ジャン・マルラン
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ジャン・マルラン︵Jean Marlin、1833年 - 1872年︶は、フランス軍第8歩兵大隊の下士官。
人物・生涯[編集]
慶応3年︵1867年︶、彼はジュール・ブリュネに同伴し、軍事顧問団として日本にやって来た。彼は幕府伝習隊を調練した。 戊辰戦争が勃発すると、マルランはフランス軍の職を辞し、旧幕府軍に加わり戦い続けることを選んだ。箱館戦争ではアルテュール・フォルタン、アンドレ・カズヌーヴ、フランソワ・ブッフィエと共に、﹁蝦夷共和国﹂軍の四列士満︵レジマン、フランス語で連隊を意味する﹃régiment﹄をそのまま当て字にした︶のうちの一隊の隊長を務めた。 明治2年4月9日︵1869年5月20日︶、新政府軍は北海道に上陸、5月11日︵6月20日︶五稜郭に立て籠もる箱館政権軍に対し、明治新政府軍の総攻撃が開始され、五稜郭は陥落、5月18日︵6月27日︶総裁・榎本武揚らは新政府軍に投降した。フランス人らは、榎本の勧めに従い、総攻撃前の5月1日︵6月10日︶に箱館港に停泊中のフランス船に逃れた。 その後、マルランは、フォルタン、ブッフィエと共に、明治3年︵1869年︶、当時大阪にあった兵部省に雇われた。マルランは明治5年に死去、神戸外国人墓地に埋葬された。参考文献[編集]
- 鈴木明著、「追跡―一枚の幕末写真」、集英社(1984年)、ISBN 978-4087724929