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| 芸名 = 高堂 国典 |
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| ふりがな = こうどう くにのり |
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| 画像コメント = 『[[ゴジラ (1954年の映画)|ゴジラ]]』(1954年) |
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| 本名 = 谷川 佐市郎 |
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| 別名義 = 高堂 黒天 |
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| 死没地 = |
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| 事務所 = |
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| 公式サイト = |
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| 主な作品 = 『[[姿三四郎 (映画)|姿三四郎]]』 |
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* 『[[姿三四郎 (映画)|姿三四郎]]』 |
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* 『[[七人の侍]]』 |
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| アカデミー賞 = |
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| ゴールデングローブ賞 = |
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| ゴールデンラズベリー賞 = |
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| ゴヤ賞 = |
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| ジニー賞 = |
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| セザール賞 = |
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| トニー賞 = |
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| 日本アカデミー賞 = |
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| フィルムフェア賞 = |
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| ブルーリボン賞 = |
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| 備考 = |
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'''高堂 国典''' |
{{読み仮名|'''高堂 国典'''|こうどう くにのり|[[1887年]]︵明治20年︶[[1月29日]]{{R|全史529}}{{efn|一説には、明治21年︵[[1888年]]︶[[1月17日]]生まれとしている{{R|全史529}}<ref>﹃日本映画年鑑﹄{{Full|date=2022年2月}}</ref>。}} - [[1960年]]︵昭和35年︶[[1月22日]]}}は、[[日本]]の[[俳優]]。本名は{{読み仮名|谷川 佐市郎|たにがわ さいちろう}}。一時は'''高堂 黒天'''の芸名で活動していた。通り名は﹁こくてん﹂{{R|全史529|東宝SF5|大百科MG119}}。
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戦前は[[帝国キネマ]]と[[市川右太衛門プロダクション]]で活躍し、戦中から戦後にかけて[[東宝]]に出演した。老け役として個性を発揮し、様々な作品に脇役で活躍。[[黒澤明]]作品の常連の一人でもある。
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戦前は[[帝国キネマ]]と[[市川右太衛門プロダクション]]で活躍し、戦中から戦後にかけて[[東宝]]に出演した。老け役として個性を発揮し、様々な作品に脇役で活躍。[[黒澤明]]作品の常連の一人でもある。
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== 来歴 == |
== 来歴 == |
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[[1887年]](明治20年)[[1月29日]]、[[兵庫県]][[高砂市]]に生まれる{{R|全史529}}{{efn|一説には[[奈良県]][[奈良市]][[油阪町]]出身{{R|全史529}}<ref>{{Cite book |和書 |editor=キネマ旬報社|date=1996-10-25 |title=日本映画人名事典 |volume=男優篇 上巻 |publisher=[[キネマ旬報社]] |page=593 |isbn=4-87376-188-3}}</ref>。}}。 |
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[[ファイル:Vlcsnap-86671.png|thumb|『[[野良犬 (1949年の映画)|野良犬]]』(1949年)左から[[三船敏郎]]、[[三好栄子]]、'''高堂'''、[[淡路恵子]]]] |
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[[1887年]](明治20年)[[1月29日]]、[[兵庫県]][[高砂市]]に生まれる<ref>『日本映画人名事典 男優篇<上巻>』([[キネマ旬報社]]、1996年 ISBN 4-87376-188-3)によれば一説には[[奈良県]][[奈良市]][[油阪町]]出身。</ref>。 |
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[[関西学院中学部]]中退後の[[1901年]](明治34年) |
[[関西学院中学部]]中退後の[[1901年]](明治34年)[[新派]]の[[村田正雄 (初代)|村田正雄]]の門下に入り、[[大阪横井座]]で初舞台を踏んだ後地方巡業で各地を回る{{R|全史529}}。 |
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[[1923年]](大正12年) |
[[1923年]](大正12年)[[帝国キネマ]]小阪撮影所現代劇部に入社後本格的に映画俳優として活動を始め、『呪いの船』『復讐鬼』『星は乱れ飛ぶ』といった作品に出演する。 |
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[[1926年]](大正15年) |
[[1926年]](大正15年)帝国キネマの内紛から[[アシヤ映画製作所]]、[[連合映画芸術家協会|聯合映畫藝術家協會]]に所属した後、同年[[古海卓二]]監督の[[第一線映画連盟|第一線映画聯盟]]に加わり『恐しき邂逅』などに出演。 |
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[[1927年]]︵昭和2年︶ |
[[1927年]]︵昭和2年︶運動終了後に[[市川右太衛門プロダクション]]あやめ池撮影所に入り主要メンバーとして活動、﹃笑ふな金平 後篇﹄や﹃一殺多生剣﹄などに出演、また﹃[[旗本退屈男]]﹄シリーズの常連だった。[[松竹下加茂撮影所]]製作の﹃[[雪之丞変化]]﹄の土部三斎役は敵役としての代表作とされる<ref>{{Cite book |和書 |author=盛内政志 |year=1994 |title=映画俳優事典 戦前日本篇 |publisher=[[未來社]] |pages={{要ページ番号|date=2017年11月}} |isbn=4-624-71065-7}}</ref>。
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[[1936年]](昭和11年)に[[松竹京都撮影所|松竹下賀茂撮影所]]へ移籍。 |
[[1936年]](昭和11年)に[[松竹京都撮影所|松竹下賀茂撮影所]]へ移籍。 |
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[[1939年]](昭和14年) |
[[1939年]](昭和14年)[[東宝]]に移籍、このころ数作に'''高堂 黒天'''名義で出演している。戦後も東宝を中心に多くの作品に出演。 |
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[[1960年]](昭和35年) |
[[1960年]]︵昭和35年︶[[1月22日]]死去。72歳没。遺作は1959年の﹃暗黒街の顔役﹄。
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== 人物 == |
== 人物 == |
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撮影所では﹁こくてんさん﹂と呼ばれたが、[[土屋嘉男]]によると、こう呼ばれるたびにすかさず﹁くにのり!﹂と怒鳴り返していた。土屋は高堂に﹁養子になってくれないか﹂と頼まれたことがあったといい、困った土屋が[[黒澤明]] |
撮影所では﹁こくてんさん﹂と呼ばれたが、[[土屋嘉男]]によると、こう呼ばれるたびにすかさず﹁くにのり!﹂と怒鳴り返していた。土屋は高堂に﹁養子になってくれないか﹂と頼まれたことがあったといい{{R|東宝SF5}}、困った土屋が[[黒澤明]]に相談すると、﹁大事な息子を戦死させていて、その面影を土屋に求めているからではないか﹂ということだった。鮎釣りが好きで、いつも多摩川に一人で釣りに出かけていて、一度増水した川に飲まれて九死に一生を得たことがあったといい、土屋はこれを聞いて、﹁威勢のいい高堂さんの淋しい一面を知った﹂と語っている。
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オーバーアクションに定評があり、セリフもなく歩くだけで体を震わせ﹁ウーム、ムニャン、ムニャン﹂と唸るため、黒澤 |
オーバーアクションに定評があり、セリフもなく歩くだけで体を震わせ﹁ウーム、ムニャン、ムニャン﹂と唸るため、黒澤は﹁高堂さん、カメラが壊れます﹂と何度も叫んだという{{R|東宝SF5}}。土屋は[[藤原釜足]]や[[小杉義男]]、[[左卜全]]と並べて高堂を、﹁いずれ劣らぬ個性ジイサンたちで、今後絶対に現れそうにない映画界きっての貴重な方々であり、学生時代から大好きな人達であった﹂と評している<ref>﹃クロサワさーん! 黒澤明との素晴らしき日々﹄︵[[土屋嘉男]]、新潮社︶</ref><!-- 単行本と文庫版が存在。どちらの何頁? -->{{信頼性要検証|date=2017年11月}}。
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[[1936年]]ごろ、京都で﹁酒は百害あって一利なく、時間の浪費、健康の不利﹂と説いて、同志五十余を集め、華麗な結成大会を開き、﹁日本映画人禁酒聯盟﹂という団体を結成。会長は高堂、副会長は[[上田吉二郎]]、会員も |
[[1936年]]ごろ、京都で﹁酒は百害あって一利なく、時間の浪費、健康の不利﹂と説いて、同志五十余を集め、華麗な結成大会を開き、﹁日本映画人禁酒聯盟﹂という団体を結成。会長は高堂、副会長は[[上田吉二郎]]、会員もそうそうたる面々とあって、京都の映画人のあいだで話が賑わった。が、それは酒の尽きない映画人の付き合いのなか、﹁いつまで続くだろう﹂ということで賑わったのであって、この話題を肴に酒を飲んだ者があったほどだった。結局、この﹁禁酒聯盟﹂は三カ月を待たずに解散してしまった。解散式では高堂会長はじめ会員が盛大に飲んで暴れたといい、この会はもともと解散式をあてこんで始めたのではないかと、口の悪い者たちが噂したという<ref>﹃日本映画の若き日々﹄︵[[稲垣浩]]、毎日新聞社刊︶</ref><!-- 単行本と文庫版が存在。どちらの何頁? -->{{信頼性要検証|date=2017年11月}}。
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== 主な出演作品 == |
== 主な出演作品 == |
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'''太字の題名は[[キネマ旬報ベストテン]]にランクインされた作品'''<br /> |
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★印は[[黒澤明]]監督作品。 |
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* 星は乱れ飛ぶ(1924年、帝国キネマ) |
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* 愛の憎悪(1925年、帝国キネマ) |
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* 日輪 前篇(1926年、[[連合映画芸術家協会|聯合映畫藝術家協會]]) |
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* 恐しき邂逅(1927年、[[第一線映画連盟|第一線映画聯盟]]) |
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* 恐しき邂逅(1927年、第一線映画聯盟) |
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* 笑ふな金平 後篇(1927年、[[市川右太衛門プロダクション]]) |
* 笑ふな金平 後篇(1927年、[[市川右太衛門プロダクション]]) |
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* 一殺多生剣(1929年、市川右太衛門プロダクション) - 佐分利玄馬 |
* 一殺多生剣(1929年、市川右太衛門プロダクション) - 佐分利玄馬 |
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** 仙台に現はれた退屈男(1931年) - 伊達家家老 |
** 仙台に現はれた退屈男(1931年) - 伊達家家老 |
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** 江戸へ帰った退屈男(1931年) - [[吉良義央|吉良上野介]] |
** 江戸へ帰った退屈男(1931年) - [[吉良義央|吉良上野介]] |
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** 爆走する退屈男(1933年) - [[紀伊国屋文左衛門]] |
** 爆走する退屈男(1933年) - [[紀伊國屋文左衛門|紀伊国屋文左衛門]] |
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** 中仙道を行く退屈男 前・後篇(1935年) - 天野屋徳兵衛 |
** 中仙道を行く退屈男 前・後篇(1935年) - 天野屋徳兵衛 |
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* 清水次郎長 股旅篇(1931年、市川右太衛門プロダクション) - 武居の吃安 |
* 清水次郎長 股旅篇(1931年、市川右太衛門プロダクション) - 武居の吃安 |
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* まぼろし峠 東京篇(1931年、市川右太衛門プロダクション) - 天野八郎 |
* まぼろし峠 東京篇(1931年、市川右太衛門プロダクション) - 天野八郎 |
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* [[忠臣蔵 (1932年の映画)|忠臣蔵]](1932年、松竹) - 上杉家家老 |
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* 敵への道(1933年、市川右太衛門プロダクション) - 嘉平 |
* 敵への道(1933年、市川右太衛門プロダクション) - 嘉平 |
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* [[雪之丞変化#雪之丞変化(3部作、1935年-1936年)|雪之丞変化]] 第一篇・第二篇・解決篇(1935年・1936年) - 土部三斎 |
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* 忠臣蔵(1939年、東宝) - [[堀部金丸|堀部弥兵衛]] |
* 忠臣蔵(1939年、東宝) - [[堀部金丸|堀部弥兵衛]] |
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* [[白蘭の歌]](1939年、東宝) - 八丁 |
* [[白蘭の歌]](1939年、東宝) - 八丁 |
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* [[新妻鏡]](1940年、東宝) |
* [[新妻鏡]](1940年、東宝) |
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* [[阿波の踊子]](1941年、東宝) |
* [[阿波の踊子]](1941年、東宝) |
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* [[姿三四郎 (映画)|姿三四郎]](1943年、東宝) - 和尚{{R|全史529}} |
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* [[續姿三四郎]](1945年、東宝) - 和尚 |
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* 東京五人男(1945年、東宝) - 善良な百姓 |
* [[東京五人男]](1945年、東宝) - 善良な百姓 |
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* [[わが青春に悔なし]](1946年、東宝) - 野毛の父{{R|全史529}} |
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* [[銀嶺の果て]](1947年、東宝) - スキー小屋の爺 |
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* 面影(1948年、東宝) - 床屋 |
* 面影(1948年、東宝) - 床屋 |
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* 第二の人生(1948年、東宝) - 船頭重助 |
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* [[野良犬 (1949年の映画)|野良犬]](1949年、東宝) - アパートの管理人{{R|全史529|大百科MG119}} |
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* [[青い山脈 (映画)|続青い山脈]](1949年、東宝) - 長森の主人 |
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* [[てんやわんや]](1950年、松竹) - 銅八 |
* [[てんやわんや]](1950年、松竹) - 銅八 |
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* [[暴力の街]](1950年) |
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* [[右門捕物帖]] 伊豆の旅日記(1950年、新東宝) - 和尚 |
* [[右門捕物帖]] 伊豆の旅日記(1950年、新東宝) - 和尚 |
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* 殺人者の顔(1950年、東宝) - 老紳士 |
* 殺人者の顔(1950年、東宝) - 老紳士 |
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* [[醜聞]](1950年、松竹) - 木樵の親爺{{R|全史529}} |
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* [[暁の追跡]](1950年、新東宝) - 珍々亭の親父 |
* [[暁の追跡]](1950年、新東宝) - 珍々亭の親父 |
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* [[長崎の鐘]](1950年、松竹) - 爺や |
* [[長崎の鐘]](1950年、松竹) - 爺や |
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* 夜の緋牡丹(1950年、新東宝) - 妄念和尚 |
* 夜の緋牡丹(1950年、新東宝) - 妄念和尚 |
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* [[我が家は楽し]](1951年、松竹) - 金沢老人 |
* [[我が家は楽し]](1951年、松竹) - 金沢老人 |
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* [[白痴 (1951年の映画)|白痴]](1951年、松竹) - 香山順平 |
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* [[青い真珠]](1951年、東宝) - 野枝の伯父 |
* [[青い真珠]](1951年、東宝) - 野枝の伯父 |
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* [[麦秋 (1951年の映画)|麦秋]](1951年、松竹) - 間宮茂吉 |
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* [[カルメン故郷に帰る]](1951年、松竹) - 村の老人 |
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* 荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻(1952年、東宝) - 鍵屋三右衛門 |
* [[荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻]](1952年、東宝) - 鍵屋三右衛門 |
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* [[戦国無頼]](1952年、東宝) |
* [[戦国無頼]](1952年、東宝) |
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* [[三等重役]](1952年、東宝) - 勝田頭取 |
* [[三等重役]](1952年、東宝) - 勝田頭取 |
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* [[赤線基地]](1953年、東宝) - 祖父・重作 |
* [[赤線基地]](1953年、東宝) - 祖父・重作 |
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* 夜の終り(1953年、東宝) - 踏切番の親爺 |
* 夜の終り(1953年、東宝) - 踏切番の親爺 |
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* |
* [[七人の侍]](1954年、東宝) - 儀作 |
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* [[次郎長三国志]] 第九部 荒神山(1954年、東宝) - 吉良の馬之助 |
* [[次郎長三国志]] 第九部 荒神山(1954年、東宝) - 吉良の馬之助 |
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* 新鞍馬天狗 天狗出現・東寺の決闘(1954年、東宝) - 大阪城代家老 |
* 新鞍馬天狗 天狗出現・東寺の決闘(1954年、東宝) - 大阪城代家老 |
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* [[ゴジラ (1954年の映画)|ゴジラ]](1954年、東宝) - 大戸島の長老 |
* [[ゴジラ (1954年の映画)|ゴジラ]](1954年、東宝) - 老いたる漁夫(大戸島の長老){{R|全史529|大百科MG119}} |
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* 明治一代女(1955年、新東宝) - 稲舟の番頭 |
* [[明治一代女 (1955年の映画)|明治一代女]](1955年、新東宝) - 稲舟の番頭 |
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* [[宮本武蔵]]シリーズ(東宝) - 老僧日観 |
* [[宮本武蔵 (小説)|宮本武蔵]]シリーズ(東宝) - 老僧日観 |
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** 続宮本武蔵 一乗寺の決 |
** [[続宮本武蔵 一乗寺の決斗]](1955年) |
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** 決闘巌流島(1956年) |
** [[宮本武蔵 完結篇 決闘巌流島]](1956年) |
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* [[幻の馬]](1955年、大映) - 六造爺 |
* [[幻の馬]](1955年、大映) - 六造爺 |
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* [[下郎の首]](1955年、新東宝) - 梅里軒 |
* [[下郎の首]](1955年、新東宝) - 梅里軒 |
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* [[獣人雪男]](1955年、東宝) - 爺様 |
* [[獣人雪男]](1955年、東宝) - 爺様{{R|全史529|大百科MG119}} |
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* [[柿の木のある家]](1955年、東宝) - おじいさん |
* [[柿の木のある家]](1955年、東宝) - おじいさん |
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* |
* [[生きものの記録]](1955年、東宝) - 工員の家族 |
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* [[ |
* [[黒田騒動 (1956年の映画)|黒田騒動]](1956年、東映) - 黒田長政 |
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* 新・平家物語 義仲をめぐる三人の女(1956年、大映) - 寝覚の蔵人 |
* [[新・平家物語 義仲をめぐる三人の女]](1956年、大映) - 寝覚の蔵人 |
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* [[赤線地帯]](1956年、大映) - ゆめ子の義父 |
* [[赤線地帯]](1956年、大映) - ゆめ子の義父 |
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* 逆襲獄門岩(1956年、東映) - 和平次 |
* 逆襲獄門岩(1956年、東映) - 和平次 |
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* |
* [[蜘蛛巣城]](1957年、東宝) - 武将 |
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* 暴れん坊海道(1957年、東映) - 本田弥左衛門 |
* 暴れん坊海道(1957年、東映) - 本田弥左衛門 |
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* 喧嘩道中(1957年、東映) - 戸倉屋彦右衛門 |
* 喧嘩道中(1957年、東映) - 戸倉屋彦右衛門 |
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* [[青い山脈 (映画)|青い山脈 新子の巻・雪子の巻]](1957年、東宝) - 長森老人 |
* [[青い山脈 (映画)|青い山脈 新子の巻・雪子の巻]](1957年、東宝) - 長森老人 |
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* 若さま侍捕物帳 鮮血の人魚(1957年、東映) - 島方左門 |
* 若さま侍捕物帳 鮮血の人魚(1957年、東映) - 島方左門 |
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* |
* [[どたんば]](1957年、東映) |
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* |
* [[無法松の一生]](1958年、東宝) - 町の古老 |
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* |
* [[裸の大将 (映画)|裸の大将]](1958年、東宝) - 金持ちの爺さん |
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* |
* [[隠し砦の三悪人]](1958年、東宝) - 立札の前の男 |
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* [[暗黒街の顔役 (1959年の映画)|暗黒街の顔役]](1959年、東宝) - 石山の父親 |
* [[暗黒街の顔役 (1959年の映画)|暗黒街の顔役]](1959年、東宝) - 石山の父親 |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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{{ |
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=== 注釈 === |
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=== 出典 === |
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{{Reflist |
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<ref name="全史529">{{Harvnb|東宝特撮映画全史|1983|p=529|loc=「怪獣・SF映画俳優名鑑」}}</ref> |
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<ref name="東宝SF5">{{Cite book|和書|title=キングコング対ゴジラ/地球防衛軍|date=1986-03-01|publisher=東宝出版事業室|series=東宝SF特撮映画シリーズ VOL.5|page=152|chapter=土屋嘉男ロングインタビュー|isbn=4-924609-16-1}}</ref> |
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<ref name="大百科MG119">{{Harvnb|ゴジラ大百科|1993|p=119|loc=構成・文 岩田雅幸「決定保存版 怪獣映画の名優名鑑」}}</ref> |
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== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
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{{参照方法|date=2017年11月|section=1}} |
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* {{Cite book|和書|title=東宝特撮映画全史|others=監修 [[田中友幸]]|date=1983-12-10|publisher=[[東宝]]出版事業室|isbn=4-924609-00-5|ref={{SfnRef|東宝特撮映画全史|1983}}}} |
|||
* {{Cite book|和書|others=監修 田中友幸、責任編集 [[川北紘一]]|title=ENCYCLOPEDIA OF GODZILLA ゴジラ大百科 [メカゴジラ編]|publisher=[[Gakken]]|series=Gakken MOOK|date=1993-12-10|isbn=|ref={{SfnRef|ゴジラ大百科|1993}}}} |
|||
* 盛内政志『映画俳優事典[戦前日本編]』未來社 1994年 ISBN 4-624-71065-7 |
* 盛内政志『映画俳優事典[戦前日本編]』未來社 1994年 ISBN 4-624-71065-7 |
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* 『日本映画人名事典 男優篇<上巻>』[[キネマ旬報社]] 1996年 ISBN 4-87376-188-3 |
* 『日本映画人名事典 男優篇<上巻>』[[キネマ旬報社]] 1996年 ISBN 4-87376-188-3 |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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* {{jmdb name|0117040|高堂国典}} |
* {{jmdb name|0117040|高堂国典}} |
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* {{kinejun name|115625}} |
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* {{allcinema name|113615}} |
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* {{imdb name|0462679|Kokuten Kôdô}} |
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[[Category:日本の男優]] |
[[Category:日本の男優]] |
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[[Category:帝国キネマの俳優]] |
[[Category:帝国キネマの俳優]] |
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[[Category:市川右太衛門プロダクションの俳優]] |
[[Category:市川右太衛門プロダクションの俳優]] |
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⚫ | |||
[[Category:松竹の俳優]] |
[[Category:松竹の俳優]] |
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[[Category:東宝の俳優]] |
[[Category:東宝の俳優]] |
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[[Category:剣戟俳優]] |
[[Category:剣戟俳優]] |
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[[Category:サイレント映画の俳優]] |
[[Category:サイレント映画の俳優]] |
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[[Category:兵庫県出身の人物]] |
[[Category:兵庫県出身の人物]] |
2024年2月24日 (土) 05:17時点における最新版
こうどう くにのり 高堂 国典 | |
---|---|
![]() 『ゴジラ』(1954年) | |
本名 |
|
別名義 |
|
生年月日 | 1887年1月29日 |
没年月日 | 1960年1月22日(72歳没) |
出生地 |
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職業 | 俳優 |
ジャンル | 新劇、新派、劇映画(現代劇・時代劇、剣戟映画、サイレント映画・トーキー) |
活動期間 | 1901年 - 1959年 |
主な作品 | |
来歴[編集]
1887年︵明治20年︶1月29日、兵庫県高砂市に生まれる[1][注釈 2]。 関西学院中学部中退後の1901年︵明治34年︶新派の村田正雄の門下に入り、大阪横井座で初舞台を踏んだ後地方巡業で各地を回る[1]。 1923年︵大正12年︶帝国キネマ小阪撮影所現代劇部に入社後本格的に映画俳優として活動を始め、﹃呪いの船﹄﹃復讐鬼﹄﹃星は乱れ飛ぶ﹄といった作品に出演する。 1926年︵大正15年︶帝国キネマの内紛からアシヤ映画製作所、聯合映畫藝術家協會に所属した後、同年古海卓二監督の第一線映画聯盟に加わり﹃恐しき邂逅﹄などに出演。 1927年︵昭和2年︶運動終了後に市川右太衛門プロダクションあやめ池撮影所に入り主要メンバーとして活動、﹃笑ふな金平 後篇﹄や﹃一殺多生剣﹄などに出演、また﹃旗本退屈男﹄シリーズの常連だった。松竹下加茂撮影所製作の﹃雪之丞変化﹄の土部三斎役は敵役としての代表作とされる[6]。 1936年︵昭和11年︶に松竹下賀茂撮影所へ移籍。 1939年︵昭和14年︶東宝に移籍、このころ数作に高堂 黒天名義で出演している。戦後も東宝を中心に多くの作品に出演。 1960年︵昭和35年︶1月22日死去。72歳没。遺作は1959年の﹃暗黒街の顔役﹄。人物[編集]
撮影所では﹁こくてんさん﹂と呼ばれたが、土屋嘉男によると、こう呼ばれるたびにすかさず﹁くにのり!﹂と怒鳴り返していた。土屋は高堂に﹁養子になってくれないか﹂と頼まれたことがあったといい[3]、困った土屋が黒澤明に相談すると、﹁大事な息子を戦死させていて、その面影を土屋に求めているからではないか﹂ということだった。鮎釣りが好きで、いつも多摩川に一人で釣りに出かけていて、一度増水した川に飲まれて九死に一生を得たことがあったといい、土屋はこれを聞いて、﹁威勢のいい高堂さんの淋しい一面を知った﹂と語っている。 オーバーアクションに定評があり、セリフもなく歩くだけで体を震わせ﹁ウーム、ムニャン、ムニャン﹂と唸るため、黒澤は﹁高堂さん、カメラが壊れます﹂と何度も叫んだという[3]。土屋は藤原釜足や小杉義男、左卜全と並べて高堂を、﹁いずれ劣らぬ個性ジイサンたちで、今後絶対に現れそうにない映画界きっての貴重な方々であり、学生時代から大好きな人達であった﹂と評している[7][信頼性要検証]。 1936年ごろ、京都で﹁酒は百害あって一利なく、時間の浪費、健康の不利﹂と説いて、同志五十余を集め、華麗な結成大会を開き、﹁日本映画人禁酒聯盟﹂という団体を結成。会長は高堂、副会長は上田吉二郎、会員もそうそうたる面々とあって、京都の映画人のあいだで話が賑わった。が、それは酒の尽きない映画人の付き合いのなか、﹁いつまで続くだろう﹂ということで賑わったのであって、この話題を肴に酒を飲んだ者があったほどだった。結局、この﹁禁酒聯盟﹂は三カ月を待たずに解散してしまった。解散式では高堂会長はじめ会員が盛大に飲んで暴れたといい、この会はもともと解散式をあてこんで始めたのではないかと、口の悪い者たちが噂したという[8][信頼性要検証]。主な出演作品[編集]
- 呪いの船(1923年、帝国キネマ)
- 復讐鬼(1924年、帝国キネマ)
- 星は乱れ飛ぶ(1924年、帝国キネマ)
- 愛の憎悪(1925年、帝国キネマ)
- 日輪 前篇(1926年、聯合映畫藝術家協會)
- 地蔵経由来(1926年、聯合映畫藝術家協會) - 村の男 嘉平
- 恐しき邂逅(1927年、第一線映画聯盟)
- 笑ふな金平 後篇(1927年、市川右太衛門プロダクション)
- 一殺多生剣(1929年、市川右太衛門プロダクション) - 佐分利玄馬
- 旗本退屈男シリーズ(市川右太衛門プロダクション)
- 清水次郎長 股旅篇(1931年、市川右太衛門プロダクション) - 武居の吃安
- まぼろし峠 東京篇(1931年、市川右太衛門プロダクション) - 天野八郎
- 忠臣蔵(1932年、松竹) - 上杉家家老
- 敵への道(1933年、市川右太衛門プロダクション) - 嘉平
- 雪之丞変化 第一篇・第二篇・解決篇(1935年・1936年) - 土部三斎
- 忠臣蔵(1939年、東宝) - 堀部弥兵衛
- 白蘭の歌(1939年、東宝) - 八丁
- 松下村塾(1939年、東宝)
- 新妻鏡(1940年、東宝)
- 阿波の踊子(1941年、東宝)
- 姿三四郎(1943年、東宝) - 和尚[1]
- 續姿三四郎(1945年、東宝) - 和尚
- 東京五人男(1945年、東宝) - 善良な百姓
- わが青春に悔なし(1946年、東宝) - 野毛の父[1]
- 銀嶺の果て(1947年、東宝) - スキー小屋の爺
- 面影(1948年、東宝) - 床屋
- 第二の人生(1948年、東宝) - 船頭重助
- 野良犬(1949年、東宝) - アパートの管理人[1][4]
- 続青い山脈(1949年、東宝) - 長森の主人
- てんやわんや(1950年、松竹) - 銅八
- 暴力の街(1950年)
- 右門捕物帖 伊豆の旅日記(1950年、新東宝) - 和尚
- 殺人者の顔(1950年、東宝) - 老紳士
- 醜聞(1950年、松竹) - 木樵の親爺[1]
- 暁の追跡(1950年、新東宝) - 珍々亭の親父
- 長崎の鐘(1950年、松竹) - 爺や
- 夜の緋牡丹(1950年、新東宝) - 妄念和尚
- 我が家は楽し(1951年、松竹) - 金沢老人
- 白痴(1951年、松竹) - 香山順平
- 青い真珠(1951年、東宝) - 野枝の伯父
- 麦秋(1951年、松竹) - 間宮茂吉
- カルメン故郷に帰る(1951年、松竹) - 村の老人
- 荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻(1952年、東宝) - 鍵屋三右衛門
- 戦国無頼(1952年、東宝)
- 三等重役(1952年、東宝) - 勝田頭取
- 夫婦(1953年、東宝) - 耳の遠い老人
- 青色革命(1953年、東宝) - 時計屋
- 赤線基地(1953年、東宝) - 祖父・重作
- 夜の終り(1953年、東宝) - 踏切番の親爺
- 七人の侍(1954年、東宝) - 儀作
- 次郎長三国志 第九部 荒神山(1954年、東宝) - 吉良の馬之助
- 新鞍馬天狗 天狗出現・東寺の決闘(1954年、東宝) - 大阪城代家老
- ゴジラ(1954年、東宝) - 老いたる漁夫(大戸島の長老)[1][4]
- 明治一代女(1955年、新東宝) - 稲舟の番頭
- 宮本武蔵シリーズ(東宝) - 老僧日観
- 続宮本武蔵 一乗寺の決斗(1955年)
- 宮本武蔵 完結篇 決闘巌流島(1956年)
- 幻の馬(1955年、大映) - 六造爺
- 下郎の首(1955年、新東宝) - 梅里軒
- 獣人雪男(1955年、東宝) - 爺様[1][4]
- 柿の木のある家(1955年、東宝) - おじいさん
- 生きものの記録(1955年、東宝) - 工員の家族
- 黒田騒動(1956年、東映) - 黒田長政
- 新・平家物語 義仲をめぐる三人の女(1956年、大映) - 寝覚の蔵人
- 赤線地帯(1956年、大映) - ゆめ子の義父
- 逆襲獄門岩(1956年、東映) - 和平次
- 蜘蛛巣城(1957年、東宝) - 武将
- 暴れん坊海道(1957年、東映) - 本田弥左衛門
- 喧嘩道中(1957年、東映) - 戸倉屋彦右衛門
- あらくれ(1957年、東宝) - 小野田の父・金七
- 青い山脈 新子の巻・雪子の巻(1957年、東宝) - 長森老人
- 若さま侍捕物帳 鮮血の人魚(1957年、東映) - 島方左門
- どたんば(1957年、東映)
- 無法松の一生(1958年、東宝) - 町の古老
- 裸の大将(1958年、東宝) - 金持ちの爺さん
- 隠し砦の三悪人(1958年、東宝) - 立札の前の男
- 暗黒街の顔役(1959年、東宝) - 石山の父親
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
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