迎えられ、家督を継ぐ)
本庄時家(結果的に家次の弟、時家が児玉党本宗家を継ぐ形となる)
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 ? 
本庄国房(時家の曾孫とされる)
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 ?
山内上杉家家臣、実忠の代から後北条家家臣)
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本庄信明(宮内少輔)
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本庄為明本庄将明本庄実明本庄実忠(宮内少輔)
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本庄近朝(隼人正)
 ┃
(高富本庄家、松平本庄家)
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本庄宗正(宗利?)
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道芳  宗資  桂昌院
 ┃   ┣━━━━━━━━━━━━┓
道高 松平資俊(松平本庄家)  牧野康重
 ┃   ┣━━━┳━━━┓
道章  資訓  宗長  宗胡
 ┃   ┃
道矩  資昌
 ┃   ┃
道倫  資尹
 ┃   ┃
道堅  資承
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道信  宗允  宗発 安藤直馨
 ┃   ┃
道揚  宗秀
 ┃   ┣━━━┓
道利  宗武 牧野忠訓道昌
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道貫 松平輝充道美























秩父将恒(将常とも)秩父武基
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高麗武家 秩父武綱秩父重長秩父惟長秩父光長秩父季長
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小泉行長 色部為長本庄定長
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(数代略)
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本庄長教 小川長俊持長
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(数代略)
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憲長顕長(大和守)
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長員
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房長  英長 
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時長
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房長  盛長  長資繁長
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顕長  充長  長房  久長  重長
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祐長  重長