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「賀茂忠行」の版間の差分

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{{基礎情報 公家

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| 氏名 = 賀茂忠行

| 氏名 = 賀茂 忠行

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| 官位 = [[従五位|従五位下]]・[[丹波国#国司|丹波権介]]

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| 主君 = [[醍醐天皇]]→[[朱雀天皇]]→[[村上天皇]]

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| 特記事項 =

| 特記事項 =

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[[陰陽道|陰陽の術]]に優れ、時の[[天皇|帝]]から絶対的な信頼を得た。特に覆物の中身を当てる射覆を得意とし、帝の前でそれを披露した事もあった。安倍晴明を見出し、彼に「まるで瓶の水を移すかのように」<ref>『[[今昔物語集]]』</ref>[[陰陽道]]の真髄を教えたという。[[但馬国#国司|但馬丞]]・丹波権介を歴任し、一説には[[陰陽頭]]にも昇ったたともいうが、確証はない<ref>[[伴信友]]『[[新国史逸文考]]』は、[[延喜]]8年(908年)の落雷の記事のなかで「陰陽頭兼出羽介賀茂忠行」に言及する。しかし、当該落雷は、[[延長 (元号)|延長]]8年(930年)のことである上、その後の忠行の官歴からすると、この時点で「陰陽頭」であるとは考え難い。小塩豊「『賀茂保憲女集』研究」(日本文学研究 36, 1-11, 2001-02-20)は、これは『[[新国史]]』編纂当時の官職を記載したのであろうとする。</ref>。

[[陰陽道|陰陽の術]]に優れ、時の[[天皇|帝]]から絶対的な信頼を得た。特に覆物の中身を当てる射覆を得意とし、帝の前でそれを披露した事もあった。安倍晴明を見出し、彼に「まるで瓶の水を移すかのように」<ref>『[[今昔物語集]]』</ref>[[陰陽道]]の真髄を教えたという。[[但馬国#国司|但馬丞]]・丹波権介を歴任し、一説には[[陰陽頭]]にも昇ったたともいうが、確証はない<ref>[[伴信友]]『[[新国史逸文考]]』は、[[延喜]]8年(908年)の落雷の記事のなかで「陰陽頭兼出羽介賀茂忠行」に言及する。しかし、当該落雷は、[[延長 (元号)|延長]]8年(930年)のことである上、その後の忠行の官歴からすると、この時点で「陰陽頭」であるとは考え難い。小塩豊「『賀茂保憲女集』研究」(日本文学研究 36, 1-11, 2001-02-20)は、これは『[[新国史]]』編纂当時の官職を記載したのであろうとする。</ref>。

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賀茂氏の弟子筋である安倍晴明ら天文家・安倍氏も賀茂氏と同様、人材不足が功を奏して早くから陰陽寮内で影響力を獲得することに成功し、また賀茂氏と共に陰陽寮の基本的方針変換を煽動することによって権力を確立していくことになったといわれる。

賀茂氏の弟子筋である安倍晴明ら天文家・安倍氏も賀茂氏と同様、人材不足が功を奏して早くから陰陽寮内で影響力を獲得することに成功し、また賀茂氏と共に陰陽寮の基本的方針変換を煽動することによって権力を確立していくことになったといわれる。



== 官歴 ==

== 官歴 ==

注記のないものは『[[朝野群載]]』による。

注記のないものは『[[朝野群載]]』による。

*[[天暦]]3年([[949年]]) 見[[正六位上]]・[[近江国]][[掾|権少掾]]<ref>『[[別聚符宣抄]]』</ref>

*[[天暦]]3年([[949年]]) 正月21日:見[[正六位上]]・[[近江国]][[掾|権少掾]]<ref>『[[別聚符宣抄]]』</ref>

*天暦6年([[952年]]) 日付不詳:[[従五位|従五位下]]

*天暦6年([[952年]]) 日付不詳:[[従五位|従五位下]]

*[[天徳 (日本)|天徳]]3年([[959年]]) 2月27日:[[丹波国#国司|丹波権介]]

*[[天徳 (日本)|天徳]]3年([[959年]]) 2月27日:[[丹波国#国司|丹波権介]]



== 系譜 ==

== 系譜 ==

*父:賀茂江人<ref name="a" />、賀茂峯雄<ref name="b" />、または賀茂直峯<ref name="c" />

*父:[[賀茂江人]]<ref name="a" />、賀茂峯雄<ref name="b" />

*母:不詳

*母:不詳

*生母不詳の子女

*生母不詳の子女

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== 賀茂忠行を扱った作品 ==

== 登場作品 ==

;映画

* 『[[ねこねこ日本史]]』([[Eテレ]])

*[[陰陽師0]](2024年) - 演:[[國村隼]]

;テレビドラマ

*[[陰陽師☆安倍晴明〜王都妖奇譚〜]](2002年、フジテレビ) - 演:[[筒井康隆]]

*[[陰陽師 (2020年のテレビドラマ)|陰陽師]](2020年、テレビ朝日) - 演:[[大出俊 (俳優)|大出俊]]

;テレビアニメ

*[[ねこねこ日本史]](2018年、NHK) - 声:[[白井悠介]]



== 脚注 ==

== 脚注 ==

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== 参考文献 ==

== 参考文献 ==

*宮崎康充編『国司補任 第三』[[続群書類従完成会]]、1990年

*[[宝賀寿男]]『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年

*[[宝賀寿男]]『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年



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[[Category:賀茂氏|たたゆき]]

[[Category:賀茂朝臣氏|たたゆき]]

[[Category:平安時代前期の貴族]]

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[[Category:平安時代中期の貴族]]

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[[Category:陰陽師]]

[[Category:陰陽師]]

[[Category:従五位下受位者]]

[[Category:9世紀生]]

[[Category:9世紀生]]

[[Category:10世紀没]]

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2024年1月1日 (月) 09:47時点における最新版

 

凡例

賀茂 忠行
時代 平安時代前期 - 中期
生誕 不明
死没 不明[1]
官位 従五位下丹波権介
主君 醍醐天皇朱雀天皇村上天皇
氏族 賀茂朝臣氏
父母
賀茂保憲、保遠、慶滋保胤、慶滋保章
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(一)^ 4960

(二)^ ab63

(三)^ ab167 

(四)^ 

(五)^ 89088930 36, 1-11, 2001-02-20

(六)^ 

参考文献[編集]