| この記事は2014年12月25日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、版指定削除となりました。 |
トゥーバージンズは乗らないですか?0null0 06:26 2003年12月9日 (UTC)
ジョン・レノンが愛用していたギターについての記事を載せるのはどうでしょうか? ——以上の署名の無いコメントは、60.42.40.148(ノート/Whois IPv4 ・ IPv6)さんが 2005-02-11T18:22:13 に投稿したものです(Bellcricket(会話)による付記)。
今回の編集合戦についてですが、222.8.27.175氏の編集内容は、あまりにも主観的すぎて客観性を旨とする百科事典にはそぐわないものと考えrevertさせていただきました。
百科事典の人物記事としてはその人物がどこの誰で、どのような生い立ちからいつどのような業績を挙げたのかを具体的に著述するのがふさわしいと考えますが、222.8.27.175氏の記述だと「偉大」だの「伝説」だの、氏のレノンに対する印象ばかりが強調され、かつ暗殺の項目ではCIAの関与など具体的事実とは断定されていないことを元に「無念としか言いようがない。」などと言った記述がなされ、客観性に欠けると考えます。222.8.27.175氏の反論がありましたらよろしくお願いします。61.123.100.89 2004年11月9日 (火) 12:18 (UTC)[返信]
有名人で、いわゆる思い入れのある人がいるので客観的になれないことはよくわかるのですが、重複内容が多く、現在も楽器のところなどがあまりもジョン・レノンとかけ離れて楽器ビジネス的な内容になっているのでは?
すっきりさせると、戻しちゃうことでまた後退するのがウィキペディアの弱点なんだという証拠のような項目ですね。
とにかく重複する部分は、別に適当な項目があれば、参照するようにするとかして詰め込み過ぎないようにして、ハイパーメディアのよさを生かすように考慮すべきだと思いますがいかが?
--Fuseoyama 2010年1月27日 (水) 13:40 (UTC)[返信]
[1]&[2]&[3]&[4]&[5]を参照。--経済準学士 2005年11月30日 (水) 09:49 (UTC)[返信]
I wanna to add two photographs of John Lennon.
How long do ya think the article of John Lennon should be protected and why?
Admins is here?
--⇒Shougiku Wine 2006年1月31日 (火) 03:57 (UTC) exchange the photo 2006年1月31日 (火) 04:36 (UTC)[返信]
肝心の音楽活動、注目を集めた平和活動に関する記述がもっと必要だと思います。
125.100.76.227氏がスモークフィルムについてのエピソードを記述していますが、222.3.74.59氏がガセだということで削除したのを125.100.76.227氏が再び復活させてしまっています。このスモークフィルムについてのエピソードが事実なのでしょうか。ソースか何か存在するのでしょうか?。--STB-1 2006年5月24日 (水) 14:30 (UTC)[返信]
2006.9.24 この項は内容も散漫ですし、全カットか大幅な修正が望ましいと考えます。
GMTにするまでの必要はないと思いますが、東部標準時である旨の記述は必要と思います。(それとも元々GMTなのでしょうか)Penpen 2006年12月9日 (土) 13:42 (UTC)[返信]
当ノートに記載されている二枚の画像ですが、User:白菊ワイン氏が貼り付けたもののようです。このノートで使用されていないので(或いは使用されていたとしても明記が無い)ので、画像をはがしておきます。--利用者:May.Low/name2007年3月13日 (火) 09:37 (UTC)[返信]
このジョン・レノンに記載されている内容は、エッセイ的内容ではないかと思います。Wikipedia:修正依頼にも、エッセイ的内容が原因でこの記事が提出されています。記事を簡略化することで、容量を軽くし、閲覧者に分かりやすい情報を与える事が必要だと思います。これ以上エッセイ的内容が繰り返し記述されたりするようならば、Wikipedia:保護依頼に提出するほか無くなってしまいます。--利用者:May.Low/name2007年3月13日 (火) 09:37 (UTC)
修正依頼を受け、私が年表などの区分けを行うこととしました。その為、しばらくの間編集を控えていただければ幸いです。編集された場合、区分けの障害となるのならばリバートする可能性があります。ご注意ください。--利用者:May.Low/name2007年3月13日 (火) 10:13 (UTC)
少々焦り過ぎました。上記のコメントを取り下げます。--利用者:May.Low/name2007年3月13日 (火) 11:02 (UTC)
皆さんの意見が必要です![編集]
2010年1月10日12:56:52(UTC)までの編集を、Botによる言語間リンク変更とカテゴリ変更を除いて2010年1月3日09:58:05(UTC)以前に一旦戻しました。理由は脚注を用いて付記されていたはずの出典がすべて除去されていたためです。記事の構成を変更する際も、その記述を残す場合はWikipedia:検証可能性、Wikipedia:出典を明記するの観点から出典を除去せぬ様お願いします。--Mkhcan487(Talk/Contributions) 2010年1月10日 (日) 13:41 (UTC)[返信]
以下の8件の記事名はプロジェクト:音楽に反しているので、それぞれ前者から後者への改名を提案します。
1週間様子を見て反対意見がなかったら移動したいと思います。--ナカムーラ 2011年4月26日 (火) 11:29 (UTC)[返信]
- 済 全件移動しました。--ナカムーラ 2011年5月3日 (火) 12:59 (UTC)[返信]
生い立ち
幼年期
1940年10月9日18時30分、第二次世界大戦のナチス・ドイツによる空襲下に置かれたリヴァプールで誕生。出生時、父親のアルフレッドは商船の乗組員として航海中で不在、母親のジュリアも他の男性と同棲していたため、母親の姉・メアリー︵ミミ伯母︶夫婦のもとで育てられた。ミドルネームのウィンストンは、当時のイギリスの首相のウィンストン•チャーチルから。
1946年、父親のアルフレッドが帰国し、父親に引き取られ数週間一緒に暮らすものの、母親のジュリアがジョンを連れ戻すが、母親と暮らすことはできず、再び、ミミ夫婦のもとで育った。父親も行方不明になった。
ビートルズ・デビューまで
少年時代
実の両親と共に育つことがなかったことから、少年時代は反抗的でケンカ騒ぎを起こすことも少なくなかったという。1952年9月にグラマー・スクールのクオリー・バンク校に入学した。1955年に父親代わりだったミミの夫・ジョージが死去。
1956年のある日、エルヴィス・プレスリーの﹁ハートブレイク・ホテル﹂を聴き、ロックンロールの洗礼を受ける。この頃ジュリアが近くに住んでいることを知ったジョンは、ジュリアの家へ行き来するようになった。ジュリアはジョンにバンジョーのコードをいくつか教え、音楽へと関心を向けさせた。
1957年、第1作にあたる﹁ハロー・リトル・ガール﹂を作曲︵この曲は1962年にデッカのオーディションの際に歌われ、﹁アンソロジー1﹂で公式に発表された︶。当時からギター・ヴォカルを担当していたが、前述の通り実際に教わったのはバンジョーのコードだったため弦を4本しか使っていなかったという。
ポールとの出会い
3月、クオリー・バンク校で、ビートルズの前身であるスキッフルバンド﹁クオリーメン﹂を結成した。7月6日、ウールトンのセント・ピーターズ教会で行なったクオリーメンのコンサートで共通の友人、アイヴァン・ボーンの紹介によりポール・マッカートニーと出会う。数日後、ポールはクオリーメンのメンバーになった。エルヴィス・プレスリー、チャック・ベリー、バディ・ホリーと言ったアメリカのロックンロールに夢中になった。
ジョージ・ハリスンとの出会い
1958年2月、ポールの紹介でジョージ・ハリスンのクオリーメンへの加入を認めた。
母の死
1958年7月15日、母・ジュリアは非番の警察官が運転する車にはねられ死去。[2]この母・ジュリアの死は、ジョンのその後の人生に大きな影響を与え、またすでに︵1956年14歳の時︶母親を乳癌で亡くしていたポールとの友情を固める要因にもなった。
1958年9月、ジョンはクオリー・バンクを卒業後、同校校長の取り計らいでリヴァプール・カレッジ・オブ・アート (Liverpool College of Art) に入学する。そこで最初の妻となるシンシア・パウエルと出会った。 1959年1月、バンドのメンバーはジョン、ポール、ジョージ3人だけになる。この後しばらく、ドラマーはパートタイマーが続いた。
ハンブルク
この頃からリヴァプールだけでなく、ハンブルクのクラブなどでも演奏活動を始めている。ジョンはハンブルクの楽器店で1台目のリック325を購入した。
1960年1月、ジョンの説得により、リヴァプール・カレッジ・オブ・アートでの友人、スチュアート・サトクリフがメンバーに加わりヘフナーNo.333ベースを演奏した。バンド名も﹁クオリーメン﹂から﹁ジョニー&ザ・ムーン・ドッグス﹂そして﹁ザ・シルヴァー・ビートルズ﹂と変わっていた。8月﹁ザ・ビートルズ﹂になりピート・ベストが加入した。
1961年4月ハンブルクでスチュアートは画家に専念するため脱退。ジョンはすぐにポールを説得してベーシストにする。ポールはヘフナー500/1を演奏することになる。[3]また、ジョンはこの時、クラウス・フォアマンの加入の希望を断っている。なお、スチュアートは恋人アストリッドとハンブルクに残るがまもなく脳腫瘍で死去した。6月ドイツで活動していたイギリス人歌手トニー・シェリダンのバック・バンドとして﹁マイ・ボニー﹂をレコーディングした。
ブライアン・エプスタインとの出会い
1961年12月ジョン達は﹁マイ・ボニー﹂を買いに来た客からビートルズを知ったレコード店経営者ブライアン・エプスタインとマネージメント契約を結び、これからロンドンのレコード会社へのビートルズの売り込みが始まった。 1962年1月1日にデッカ・レコードのオーディションを受けるも不合格となった。6月にパーロフォンとレコーディング契約を結ぶ。8月にピートを解雇し、以前から付き合いのあった、﹁ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズ﹂のドラマー、リンゴ・スターが加入した。10月5日﹁ザ・ビートルズ﹂としてレコード・デビューを果たした。
これまでで数々の曲を提供していきました。
気温ってなんだよw
ジョンが来日時に頻繁に靖国神社を訪れ参拝していたという情報は、妻のヨーコの従弟の加瀬英明氏の証言ですので信憑性および特筆性があると考え加筆します。--お怒りヘンリー8世(会話) 2019年5月16日 (木) 07:38 (UTC)[返信]
2023/7/4、このセクションで議論されていたLTAに関する部分を合意に基づきお怒りヘンリー8世さんのノートに分離・移動しました。︵分離前の版︶--ObladiOblada︵会話︶ 2023年7月4日 (火) 11:49 (UTC) 文言調整--ObladiOblada︵会話︶ 2023年7月4日 (火) 13:50 (UTC)[返信]
2023-05-20T13:32:21に再び太平洋戦争への解釈の部分が削除されていますが[6]、
資料の含まれた文章の大幅な削除を戻します。理由を以下の通りです。
YouTubeの動画は﹁幸福の科学﹂という宗教団体が発信したものです。
Wikipedia:信頼できる情報源には確かに﹁政党や宗教団体のウェブサイトや出版物は、政治的主張や宗教的信条が含まれていなくても注意して扱うべき﹂とあります。
しかしながら本件においてはこれを資料の一部として提示します。
その理由は、動画の内容は当該の宗教団体の政治的主張に沿ったものではありますが、内容は登場する高名な外交評論家である加瀬英明氏の発言を加工せずそのまま録画した内容であるからです。加瀬氏の社会的信頼性については福田赳夫内閣・中曽根康弘内閣の首相特別顧問、福田赳夫・大平正芳・鈴木善幸内閣の外相特別顧問などを歴任しており数々の公職や名誉職を兼務して、地上波メディアに頻繁に出演している事実から十分担保できると考えます。そして氏はレノン氏の妻で著名な芸術家のオノ・ヨーコ氏の従弟であり、紹介されたレノンの発言は、語学に堪能な加瀬氏が直接聞いた内容となっています。
そして我が国の新聞メディアの五大紙の一角をなす﹃産経新聞﹄に掲載された加瀬氏を紹介する記事と概ね旨内容的には符合しています。
さらに﹃産経新聞﹄の記事にあるように、﹁平和を歌い、左翼的な政治運動にも身を投じた﹂イメージが強いジョン・レノン氏が加瀬氏の﹁先の日米戦争はアメリカからふっかけられ、日本は自衛のためにやむなく戦った。日本人はアメリカに攻撃されたベトナム人民と変わらなかった﹂という主張に首肯し、英霊を祭った靖国神社を参拝していたという内容はジョンの一面を紹介する上で特筆性があると判断します。︵参拝の事実は﹃産経新聞﹄に紹介されています︶
以上の理由からジョン・レノン氏の、太平洋戦争に対する解釈と、靖国神社を詣でていた事実に関する記事を戻します。ご理解の程お願いいたします。--お怒りヘンリー8世︵会話︶ 2023年5月23日 (火) 08:56 (UTC)[返信]
まず、加瀬さんのYouTube動画での主張と産経︵というか﹁正論﹂誌でしょうか︶での主張は﹁基本的に同一﹂ではありません。回数について、動画で加瀬さんは﹁よく参拝していた﹂と述べていますが、﹁正論﹂では単に71年の訪問について述べているだけで、それ以外に参拝したことがあるとは全く書かれていません。また、﹁この間の戦争は正義の戦争だった﹂とジョンが発言したという部分も、﹁正論﹂では﹃﹁正義の戦争﹂をしたと思ったに違いない﹄となっており、加瀬さんの解釈であることが明記されています。
このような大きな食い違いがある以上、YouTube動画のインタビュー時に加瀬さんが相当過剰な表現を使ってしまっていることを疑わないわけにいきません。﹁正論﹂もかなり保守よりの雑誌ではありますが、この文章はかなり推敲しながら書かれた文章でしょう。一方、YouTubeの動画は口頭での会話であり、口を突いて出た不正確な発言が訂正されないまま掲載されている可能性が考えられます。
﹁正論﹂での、加瀬さんの主張にジョンが﹁納得した﹂という部分もかなり曖昧な表現です。実際は﹁あなたの主張は理解した﹂というだけ内容が、加瀬さんに﹁納得した﹂と解釈されてしまっている可能性があります。また、﹁正論﹂の記事は加瀬さんの寄稿文であり、裏付けの取れた取材記事ではありません。個人の政治信条に大きく関わる内容ですので、ジョンがそのような発言をした、あるいは加瀬さんに同意したという第三者の証言なども含めた明確な裏付けが必要と考えます。
以上のような問題点が解消されない限り、該当部分は掲載しないのが妥当と考えます。--ObladiOblada︵会話︶ 2023年5月25日 (木) 14:43 (UTC)[返信]
ObladiObladaさん、当初、出典の示されたまとまった文章を丸ごと削除されたので、別の形でのコミュニティへの提起が必要かとも考えておりましたが議論に応じてくださり、ありがとうございます。
示された論点は多岐に渡るので、整理します。ご主張の大意は
①資料の信頼性
②示された二つの資料の細にわたる不一致がみられること。
③ジョンの主張が間接的なものである点、ここには正論での加瀬さんの主張があいまいである点
そして
④第三者の証言なども含めた明確な裏付けが必要
..とのことだと思います。ここにお答えいたします。
①につきましては上記に記しましたように、まず証言者である加瀬氏に対する社会的評価に問題がないことと加瀬氏がジョンの親戚であり、ジョンの言葉を直接に聞いている事実が確認できます。YouTubeの内容は加瀬氏本人が登場していること、そしてそれと類似の内容を﹃産経新聞﹄が報じていることで、資料の信頼性は担保されたとみなしてよいと思います。
②については両者が必ずしも細にわたって一致している必要はないと思います。﹃産経新聞﹄は独自の取材を行っているはずで両社が概要において一致すれば事足りると考えます。資料の性格からいえばYouTubeが第一次資料で、﹃産経新聞﹄の記事はそれを補完する第2次資料という位置づけで、両者の違いは第一次資料を優先に判断してしかるべきと思います。
③につきましては本項の記事にはジョンが加瀬氏に述べたことを、加瀬氏が聞き取った内容である旨明記されています。
④については第三者の証言なども含めた明確な裏付けが必要とのことですが、これが学術論文でしたならばそこまでの作業が必要なのかもしれませんが、Wikipedia:検証可能性を確認する限りウィキペディアは個々の記述にそこまでの検証作業を求めているわけではないと思います。もしそのような基準を適用したならば、本項の内容︵ウィキペディアの記事︶はほとんど削除が必要となってしまいます。wikiが求めているのは信頼できる情報源であるということだと思います。
従いまして、削除には反対の意思を示させていただきます。ご理解いただければ幸いです。
本ノート以外の意見の公示では﹁井戸端﹂や﹁議論活性化のためのコメント﹂で意見を募るなどの方法もあります。ご検討ください。
P.S.単行本の資料として加瀬英明2011﹃ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか﹄祥伝社を加筆しておきました。--お怒りヘンリー8世︵会話︶ 2023年5月30日 (火) 08:47 (UTC)[返信]
お怒りヘンリー8世さん
まず、①の加瀬さんの発言の信頼性について、メディアへの出演はもちろん、ジョンの︵というかヨーコさんの︶親戚であることも、内閣の特別顧問についたことも発言の正確性を担保するものではありません。むしろ、﹁正論﹂誌の内容と動画での発言の大きな食い違いは、加瀬さんの発言の不正確性の証左となっています。
②について、不一致点は細部ではありません。ジョンの発言が本人によるものだったか否かという最も根本的な部分です。この根本的な部分について、正論誌の内容はYouTubeでの主張の信頼性を担保するどころか否定する内容と言えます。また、正論誌の文は本人の書いた寄稿文で、YouTubeの動画は口頭での会話であり、しかも幸福の科学系の政治宣伝動画です。どちらがより信頼できる資料かと言えば明らかに正論誌の方でしょう。これで﹁YouTubeの方のみが一次資料で正論は二次資料である﹂というのは無理筋であり、一種のチェリー・ピッキングであると考えます。
③④について、ほとんどの人が納得できるような常識的な事項であれば、個人的にはそこまで資料を要求しません。しかし、今回の内容は出典とされた動画が資料としては中立性に非常に疑問がある性質のものであること、加筆内容の根本部分について加瀬さんの発言についてはこれまでに述べたような正確性に関する疑問があることから、明らかによりしっかりした資料が必要な案件です。
上記の各点について、特になぜYouTubeの動画のみを正として本人の文章である正論誌を二次資料と見なすのか、発言者がジョンであるという部分の根本的な食い違いをどう説明するのか、明確な回答をお願いします。--ObladiOblada︵会話︶ 2023年5月30日 (火) 12:52 (UTC)[返信]
一週間が経過しましたがいまだ回答を頂けていないようです。先週のコメントで挙げた問題点について、来週水曜になってもきちんとした回答を頂けない場合、議論終結として該当部分を除去しようと思います。--ObladiOblada︵会話︶ 2023年6月7日 (水) 11:28 (UTC)[返信]
ObladiObladaさん
記載部分の現段階での削除には反対の意見を表させていただきます。
反対の理由は、
①記述内容に一定の社会的認知が認められていること。
②現段階ではコミュニティの合意を形成していないこと。
③出典の信頼性
④Wikiの方針と照らし合わせ削除に値する合理的理由が認められないこと。
⑤中立性について
...です。
①については﹁ジョン・レノンが靖国神社を参拝していた事実、太平洋戦争への考え方...﹂等についてはGoogleで検索すると[7]複数の情報が確認できます。これは既にジョンの一側面として市井において人口に膾炙されている事実としてみなしてよいと思います。
②については本ノートで議論を立ち上げてから2週間強しか経っていません。そして本議論に参加したのはまだ私とObladiObladaさんの2名だけです。ObladiObladaさんが白紙化された記述部分は2019年5月16日に記述されてから2023年6月8日の1453日間(4年3週間)の長期間に延べ2,275,096回閲覧(ページビュー分析より)されています。その重みを考えれば早急な白紙化は拙速すぎるとは言えないでしょうか。私が5月30日 (火)にお答えを頂いてから、間をおいた理由は、他の利用者の議論への参加を待ちたいと思っていたからです。私は既にObladiObladaさんに対しては﹁井戸端﹂や﹁議論活性化のためのコメント﹂などの方法をお勧めしています。これについてはぜひ、ご検討ください。
③については既に上記してありますので繰り返しませんが、加瀬英明氏が著名な言論人であり、かつジョンの親戚で、これまでジョンに直接に会話を交わしてきた人であるため、証言内容は傾聴に値すると考えてよいと思います。記述はジョンのパーソナリティに関する非常に重要な内容となっており、発表されてから相当の時間が経っています。もしこれが事実でないならば妻のオノ・ヨーコ氏が何らかの声明を出しているはずです。管見の限りではそのような事実は確認できません。なお﹁メディアへの出演はもちろん、ジョンの︵というかヨーコさんの︶親戚であることも、内閣の特別顧問についたことも発言の正確性を担保するものではありません﹂とのことですが、上記の私の記述を再確認していただければお分かりいただけると思いますが、私が加瀬氏の社会的地位や属性を紹介したのは、氏の人間としての信頼性を示したためであり、これが発言の正確性とは別の次元です。この点、私の記述を正確に読み取っていただけるようお願いします。
他の利用者の便に供するために、資料の性格を以下に簡単に整理しておきます。
(A)加瀬英明2011﹃ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか﹄祥伝社
は加瀬氏のジョンとの交流の思い出と、ジョンの宗教観、政治観、歴史観ななどを記したものです。全265頁の浩瀚な内容を含む単行本です。
(B)﹁(ジョン・レノン没後36年)ジョン・レノンは靖国の英霊に祈った外交評論家・加瀬英明﹂﹃産経新聞﹄2016-12-8
は加瀬氏が2016年の﹃正論﹄11月号に発表された論文が同年の﹃The Sankei News﹄に転載されたものです。
(C) ﹃ジョン・レノンは東京に来ると靖国神社に参拝していた﹄~名曲”Imagine”に込められた真実︻ザ・ファクト︼2023-2-19 - YouTube
動画は確かに某宗教団体が発信したものですが、加瀬氏がジョンとの思い出を話された内容を撮影しそのまま発信したものです。ObladiObladaさんは﹁YouTube動画のインタビュー時に加瀬さんが相当過剰な表現を使ってしまっていることを疑わないわけにいきません﹂と意見を記されていますが、発言内容はまごうことのない加瀬氏が発した言辞なのです。ここにAIやCG技術を駆使して人工的に偽造されたものでないかというレベルの懐疑論でも持ち込まない限り、内容そのものは一次資料としてみなしてよいと考えます。(私が一次資料と位置付けたのは、誤植や誤記の可能性が生じる文字データに比してより生のデータであるからです。書誌学的な厳密性を以て第一次としたわけではありません。その点誤解を与えてしまったことをお詫びいたします)
(B)よりジョンの発言は1970年代以降と推定されます。そして(1)が発表されてから(3)までに12年間の開きがあります。ObladiObladaさんはこれらの内容の不一致を以て加瀬さんの発言の﹁不正確性の証左﹂とされていますが、この解釈には首肯しかねます。ここは重要な部分ですので、引用とトランスクリプトで示します(版権の問題がありますので最小限に収めます)。
(B)﹁当時はまだA級戦犯合祀が政治問題化はしていなかったが、彼は、戦場に散った日本の英霊をまつる靖国という場所を嫌っていなかった。それから、しばらくして、私はジョンに﹁先の日米戦争はアメリカからふっかけられ、日本は自衛のためにやむなく戦った。日本人はアメリカに攻撃されたベトナム人民と変わらなかった﹂と説明したことがあるのだが、その時も彼は納得した。あくまで私の推測だが、当時のジョンはアメリカという国に批判的で、ベトナム戦争などを挙げながら﹁侵略戦争を戦う国だ﹂などとよく口にしていたから、日本は米国に対し﹁正義の戦争﹂をしたと思ったに違いない。﹂
(C)﹁ジョンやヨーコは東京に来ると靖国神社によく参拝してまして、それで僕がジョンに﹁日本は先の戦争では、ええ、アメリカから不当な圧迫を被って、それで、立ち上がって戦ったんだって。残念だけど、負けたんですね。ただ、その結果白人キリスト教徒が数百年にわたって奴隷として虐げてたですね、アジア、アフリカの民を解放した﹂。
それであのジョンは﹁そのとうりだ﹂と言って、﹁この間の戦争は正義の戦争だった﹂て。
●コントラスト比が低すぎて読めないので、勝手ながら色指定を除去しました。--ホーリーブライト︵会話︶ 2023年6月14日 (水) 03:14 (UTC)[返信]
すなわち(C)は加瀬氏が耳にした大東亜戦争に対するジョンの発言をそのまま紹介したもので、(B)はその時のジョンの心情に対する加瀬氏の解釈を記したもので、両者間には整合性と一貫性が認められます。両者が発表されたのには3年間の開きがあり表現に多少の違いがあるのは致し方ないことでしょう。
⑤中立性について
ObladiObladaさんは﹁中立性に非常に疑問がある﹂とお考えのことですが、Wikipedia:検証可能性には﹁ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は﹃真実であるかどうか﹄ではなく﹃検証可能かどうか﹄﹂であると記されています。そして中立性についてはWikipedia:中立的な観点を確認してみましょう。﹁Wikipedia:中立的な観点#中立的な観点とは﹂に﹁ウィキペディアが目指すところは、論争を記述することであり、論争に加わることではありません。﹂とし﹁中立的な観点とは、ある種の観点を除外することを意味するのではなく、十分妥当な重みを持つすべての検証可能な観点を含んでいるものです﹂とあり利用者には、中立性を判断することは求められていないとしています。
ここで2023年5月30日時点での記述[8]は
太平洋戦争への解釈
オノ・ヨーコの従弟の加瀬英明がジョンに対し、大東亜戦争は日本が米国から不当な圧迫を被ったことに対する自衛的戦争であると述べると、その主張に首肯し﹁この間の戦争は正義の戦争だった﹂と述べたとされる。来日時にはよく妻のヨーコと靖国神社を訪れ参拝していた[42][43][44]。
●引用部分で誤って節が別れてしまっていたため、見出し部分を通常の大文字に変更しました。--ObladiOblada︵会話︶ 2023年6月25日 (日) 13:40 (UTC)[返信]
をwikiのルールと比較して確認してみましょう。
﹁意見を事実として記さない﹂については記述はあくまでも加瀬氏がジョンより聞いた伝聞であることが明確に示されています。
﹁判断を下さない言葉遣いを好んで選択する﹂については﹁述べたとされる﹂と断定的な表現は避けています。
以上がObladiObladaさんが私に宛てられた質問に対する回答です。向けられたご質問には一応すべて回答申し上げたつもりです。
そこで今後の対処についてですが、ObladiObladaさんと私とのやり取りでは終息は付かないと思います。
従いまして、議論には第三者の意見をもとめ、それらを参考に将来的に結論を下すというのではいかがでしょうか?第三者に評価していただくために、現在の記載を維持し、同時に﹁井戸端﹂や﹁議論活性化のためのコメント﹂などの方法でご意見を募っていただくということではいかがでしょうか。以上よろしくご理解くださいますようお願いいたします。-お怒りヘンリー8世︵会話︶ 2023年6月13日 (火) 08:31 (UTC)[返信]
第三者からの意見を募ることには反対しません。しかし、異常に返答が遅いのはどういうことでしょう。今回の返答も今日を期限としたために返答しただけで、率直に言って議論の引き延ばしとしか感じられません。そして、﹁思ったに違いない﹂という推測と﹁言った﹂という断言の矛盾について説得力のある反論は未だに頂けていません。
これまで一週間は待ちすぎでした。金曜までに返答をお願いします。--ObladiOblada︵会話︶ 2023年6月13日 (火) 12:44 (UTC)[返信]
返答の際は産経の記事が﹁述べたとされる﹂と言うことを明らかに否定する内容である︵﹁思ったに違いない﹂と明記されている︶ことについて、今度こそ話をそらさずに回答願います。--ObladiOblada︵会話︶ 2023年6月13日 (火) 12:55 (UTC)[返信]
Wikipedia:コメント依頼#合_2023年6月にコメント依頼を行いました。--ObladiOblada︵会話︶ 2023年6月13日 (火) 13:14 (UTC)[返信]
ObladiObladaさん
<<異常に返答が遅いのはどういうことでしょう<<
自分は現実社会で多忙でwikiに関わっている時間は限られています。これまでwikiには1・2週間に一度のペースで投稿してきました。一方的に時間を指定して回答せよとの強引な要求には応じかねます。これはぜひご理解ください。
>>’’来週水曜になってもきちんとした回答を頂けない場合、議論終結として該当部分を除去しようと思います’’>>と日時を区切って一方的に削除を宣言されたのはObladiObladaさんではないでしょうか。自分は忙しい中なんとかその要求に応えました。本来合意が成立していない段階で削除されたならば、リバーとすることは認められているようですが、これでは管理者に﹁保護﹂を掛ける余分な手間をかけ、かつ他の利用者に迷惑を掛けることになり、そういった事態を回避しようとしたのです。︵Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない、Wikipedia:保護の方針をご確認ください︶
自分にはObladiObladaさんのご質問の意味を熟考し、それに応える文案を練るには相当の時間が掛かります。2023年6月13日 (火) 08:31 (UTC)の投稿内容は長文でこれを作成するのにかなりの時間を費やしました。
回答を求められるのならば少なくとも2週間程度待ってください。当該部分はこれまで4年間に渡り掲載されていた記事です。緊急に対処する必要はないと思います。
上記でご説明しましたが、﹁思ったに違いない﹂とする加瀬氏の感想が﹁﹃述べたとされる﹄と言うことを明らかに否定する内容である﹂とするObladiObladaさんの解釈には残念ながら同意できません。その理由を説明します。
2つの記事には3年間の開きがあり(C)が加瀬氏が聞いたジョンの発言をそのまま紹介したもので、(B)は米国が侵略戦争を行う国だというジョンの米国観を紹介し、日本の行った対米戦に対するジョンの考えを加瀬氏が推し量ったもので両者に整合性がみられます。
ここで加瀬氏の﹁当時のジョンはアメリカという国に批判的で、ベトナム戦争などを挙げながら﹁侵略戦争を戦う国だ﹂などとよく口にしていたから、日本は米国に対し﹁正義の戦争﹂をしたと思ったに違いない。﹂という言質について私なりの解釈を申し上げます。
もし﹁日本は米国に対し﹁正義の戦争﹂をしたと思ったに違いない。﹂という部分のみを取り出してこれを解釈すれば
α︶加瀬氏がジョンより﹁﹃この間の戦争は︵日本にとって︶正義の戦争だった﹄て﹂︵※︵︶が私が文脈を補う目的で加えてものです︶という発言を直接聞いたことに対し、このような発言をしたジョンの心情を加瀬氏が推し量ったとする解釈、
と
β︶ジョンが﹁︵日本が︶正義の戦争﹂︵※()は同様︶をしたという発言は全くしていないにもかかわらず、加瀬氏が勝手に﹁日本は米国に対し﹁正義の戦争﹂をしたと思ったに違いない。﹂と忖度した。
という二説が考えられるでしょう。恐らくObladiObladaさんは後者の解釈をされたのだと思います。
しかしながら﹁日本は米国に対し﹃正義の戦争﹄をしたと思ったに違いない。﹂という記述の前に﹁当時のジョンはアメリカという国に批判的で、ベトナム戦争などを挙げながら﹁侵略戦争を戦う国だ﹂などとよく口にしていたから﹂という記述が存在し、YouTubeでは加瀬氏はジョンが﹁この間の戦争は正義の戦争だった﹂とする発言を直接聞いたとしています。これらの前提条件を加味すれば(β)の解釈をのみ採用するには無理があると考えます。
すなわち﹁正義の戦争﹂をしたと思ったに違いない。﹂という命題から﹁実際には発言はしていない﹂とする結論を導出するには前者が﹁十分条件﹂になっていなければならないと思うのですが、上記のような複数の解釈ができる以上、﹁正義の戦争﹂をしたと思ったに違いない。﹂という命題から﹁実際には発言はしていない﹂とする結論のみを導出するのは難しいと思います。
一般に﹁ないこと﹂を論理的に証明﹂するのは困難だと言われています︵﹁悪魔の証明﹂︶。その逆に﹁あること﹂を証明することも現実には困難を伴います。例えば一般に疑うこともないと考えられるNASAの月面着陸計画でさえ陰謀論が提示され、それに反証することは困難が伴います︵アポロ計画陰謀論︶。
本論で議論しているジョンの発言については本人と加瀬氏に直接確かめることが出来れば問題は解決しますが、両者とも過去の人でありそれは叶いません。したがって今回提示した複数の資料から判断していくしかないと思います。ObladiObladaさんには不本意かもしれませんが、ご理解いただければと思います。
﹁太平洋戦争への解釈﹂は上記のように複数のWikiのルールを考慮して言葉や表現方法を選んで記したと自覚しています。できれば残していただきたいというのが私の希望です。
以下に述べますのはあくまでも私個人の私見ですので今回の議論には考慮してくださらなくて結構です。
私が﹁ジョン・レノンの太平洋戦争に対する解釈﹂をジョン・レノンの記事に記しておきたいと考えたのは、ジョンの発言が彼の世界観や思想・哲学の変化を知るに重要な意味を持つと考えたからです。すなわちジョンはリバプール出身の音楽の天才でしたが、彼自身アカデミックな教育は受けてはいませんでした。そこに教養豊かで優れた感性の持ち主であるオノ・ヨーコ氏との出会いで彼女に大いに感化されたのだと思います︵そのことが結果としてビートルズの解散に結びついていった等側面は別として︶。彼自身第二次大戦の勝利国の英国出身であり、敗戦国の日本の立場に立つ必然性は感じられません。彼はベトナム戦争に反対したように反戦活動家として知られています。それにも関わらず彼が第二次世界大戦における日本の立場に心を寄せてたのは、彼の反戦思想が単なる嫌戦ではなく、広い世界観・歴史観を持ちそこから個々の戦争の意味を彼なりに解釈していたという査証になると考えたからです。それゆえに﹁ジョン・レノンの太平洋戦争に対する解釈﹂は記事として特質に値すると考えた次第です。
PS. ObladiObladaさんがコメント依頼に提起していただいたことを確認しました[9]。ごくろうさまです。これ以降議論の推移を見守らせていただきます。
以上がご質問への私の回答です。私の作文力の稚拙さからなかなか真意をお伝え出来ず、ObladiObladaさんを困惑させ、余計な時間を費やせてしまったことをお詫び申し上げます。以後他の方々のご意見も参考にさせて頂きたいと思います。
お怒りヘンリー8世︵会話︶ 2023年6月16日 (金) 09:18 (UTC)[返信]