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2005年10月26日 (水) 08:13時点における版
藤原 咲平︵ふじわら さくへい、1884年10月29日 - 1950年9月22日︶は、長野県諏訪市生まれの気象学者。
1909年に東京帝国大学理論物理学科を卒業し、中央気象台︵現気象庁︶に入る。1915年﹁音の異常伝搬の研究﹂により理学博士となり、1920年同研究により学士院賞を受賞。同年よりヨーロッパに留学し、ノルウェーのV.ビエルクネス博士に師事、前線論的新天気予報術を学ぶ。帰国後の1922年に中央気象台測侯技術官養成所(現気象大学校)の主事となり、1924年に寺田寅彦の後任として東大教授に就任。気象台では天気予報を担当し、1941年岡田武松の後任として第5代中央気象台長に就任。戦時中は軍の嘱託で風船爆弾の研究にも携わり、そのことが原因で戦後公職追放となった。以後は野にあって著述に専念。渦・雲・気象光学など、気象の幅広い分野において独創的な研究を行い、後進の育成にも力を尽くした。また、郷里諏訪地方の﹁御神渡﹂に関する研究もある。著述などによる啓蒙的な活動にも精力的で、﹁お天気博士﹂の愛称で親しまれた。日本のグライダー研究の草分け的存在でもある。1937年学士院会員。
主著に﹁雲﹂﹁雲をつかむ話﹂など。遺稿に﹁群渦―気象四十年﹂がある。作家の新田次郎は甥に当たる。