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'''村上 鬼城'''(むらかみ きじょう、[[1865年]][[6月10日]]([[慶応]]元年[[5月17日 (旧暦)|5月17日]]) - [[1938年]]([[昭和]]13年)[[9月17日]])は[[日本]]の[[俳人]]、[[司法書士]]。本名は村上荘太郎(しょうたろう)。

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'''村上 鬼城'''(むらかみ きじょう、[[1865年]][[6月10日]]([[慶応]]元年[[5月17日 (旧暦)|5月17日]]) - [[1938年]]([[昭和]]13年)[[9月17日]])は[[日本]]の[[俳人]]、[[司法書士|司法代書人]]。本名は村上 荘太郎(むらかみ しょうたろう)。

==略歴==

[[鳥取県]]の[[鳥取藩]]士、小原平之進の長男として江戸に生まれるが、鬼城が11歳の、母方の村上家村上源兵衛の養子となる。



明治義塾法律学校中退。正岡子規に書を送り、「ホトトギス」創刊後は俳句、写生文を投稿。飯田蛇笏らと並び、大正期前半の「ホトトギス」を支えた。貧窮の境涯に根ざした諦観を詠んだ句が多い。句集に『鬼城句集』(1917年)など。


171884[[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[ ()|]][[]][[|]]2191371918


== 略歴 ==

人の娘と人の息子を儲け子宝に恵まれるものの、生活は絶えず困窮していたという。しかしながら人脈は深く、51歳の時に代書人を解雇された時には、虚子門下の弁護人を立てて復職を遂げている。

[[鳥取藩]]士、小原平之進の長男として[[江戸]][[小石川]]に生まれるが、8歳の[[群馬県]][[高崎市]]に移り住み、11歳の時に母方の村上家村上源兵衛の[[養子]]となり村上姓を名乗る。




171884[[]][[]][[]][[]]

昭和13年(1938年)に死去、享年74。龍広寺に墓がある。



その傍らで[[俳句]]を嗜み、[[広島市]]の[[大本営]]にいた[[正岡子規]]に教えを請い、また幾度となく『[[ホトトギス (雑誌)|ホトトギス]]』に俳句の投書を行っていた。

==作風==

決して恵まれた境ではなかため、困窮した生活や人生の諦念、弱者や病気への苦しみなど、独特の倫理観で憐れみ、哀しみを詠った句が多いのが特色である。また、本人も耳が不自由だったためか、[[身体障碍者]]に対する感情を詠ったものが多く(但し、今日では差別語として好ましくない表現を用いた句もあること留意する必要がある)、[[阿波野青畝]]など影響を受けた俳人も多い。また、座右の銘が「心眼」ならぬ「心耳」であったことから、今日では「心耳の詠み人」と呼ばれる。




[[]][[1913]][[]]2[[1918]]7

==作品==


8人の娘と2人の息子を儲け子宝に恵まれたが、生活は絶えず困窮していたという。しかしながら人脈は深く、51歳の時に代書人を解雇された時には、虚子門下の弁護人を立てて復職を遂げている。


[[1938年]](昭和13年)7月頃から胃腸病を患ったとして高崎市の自宅にて静養に入り、9月17日に家人や門人に看取られながら<ref>「ホトトギス」派の俳人、死去『東京日日新聞』1937年(昭和13年)9月18日.『昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p703 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>、

[[胃癌]]のため自宅で死去。74歳没。戒名は青萍院常閑鬼城居士<ref>[[工藤寛正|岩井寛]]『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)323頁</ref>。墓所は高崎の[[龍広寺]]。


== 作風 ==

遇な環境に置れていたため、困窮した生活や人生の諦念、弱者や病気への苦しみなど、独特の倫理観で憐れみ、哀しみを詠った句が多いのが特色である。また、本人も耳が不自由だったためか、[[身体障碍者]]に対する感情を詠ったものが多く(但し、今日では差別語として好ましくないとされる表現を用いた句もあること留意する必要がある)、[[阿波野青畝]]など影響を受けた俳人も多い。また、座右の銘が「心眼」ならぬ「心耳」であったことから、今日では「心耳の詠み人」と呼ばれる。


== 作品 ==

*小春日や石を噛みいる赤蜻蛉

*冬蜂の死にどころなく歩きけり

*冬蜂の死にどころなく歩きけり

* 闘鶏の眼つぶれて飼われけり

などが著名である。

* 鷹のつらきびしく老いて哀れなり

* 生きかはり死にかはりして打つ田かな

* ゆさゆさと大枝ゆるる桜かな

* 蛤に雀の斑(ふ)あり哀れかな

など、動物や自然に対するを詠んだ歌が多い。

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===句集===

=== 句集 ===

*『鬼城句集』

*『鬼城句集』

*『定本鬼城句集』

*『定本鬼城句集』



==外部リンク==

== 脚注 ==

<references />

{{Wikiquote|村上鬼城}}



==参考文献==

== 参考文献 ==

{{参照方法|date=2017年11月|section=1}}

*『俳句人名辞典』 常石英明編著 金園社

*『俳句人名辞典』 常石英明編著 金園社



== 関連文献 ==

{{参照方法|date=2017年11月|section=1}}

{{Wikiquote|村上鬼城}}

*{{Cite journal |和書|author =松本旭 |authorlink =松本旭 |title =村上鬼城の生涯 ―代書人罷免事件について― |year =1983 |publisher =俳文学会 |journal =連歌俳諧研究 |volume =1983 |issue =65 |doi=10.11180/haibun1951.1983.65_32 |pages =32-39 |accessdate =2016-07-24}}


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[[Category:俳人]]

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[[de:Murakami Kijō]]


2024年1月16日 (火) 18:04時点における最新版

村上鬼城
(むらかみ きじょう)
誕生 1865年6月10日
日本の旗 日本 江戸小石川
死没 (1938-09-17) 1938年9月17日(73歳没)
日本の旗 日本 群馬県高崎市
墓地 竜広寺(群馬県高崎市)
職業 俳人
司法代書人
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 明治法律学校卒業
ジャンル 俳句
短歌
文学活動 ホトトギス
代表作 『鬼城句集』(1917年)
『鬼城句集續』(1933年)
ウィキポータル 文学
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  1865610517 - 193813917  

退稿(1917)

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811

171884



1913219187

8251

1938137917[1] 74[2]

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句集[編集]

  • 『鬼城句集』
  • 『定本鬼城句集』

脚注[編集]

  1. ^ 「ホトトギス」派の俳人、死去『東京日日新聞』1937年(昭和13年)9月18日.『昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p703 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  2. ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)323頁

参考文献[編集]

  • 『俳句人名辞典』 常石英明編著 金園社

関連文献[編集]

  • 松本旭「村上鬼城の生涯 ―代書人罷免事件について―」『連歌俳諧研究』第1983巻第65号、俳文学会、1983年、32-39頁、doi:10.11180/haibun1951.1983.65_322016年7月24日閲覧