ダグ・ウィリアムス (プロレスラー)
ダグ・ウィリアムス | |
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プロフィール | |
リングネーム |
ダグ・ウィリアムス ダグラス・ウィリアムス |
本名 | ダグラス・クレイトン・ダードル |
ニックネーム |
アナーキスト カオスセオリー |
身長 | 183cm |
体重 | 105kg |
誕生日 | 1972年9月1日(51歳) |
出身地 |
イギリス イングランド・バークシャー州レディング |
スポーツ歴 | 柔道 |
デビュー | 1993年10月 |
ダグ・ウィリアムス︵Doug Williams、1972年9月1日 - ︶は、イギリスのプロレスラー。
本名、ダグラス・クレイトン・ダードル︵Douglas Clayton Durdle︶。バークシャー州レディング出身。
TNA TV王者時代
プロレスリング・ノア
●GHCタッグ王座
新日本プロレス
●IWGPタッグ王座
NWA
●NWA世界タッグ王座
TNA
●TNA世界タッグ王座
●TNA Xディヴィジョン王座
●TNA TV王座
ROH
●ROHピュア王座
他にアメリカやヨーロッパのインディー団体を中心に多数のタイトルを獲得している。
来歴[編集]
1992年、柔道72kg級でイギリスチャンピオンとなる。 1993年10月にプロレスデビュー。ヨーロッパでは、FWAに所属し、様々な団体に参加。アメリカでは、ROHやTNAなどに参戦。 2004年にプロレスリング・ノアに初参戦。その後、ノアに定期的に参戦。2005年1月23日、スコーピオとのタッグで第9代GHCタッグ王座を獲得。その後は、同じイギリス出身のナイジェル・マッギネスと英国タッグを組んで活躍した。2006年10月には、GHCタッグ王座決定トーナメントに同タッグで出場するも、1回戦で敗れた。 2006年11月のWWEのイギリス公演では、カリートとダーク・マッチで戦った。 2008年6月のノアのイギリス興行では現地においてエージェントを務め、選手のホテルやバスの手配、入国ビザの申請まで行っている。 2009年春頃からTNAと契約。ニック・オールディスとタッグを組んで活動。7月22日、アメリカ・フロリダ州オーランドで行なわれたTNA﹁iMPACT﹂でのチーム3D︵ブラザー・レイ&ブラザー・ディーボン︶vsブルータス・マグナス&ダグ・ウィリアムス戦にて、IWGPタッグ王座が懸けられ、挑戦者チームであるブルータス・マグナス&ダグ・ウィリアムスが勝利し、王座が移動した[1]。しかし選手権管理者である新日本プロレス側が、この試合はIWGP実行委員会が認める正式なIWGPタッグ王座戦ではないと主張し、王者はチーム3Dのままであると認定した。しかしその後、新日本プロレスならびにTNA双方の協議により、この試合を正式なタイトルマッチとして認定し、ブルータス・マグナス&ダグ・ウィリアムス組が第53代IWGPタッグ王者となった。 2012年より、傘下団体であるOVWのトレーナーを兼任しながら試合に出場していたが、2013年6月5日にTNAとの契約は解除され、OVW専属となった。 2018年10月4日、プロレスラー引退を表明したことが明らかになった[2]。 2020年1月4~5日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会に参戦のため来日。4日はクリス・リッジウェイとタッグを組み、丸藤正道&田中稔組と対戦。5日は小川良成&鈴木鼓太郎&小峠篤司&クリス・リッジウェイとタッグを組み、武藤敬司&原田大輔&タダスケ&HAYATA&YO-HEY組と対戦した。得意技[編集]
ボムスケアー ダイビング・ニー・ドロップ。 カオスセオリー フィニッシャー。別名をロールスルー・ジャーマン・スープレックス。相手の背後から両腕で胴を抱き込み、そのまま相手ごと後方へ一回転して立ち上がり、その勢いを利用してジャーマン・スープレックスを繰り出す。 レヴォリューションDDT 飛びつき式トルネードDDT アナーキー・ニー ハイ・ニー。 ブリティッシュ・フィギュアフォー・レッグロック 裏足4の字固めタイトル歴[編集]
脚注[編集]
- ^ ただし、この決着は「ディーボンがマグナスをテーブルに叩きつけたがレフェリーがダウンしていたために決着とならず、その隙にエリック・ヤングがチャンピオンベルトでディーボンを殴打しマグナスとディーボンの位置を入れ替えた事による勝利」である
- ^ ダグ・ウイリアムス引退 ノアでも技巧派で名勝負 日刊スポーツ 2018年10月5日9時35分(日刊スポーツ新聞社、2018年10月5日閲覧)