トリエント・ミサ

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聖変化した御血が入ったカリスを奉挙する。荘厳ミサ

: Tridentine Mass157019705: Mass of Saint Pius V: Traditional Mass

197026

6

[]


161570551370160416341888192019551962

[]


51570714(Quo Primum Tempore)[1]

1655[2]

55200ritus使(Missale Romanum) 使使2005[3]綿[2]

20077716523(Forma extraordinaria)[4]

(Klaus Gamber) 41366-3841492-4961590-6045使[5]使[6]

12(ritus)[7](Canon) 5使使使

6[8](Ordo Missae) [6]

16[9]

5[]




165西使(Curiae Missale) (Missale Romanum)15705[6]

5使200125

[]


121955

196023Perfidis = 21962196223使14

1963124219641969421:1-14

61969428(Novus Ordo Missae)52使196943[10]

619694319703使19691130119701620077719706[4]

616(etsi Deus non daretur)[11]

[]


21984(Quattuor abhinc annos) 1988使(Ecclesia Dei) 

20077716(Summorunum Pontoficum)[4]

(一)

(二)1962

(三)523



(一)523使1

(二)231

(三)319622319706使2

(四)24

(五) 19623



(一)使9 §1

(二)9 §2

(三)1962239 §3

(四)51810

2011513(Universae Ecclesiae) 16
  1. トリエント・ミサを廃止することは絶対に出来ない。「前の世代が神聖なものとして持っていたものは、私達にとってもまた神聖であり、偉大なままです。それ故、それが突然全く禁じられるなどということはあり得ませんし、また有害であると考えられることさえあり得ません。」(第7項)
  2. ローマ典礼様式の特別形式の挙行をする権能は、全ての司祭に与えられている。「自発教令『スンモールム・ポンティフィクム』の条項により、そのようなミサを挙行するために教区長又は上長からのいかなる特別の許可を必要としない。」(第23項)
  3. 堅信・聖務日課・儀式書の古い形式を自由に使うことができる。(第29項、第32項および第35項)

脚注[編集]

  1. ^ 「余によって命ぜられたものより他のやり方でミサ聖祭を捧げる事が無いように。又、何によってであろうともこのミサ典礼書を変更すべく強いられ、強制される事無く、又この手紙が決していつの時代でも変更されることの無く、却ってこの書面が常に堅固、且つその適応範囲において有効であるように、同じく余は規定し宣言する。」
    「…故に、絶対に誰一人として、余のこの許可、規定、命令、勅令、決定、認可、許可、宣言、意志、政令及び禁止のページに背反し、或いはそれに大胆にも背く事のないように。もしも、誰かがそれを企てようと敢えてするとしたら、全能の天主の憤慨及び使徒聖ペトロとパウロの憤激をかうと言う事を覚えよ。」クオー・プリームム・テンポレ(Quo Primum Tempore) 聖ピオ十世会
  2. ^ a b ベネディクト16世 ヨゼフ・ラツィンガー著 里野泰昭訳『新ローマ教皇 わが信仰の歩み』春秋社
  3. ^ 聖ピオ5世の大勅令(Bulla) クオー・プリームム・テンポレ(Quo Primum Tempore) の羅和対訳
  4. ^ a b c 教皇ベネディクト十六世 自発教令 スンモールム・ポンティフィクム――1970年の改革以前のローマ典礼の使用について――(カトリック中央協議会)
  5. ^ たとえば、教皇インノチェンチオ1世(在位402-417年)は、エウグビノの司教に書簡をこう書いている。「使徒の頭であるペトロによってローマ教会に伝えられてきたもの、そして今においても守られているものが、全ての人々によって保守されなければならないこと、更にそこの何ものをも加えても或いは導入されてもならないこと、そのように(付け加えたり)する権威は誰にもなく、或いはその他の場所からの例に倣うように見えるようなことも(できない)。」(PL 20:552)
    或いは教皇ヴィジリオ(在位538-555年)は、ブラガの総大主教にこう書いている。「従って、上記に述べた、そして天主の憐れみによって使徒継承の聖伝から私たちの受けたその典文の祈りの文書(=ミサ典文)を私は配置した」(PL 69:18)
    日本語訳はトマス小野田圭志の訳を参照した。
  6. ^ a b c クラウス・ガンバー「典礼の改革」 Klaus Gamber, Die Reform der Römischen Liturgie
    日本語訳はトマス小野田圭志の訳を参照した。
  7. ^ 「典礼様式」とは、ラテン語で ritus という。典礼の本質に触れない挙式の方式である。典礼様式を詳しく定めたものを典礼法規(ruburica) という。
  8. ^ ベネディクト16世「第二バチカン公会議後に起こったことは、全く違うことだった。発展の実りとしての典礼の場所に、捏造された典礼が来た。私たちは、数世紀にわたる成長と発展のオーガニックな生きている過程を捨てさり、その代わりに、丁度、制作過程で起こるかのように、作り上げられたものを、平凡でその場しのぎの産物を置いた。」
    「歴史的に成立してきたものに対して、新しい家を対立させ、これを禁止したと言うこと、典礼を生きたもの、成長するものとしてではなく、学者たちの仕事、法律家の権限によってつくりだされたものとしたこと、これらが私たちに大きな損害を与えたのです。これによって、典礼は人間に先立って神から与えられたものではなく、つくられたもの、人間の裁量の領域のうちにあるものであるという印象が出来上がってしまったのです。」(ベネディクト16世 ヨゼフ・ラツィンガー著 里野泰昭訳『新ローマ教皇 わが信仰の歩み』春秋社 163ページ)
  9. ^ ラッツィンガー枢機卿『典礼の精神』
  10. ^ CONSTITUTIO APOSTOLICA MISSALE ROMANUM Missale Romanum ex decreto Concilii Oecumenci Vaticani II instauratum promulgatur (ラテン語)
  11. ^ ベネディクト16世 ヨゼフ・ラツィンガー著 里野泰昭訳『新ローマ教皇 わが信仰の歩み』春秋社 164ページ

外部リンク[編集]