深井史郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
使
深井 史郎
基本情報
生誕 (1907-04-04) 1907年4月4日
日本の旗 日本 秋田県河辺郡新屋町
(現:秋田市
死没 (1959-07-02) 1959年7月2日(52歳没)
日本の旗 日本 京都府京都市
学歴 東京高等音楽学院
ジャンル クラシック音楽
職業 作曲家
活動期間 1930年 - 1959年

  190744 - 195972[1]


1927西

123

1933519701939

19402600

19531956

使BGM19721975FNN



19597252

1959712NHK

2004

作品

1955年

管弦楽曲

  • パロディ的な四楽章(1936年、「5つのパロディ」を改作)
  • 日本民謡による嬉遊曲(1938年、JOAKの委嘱による「国民詩曲」のひとつとして作曲)
  • 舞踏音楽「都会」「創造」(1940年、皇紀2600年奉祝曲)振付江口隆哉
  • 交響組曲「大陸の歌」(1941年)[2]
  • 交響的映像「ジャワの唄声」(1942年)
  • 朗読・管弦楽・吹奏楽のための「大東亜戦記」(1942年)
  • 英魂を送る(1943年)
  • 海原(1943年)
  • フィリピン国民に贈る管弦楽序曲(1944年)
  • バレエ音楽「秋の声」(1950年)
  • 架空のバレエのための3楽章(1956年)[3]
  • 交響絵巻「東京」(1956年)

カンタータ

マンドリンオーケストラ

  • マリピエロ譚詩(1931年)
  • アスファルト(1932年)(服部正・坂井孝栄との共作『プロムナード』より)

室内楽曲

  • 13奏者のためのディヴェルティスマン(1955年)

電子音楽

  • マイクロフォンのための組曲(1952年)

歌曲

映画音楽

放送音楽

校歌

著書

エピソード

  • 冴えた文筆でも知られる。自身のコンクール嫌いについて、「新聞社でやるのは、審査に信用がおけないし、オリムピツクなぞは、どうせナチスの宣伝に使はれるのだから嫌だ」(音楽世界)と述べている。
  • 「他の作家の影響を受けることによつて自己を失ふことを怖れるものヽ如きは、個性の貧弱な、苟しくも芸術家たる資格のないものだと思つてゐる」(音楽世界)
  • 「ジャワの唄声」への片山杜秀氏の分析によると、大東亜共栄圏の瓦解を予見していて、それを作品内で暗示している。その他、作中にメッセージを込めた作品が多いと思われる。

脚注

  1. ^ 深井史郎 (ふかいしろう)”. akitahs-doso.jp. akitahs-doso.jp. 2023年7月4日閲覧。
  2. ^ 大陸の歌 東京音楽大学付属図書館ニッポニカ・アーカイヴ。2020年8月12日閲覧。
  3. ^ 架空のバレエのための三楽章 東京音楽大学付属図書館ニッポニカ・アーカイヴ。2020年8月12日閲覧。
  4. ^ オーケストラ・ニッポニカ第11回演奏会 深井史郎作品展』プログラム, 2007.3.25
  5. ^ 平和への祈り 東京音楽大学付属図書館ニッポニカ・アーカイヴ。2020年8月12日閲覧。

外部リンク