コンテンツにスキップ

「橋田東聲」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Nureginu (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
リンクさせました。
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
 
(14人の利用者による、間の20版が非表示)
1行目: 1行目:

''' ''' [[1886]][[1220]] - [[1930]][[1220]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]]

{{文学}}

'''橋田 東聲'''(はしだ とうせい、[[1886年]][[12月20日]] - [[1930年]][[12月20日]])は、[[歌人]][[経済学者]]。



==来歴==

[[高知県]][[中村市]]生まれ。本名・丑吾。[[高知県立中村高等学校|中村中学]]時代に[[短歌]]をはじめ、[[第七高等学校]]在学中に『[[明星 (雑誌)|明星]]』の社友となる。級友には[[中村憲吉]]。[[東京大学|東京帝国大学]]法学部卒。在学中、[[伊藤左千夫]]に師事。[[小説]]・[[新劇]]にも興味を持ち、[[森田草平]]と同居をしていた。[[東京日日新聞]]に勤務を経て、1919年歌誌『覇王樹』を創刊し主宰。[[文部省]]嘱託、[[明治大学]]講師をへて、1930年[[東京外国語学校]]教授に任命されたが二日後に死去した。

高知県[[中村市]]有岡の[[農家]]の二男として生まれる。本名・丑吾。[[宿毛市立宿毛小学校|宿毛小学校]]高等科時代に、一年上の川島朝野(後の北見志保子)と出会う。[[高知県立中村高等学校|中村中学]]時代に[[短歌]]をはじめ、雑誌『青年』に投稿。[[第七高等学校造士館 (旧制)|第七高等学校]]在学中に『[[明星 (文芸誌)|明星]]』の社友となり、[[与謝野鉄幹]]に東聲の号を授けられる。級友には[[中村憲吉]]、堀内卓造、森園天涙など。[[東京大学#沿革|東京帝国大学]][[英文科]]に進学するが、後に[[経済学科]]に転科して卒業。東京帝大進学後はいったん作歌から離れ、[[小説]]・[[新劇]]にも興味を持ち、[[森田草平]]と同居をしていた。[[伊藤左千夫]]を訪ね、『[[ホトトギス (雑誌)|ホトトギス]]』に小説を発表。苦学生であったため、許嫁の志保子が働いて学資を援助していた。




[[]]退[[]][[]][[]][[ ()#|]][[]][[]]191763<ref></ref>[[]]<ref>[[]]</ref>[[ ()|]]調

妻は同じく歌人で『[[平城山]]』の作詞者でもある[[北見志保子]]。しかし後に協議離婚し、志保子は東聲の弟子であった[[浜忠次郎]]と再婚した。[[直木賞]]作家の[[小山いと子]]は弟子。


1919年(大正8年)、[[スペイン風邪]]に倒れたことをきっかけに『珊瑚礁』を終刊。8月に新たな歌誌『覇王樹』を臼井大翼とともに創刊、主宰となる。『覇王樹』での弟子に後の[[直木賞]]作家・[[小山いと子]]がいる。[[東洋拓殖]]に[[参事]]として入社。1920年、[[報知新聞]]歌壇選者。1921年、第一歌集『地懐』出版。1922年、志保子と[[協議離婚]]。志保子は東聲の弟子で[[慶應義塾大学]]理財科を卒業したばかりだった12歳年下の青年・[[濱忠次郎]](後の[[千代田生命]]社長)と再婚した。この頃他の歌人との交流が多くなり、[[尾山篤二郎]]、[[吉植庄亮]]、[[北原白秋]]、[[前田夕暮]]、[[川田順]]といった非[[アララギ]]の重鎮歌人たちとともに歌誌『樹海』の創刊を計画するが、実現しなかった。


1923年、[[関東大震災]]の影響で休刊していた『覇王樹』を復刊。[[法政大学]]講師、[[司法省 (日本)|司法省]]刑務協会嘱託となる。紀内茂子と再婚する。『新釈 [[正岡子規]]歌集』を出版したのを機に、『明星』出身の出自とは逆に[[万葉集]]やアララギへの傾斜を強めてゆく。1924年にかつての『珊瑚礁』の同人たちが、頓挫した『樹海』構想の再興を模索して、白秋や夕暮などを中心に創刊された歌誌『日光』に参加。しかし、すでに『覇王樹』を復刊させていた東聲は参加を見送った。1926年(昭和元年)、全国町村長会政務調査主任を拝命。[[大阪朝日新聞]]九州版歌壇の選者に就任。



1928[[]][[]]調1929[[]]1930[[ ()|]]21220[[]][[ ()|]][[]]<ref>[[|]]1997260</ref>[[ ()|]]


==著書==

==著書==

12行目: 18行目:

*地懐 歌集 [[東雲堂書店]] 1921

*地懐 歌集 [[東雲堂書店]] 1921

*自然と韻律 評論集 [[高陽社]] 1924

*自然と韻律 評論集 [[高陽社]] 1924

*[[正岡子規]]歌集 新釈 [[紅玉堂書店]] 1924 新釈和歌叢書

*正岡子規歌集 新釈 [[紅玉堂書店]] 1924 新釈和歌叢書

*静夜歌話 [[春秋社]] 1925

*静夜歌話 [[春秋社]] 1925

*評釈万葉集傑作選 聚芳閣 1925

*評釈万葉集傑作選 聚芳閣 1925

27行目: 33行目:

==翻訳==

==翻訳==

*父 [[ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ|ストリンドベルヒ]] [[植竹書院]] 1914.12 文明叢書

*父 [[ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ|ストリンドベルヒ]] [[植竹書院]] 1914.12 文明叢書

*[[君主論]] [[ニッコロ・マキャヴェッリ|マキアヴェリー]] 世界大思想全集 第5 春秋社 1928

*[[君主論]] [[ニッコロ・マキャヴェッリ|マキアヴェリー]] 世界大思想全集 第5 [[春秋社]] 1928


==脚注==

<references/>



==参考==

==参考文献==

*日本近代文学大事典

*日本近代文学大事典

*[http://www16.plala.or.jp/tankanokaihaouju/page07.html 短歌の会「覇王樹」]

*[http://www16.plala.or.jp/tankanokaihaouju/page07.html 短歌の会「覇王樹」]



{{Normdaten}}

{{デフォルトソート:はした とうせい}}

{{デフォルトソート:はした とうせい}}

[[Category:歌人]]

[[Category:19世紀の歌人]]

[[Category:20世紀の歌人]]

[[Category:日本の経済学者]]

[[Category:日本の経済学者]]

[[Category:戦前日本の学者]]

[[Category:戦前日本の学者]]

[[Category:東京農業大学の教員]]

[[Category:法政大学の教員]]

[[Category:明治大学の教員]]

[[Category:明治大学の教員]]

[[Category:東京外国語大学の教員]]

[[Category:東京外国語大学の教員]]

[[Category:東京日日新聞社の人物]]

[[Category:東京日日新聞社の人物]]

[[Category:東洋拓殖の人物]]

[[Category:東京大学出身の人物]]

[[Category:東京大学出身の人物]]

[[Category:旧制第七高等学校造士館出身の人物]]

[[Category:高知県出身の人物]]

[[Category:高知県出身の人物]]

[[Category:腸チフスで死亡した日本の人物]]

[[Category:1886年生]]

[[Category:1886年生]]

[[Category:1930年没]]

[[Category:1930年没]]


2024年5月5日 (日) 01:06時点における最新版


  18861220 - 19301220

[]


宿稿

退191763[1][2]調

19198819201921192212

1923 19241926調

1928調1929193021220[3]

[]


   1914 

   1916

  1918

   1921

   1924

   1924 

  1925

  1925

   1925 

  1926 

  1927

  1928 

  1929

  1931 

   1933

  1933

  2002.8 

[]


   1914.12 

   5 1928

[]



(一)^ 

(二)^ 

(三)^ 1997260

[]