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「水郡善之祐」の版間の差分

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===死後===

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息子の英太郎は15歳未満だった事から無罪放免となり、後に[[戊辰戦争]]に従軍し、最終的に明治まで生き延びた数少ない天誅組隊士となった。明治維新後はアメリカへの留学を経て、名を「長義」と改め、大阪、和歌山、姫路などの地方裁判所の検事を歴任した。また、善之祐は明治維新後に[[勤皇]]の忠臣として、明治31年(1898年)に贈[[正五位]]を賜った。

息子の英太郎は15歳未満だった事から無罪放免となり、後に[[戊辰戦争]]に従軍し、最終的に明治まで生き延びた数少ない天誅組隊士となった。明治維新後はアメリカへの留学を経て、名を「長義」と改め、大阪、和歌山、姫路などの地方裁判所の検事を歴任した。また、善之祐は明治維新後に[[勤皇]]の忠臣として、明治31年(1898年)に贈[[正五位]]を賜った<ref>田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.10</ref>



== 参考文献 ==

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[[Category:河内国の人物]]

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[[Category:1864年没]]

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2021年2月4日 (木) 14:50時点における版


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経歴

前史




3186317[1]

天誅組の変


3186381713[2]70[2]調退(退[1][1]

[3]

死後

息子の英太郎は15歳未満だった事から無罪放免となり、後に戊辰戦争に従軍し、最終的に明治まで生き延びた数少ない天誅組隊士となった。明治維新後はアメリカへの留学を経て、名を「長義」と改め、大阪、和歌山、姫路などの地方裁判所の検事を歴任した。また、善之祐は明治維新後に勤皇の忠臣として、明治31年(1898年)に贈正五位を賜った[4]

参考文献

  • 『水郡家諸記録/(附)重要文化財錦織神社』水郡庸皓
  • 『中山家の悲劇/天誅組外伝』天誅組河内勢顕彰会、1967年
  • 『天誅組河内勢の研究』水郡庸皓、1966年
  • 『維新秘話中山忠伊公/天誅組外伝』水郡庸皓、1983年
  • 『天誅組の菊の旗幟と半鐘並にさせんどうの不動尊』水郡庸皓、1987年

脚注

出典

  1. ^ a b c 【河内幻視行】甲田 「天誅組」あえなく賊軍に - 産経WEST - 産経ニュース2019年2月15日 閲覧
  2. ^ a b 大阪府指定史跡『水郡邸』 - 富田林市役所ウェブサイト2019年2月15日 閲覧
  3. ^ 龍神村の観光情報 - 龍神温泉付近の見どころ
  4. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.10