「水上源蔵」の版間の差分
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== 逸話 == |
== 逸話 == |
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*北支派遣軍の第110連隊長の頃、兵隊にも「ご両親はご健在か?」と敬語を使い、また厨房を視察すると必ず「兵には旨いものを食わしてやってくれ」と言っていたという<ref>[https://archive.is/skre 新たなる旅立ち 新潟自衛隊おもしろ館]</ref>。 |
*北支派遣軍の第110連隊長の頃、兵隊にも「ご両親はご健在か?」と敬語を使い、また厨房を視察すると必ず「兵には旨いものを食わしてやってくれ」と言っていたという<ref>[https://archive.is/skre 新たなる旅立ち 新潟自衛隊おもしろ館]</ref>。 |
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*自決の際は、歩兵第114連隊[[軍旗]]の前に立ち、長い敬礼の後さらに最敬礼を行い、その後皇居に向かって敬礼を行った後拳銃で自決したという<ref name="小林(1999)143">[[#小林(1999)|小林(1999)、p.143]]</ref>。自決の理由は残された部下(約800名)の命を救う為だったとされる。水上は生前同じ軍人の息子に「おまえもやがて部下を持つ立場になるだろうが、その時は部下にも親兄弟がいることを決して忘れるな」と語ったという<ref>[https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/4359/1077295/index.html 目撃!にっぽん「家族たちのインパール」]</ref>。 |
*自決の際は、歩兵第114連隊[[軍旗]]の前に立ち、長い敬礼の後さらに最敬礼を行い、その後皇居に向かって敬礼を行った後拳銃で自決したという<ref name="小林(1999)143">[[#小林(1999)|小林(1999)、p.143]]</ref>。自決の理由は残された部下(約800名)の命を救う為だったとされる。水上は生前同じ軍人の息子に「おまえもやがて部下を持つ立場になるだろうが、その時は部下にも親兄弟がいることを決して忘れるな」と語ったという<ref>[https://web.archive.org/web/20180211071741/https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/4359/1077295/index.html 目撃!にっぽん「家族たちのインパール」]</ref>。 |
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*[[軍医]]として水上少将の配下についていた詩人・[[丸山豊]]は、水上少将について「魂の司令官」「戦場の闇での何ものにもまさる光」とたびたび記している<ref>[http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_2313.html 水上源蔵という名の言霊 かささぎの旗]</ref>。 |
*[[軍医]]として水上少将の配下についていた詩人・[[丸山豊]]は、水上少将について「魂の司令官」「戦場の闇での何ものにもまさる光」とたびたび記している<ref>[http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_2313.html 水上源蔵という名の言霊 かささぎの旗]</ref>。 |
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2023年11月11日 (土) 16:30時点における版
水上 源蔵 | |
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生誕 |
1888年9月26日![]() |
死没 |
1944年8月4日(55歳没)![]() |
所属組織 |
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軍歴 | 1911 - 1944 |
最終階級 |
![]() |
指揮 | 第56歩兵団長 |