キュノデスメ
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/47/Kynodesme_image.jpg/150px-Kynodesme_image.jpg)
キュノデスメ︵キュノデズメー[注釈 1]、ギリシア語: κυνοδέσμη, kynodesmē;﹁犬の紐、首輪﹂の意︶は、陰茎亀頭が公共の場で露出するのを防ぐために古代ギリシアとエトルリアで着用されていた紐[1]または革の帯。アクロポスティオンと呼ばれる[注釈 2]、亀頭を超えて伸びた包皮の部分のまわりにきっちりと巻かれた。
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エウプロニオスによる赤絵式萼型クラテール︵紀元前510年頃の作︶ の一面。運動選手の青年が左手の指で自分のアクロポスティオンをつまんで包皮を引っ張り、右手に用意したキュノデスメを装着しようとしている。
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ギリシアの詩人アナクレオン︵紀元前570年 – 紀元前485年︶ の彫像の細部。アクロポスティオンのまわりに巻かれたあと陰茎の根元に結ばれたキュノデスメの着用が見てとれる。
古代ギリシアの美術品に描かれているように、キュノデスメは運動選手、俳優、詩人、また饗宴︵シュンポシオン︶や酒宴︵コーモス︶に参加する人々などによって着用された。公共の場で一時的に着用され、随意に取り外し、また装着することができた。
包皮を結んだキュノデスメは、陰茎を持ち上げて陰嚢を露出させるために腰紐に取りつけるか、陰茎が丸まって見えるように陰茎の根元に結びつけることができた[1]。多数の彫像において性器が典型的に丸まった見かけをしているのは後者の着用法による。
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キュノデスメの結び方2種。上段‥腰に巻いたベルト状のループに結び つけたもの。下段‥陰嚢の根元に巻いたループに結びつけたもの。
古代ギリシアでは、公の場で裸を見せることは不快とはされなかったが、陰茎亀頭を露出させることは奴隷や野蛮人にしか見られない不名誉で恥ずべきことだと考えられた[1]。公共の場で裸になる運動選手や俳優などは、品位と節度を保つため亀頭を隠す必要があった[1][3]。同じ事情について第一マカベア書と﹃ユダヤ古代誌﹄が、ユダヤ人の青少年のもとでのエルサレムの運動場に関連して指摘している[4][5]。
キュノデスメを恒常的に用いている者たちにおいて、アクロポスティオンに常時引っ張る力がかかっていることは包皮の伸長につながるが、これは古代ギリシア人にとってきわめて望ましいことであって、彼らにとって美しく均整のとれた包皮とは、長くて円錐状または筒状の特徴的な形をしたものであった[2][注釈 3]。したがって、少なくともある場合においては、亀頭を隠すことよりも包皮の伸長それじたいがキュノデスメを用いる主目的であったとも考えられる[7]。
古代ギリシア・ローマの医学知識によると、長引く性交にもとづく過度の射精は男性を弱体化させると考えられ、特に男性的な声の質に悪影響があると考えられた。キュノデスメによる非外科的な︵穴を開けたりという損傷の必要のない︶性器の閉塞は完全に可逆的なものであったから、歌手や役者にとって声の質を維持するための方法として用いられていた可能性がある[8]。
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用途[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6c/Kynodesme_collage.jpg/220px-Kynodesme_collage.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6c/Kynodesme.jpg/220px-Kynodesme.jpg)
芸術に見られるキュノデスメ[編集]
文献における最古の言及は、紀元前5世紀前半のアイスキュロスによるサテュロス劇﹃イストミア祭の参加者たち﹄(Θεωροὶ ἢ Ἰσθμιασταί) の断片によるものである。それ以前では古代ギリシアの陶器に描かれた運動選手の例が知られる。 エトルリア人とローマ人はキュノデスメを ligatura praeputii︵ラテン語‥包皮の結紮︶と呼んだが[3]、彼ら自身は亀頭を隠す目的にこのような帯ではなくフィブラと言われる留め金を使用することを好んだ[3]。関連項目[編集]
●陰茎用フィブラ – 亀頭に被せた包皮を固定するためのピンの付いた留め具。 ●コッドピース︵中英語‥cod﹁陰嚢﹂より︶– 男性のズボンの前面に取りつけられ、生殖器とその周辺を覆う前垂れまたは袋。 ●コテカ – ニューギニアの一部の民族の男性が性器を覆うために伝統的に着用している陰茎鞘。 ●ナンバ – バヌアツの伝統的な陰茎鞘。注釈[編集]
(一)^ μ の前の σ は有声音︵濁音︶となるので﹁キュノデズメー﹂がもっとも正確な発音だが、カナ表記の慣用ではスとも書かれ、音引きも省略されることがある。
(二)^ 古代ギリシア語では、包皮のうちとくに亀頭を覆う部分をポステー︵πόσθη, posthē; ただしこの語は陰茎全体についても使う︶、亀頭よりも先に伸びた開口部までの円錐状ないし筒状の部分をアクロポスティオン︵ἀκροπόσθιον, akroposthion︶と呼んで区別した[2]。
(三)^ 反対に、ギリシアの医学では、人為的もしくは生まれつきの原因で包皮が足りず陰茎がちゃんと覆われていないものは、リポデルモス︵λιπόδερμος﹁皮膚の欠如﹂︶という名で病的な状態・機能障害とみなされ、ギリシアや後のローマの医師たちによって数々の治療法が考案された[2][6]。
出典[編集]
(一)^ abcdZanker, Paul (1995). The Mask of Socrates: The Image of the Intellectual in Antiquity. University of California Press. pp. 28–30. ISBN 9780520201057. "詩人が肩にかけた外套はその下の裸体をさらに際立たせ、それまで目立たなかった細部に人々の注目を集めた。彼はインフィビュレーション︵またはギリシア語でキュノデスメ︶と呼ばれる方法で陰茎と包皮を紐で結わえつけていたのである。……同時代の多くの陶器に描かれたキュノデスメを含む装飾画からはまた違った情景も窺われる。そこに描かれるのはほぼ全てが饗宴の参加者であり、詩人アナクレオンと同様の方法で男根を結び上げている者たちは決まって顎ひげを蓄えた壮年かさらに年長者である。戯画的な効果を狙って好色な神サテュロスが同時に描かれている場合もあるが、長く伸びた陰茎、特にその先端を露出することは破廉恥で不名誉なことであるため、そのように描かれるのは奴隷または野蛮人のみである。人によっては広がった包皮がもはやちゃんと締まらず、長い陰茎が見苦しい形でぶらさがることになりかねないので、そういう美しくない光景を避けるために紐を用いることができた︵少なくとも壺絵の証拠から判断するかぎり︶。壺絵からはまた、これが広く行われた習慣であったことも明らかである。これは酒宴のさい特に年長の参加者について期待される、謙虚さと礼儀正しさの表現であると考えられる。善美︵カロカーガティアー kalokagathia︶のイデオロギーにおいては美しい外観は高い倫理的価値の表れであることがここにも示されているのである。"
(二)^ abcGiudici (2012).
(三)^ abcEllis, Havelock (2013). Studies in the Psychology of Sex, Volume 1. Butterworth-Heinemann. p. 22. ISBN 9781483225012. "ギリシア人、エトルリア人、そしてローマ人は礼儀としてまたは習慣から包皮で亀頭を覆うことを常としていたため、キュノデスメ︵バンド︶またはフィブラ︵リング︶を習慣的に使用していたようである。"
(四)^ Markus Tiwald: “Jasons Gymnasion. Der Epispasmos und die Frage der Beschneidung in Frühjudentum und beginnendem Christentum”. In: Karl-Heinrich Ostmeyer, Adrian Wypadlo: Das Ziel vor Augen: Sport und Wettkampf im Neuen Testament und seiner Umwelt. W. Kohlhammer GmbH, Stuttgart, 2020, ISBN 978-3-17-038936-6, S. 19.
(五)^ 第一マカベア書 1:15。
(六)^ Hodges (2001), pp. 394ff.
(七)^ Hodges (2001), p. 384.
(八)^ マルティアリス 6.82, ユウェナリス 6.73, 379; J. P. Sullivan, Martial, the Unexpected Classic (Cambridge University Press, 1991), p. 189; Peter Schäfer, Judeophobia: Attitudes toward the Jews in the Ancient World (Harvard University Press, 1997), p. 101; Peter J. Ucko, "Penis Sheaths: A Comparative Study," in Material Culture: Critical Concepts in the Social Sciences (Routledge, 2004), p. 260.
参考文献[編集]
- Hodges, F. M. The Ideal Prepuce in Ancient Greece and Rome: Male Genital Aesthetics and Their Relation to Lipodermos, Circumcision, Foreskin Restoration, and the Kynodesme. Bulletin of the History of Medicine 75, 2001:375–405.
- Osborne, Robin (2004). Greek History. London and New York: Routledge. p. 10. ISBN 0-415-31717-7
- Keuls, Eva (1985). Reign of the Phallus. Berkeley and Los Angeles, California: University of California Press. p. 68. ISBN 0-520-07929-9
- Gabriella Giudici: “Il prepuzio del buon cittadino” (2012年6月15日). 2022年6月4日閲覧。