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親族
●二男 水上澄︵陸軍大尉︶
逸話
●北支派遣軍の第110連隊長の頃、兵隊にも﹁ご両親はご健在か?﹂と敬語を使い、また厨房を視察すると必ず﹁兵には旨いものを食わしてやってくれ﹂と言っていたという[1]。
●自決の際は、歩兵第114連隊軍旗の前に立ち、長い敬礼の後さらに最敬礼を行い、その後皇居に向かって敬礼を行った後拳銃で自決したという[2]。自決の理由は残された部下︵約800名︶の命を救う為だったとされる。水上は生前同じ軍人の息子に﹁おまえもやがて部下を持つ立場になるだろうが、その時は部下にも親兄弟がいることを決して忘れるな﹂と言われたという[3]。
●軍医として水上少将の配下についていた詩人・丸山豊は、水上少将について﹁魂の司令官﹂﹁戦場の闇での何ものにもまさる光﹂とたびたび記している[4]。
伝記
●島田駒男﹃ビルマの義人水上源蔵﹄非売品、1983年︵改訂増補改題﹃ビルマ戦場の義人水上源蔵閣下﹄、1985年︶。
脚注
(一)^ 新たなる旅立ち 新潟自衛隊おもしろ館
(二)^ 小林(1999)、p.143
(三)^ 目撃!にっぽん﹁家族たちのインパール﹂
(四)^ 水上源蔵という名の言霊 かささぎの旗
参考文献
●秦郁彦編﹃日本陸海軍総合事典﹄第2版、東京大学出版会、2005年。
●福川秀樹﹃日本陸軍将官辞典﹄芙蓉書房出版、2001年。
●外山操編﹃陸海軍将官人事総覧 陸軍篇﹄芙蓉書房出版、1981年。
●小林幸男、大西清、水上輝三、西村正人﹃歩兵第百十四連隊の将兵たち﹄葦書房、1999年。