フィレンツェ歴史地区

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世界遺産 フィレンツェ歴史地区
イタリア
フィレンツェ歴史地区 (中央が家屋付きの橋、ポンテ・ヴェッキオ)
フィレンツェ歴史地区
(中央が家屋付きの橋、ポンテ・ヴェッキオ)
英名 Historic Centre of Florence
仏名 Le Centre Historique de Florence
登録区分 文化遺産
登録基準 (1),(2),(3),(4),(6)
登録年 1982年
公式サイト 世界遺産センター(英語)
地図
フィレンツェ歴史地区の位置
使用方法表示
街並み

 : Centro Storico di Firenze / : Historic Centre of Florence() ID:174

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主な構造物[編集]

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂[編集]

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂



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ヴェッキオ宮殿[編集]

ヴェッキオ宮殿

14世紀の始めにフィレンツェの政庁舎として建築され、一時、メディチ家もピッティ宮殿へ移るまでここを住居としていた。現在は市庁舎として使用されている。3層の石造建物で塔の高さは94mある。

「500人大広間」の壁画をミケランジェロダ・ビンチが競作したエピソードで有名(現在の壁画はジョルジョ・ヴァザーリ作)。

宮殿前のシニョリーア広場は、中世のフィレンツェの政治の中心であった。ジロラモ・サヴォナローラが火あぶりの刑に処せられた場所でもある。ミケランジェロのダビデ像が置かれていたが、現在置かれているものはレプリカ。

ウフィツィ美術館[編集]

ヴィーナスの誕生

近代式の美術館としてヨーロッパ最古といわれる。建物はもともと、ジョルジョ・ヴァザーリの設計で1560年に着工し、1580年に完成したフィレンツェ共和国政府の政庁舎だった。したがって、ウフィツィ(Office)の名がつけられた。

もともと、メディチ家の収集した美術品を保管するため最上階が改装された。メディチ家が、1737年に断絶された後も美術品は残され一般に公開されるようになった。

ウフィツィ美術館の中心には、トリブーナと呼ばれる真珠貝が散りばめられたドーム空間が広がっている。もっとも広い部屋は、ボッティチェッリの間とも呼ばれ、サンドロ・ボッティチェッリ作の『ヴィーナスの誕生』が飾られている。またメディチ家の結婚祝としてボッティチェッリが描いた『春』も所蔵されている。

ピッティ宮殿[編集]

ピッティ宮殿

アルノ川の南岸に建つピッティ宮殿は、ルカ・ピッティがブルネレスキに依頼して建築し、16世紀半ばにメディチ家が購入し、歴代トスカーナ大公の居館となった。その後、数回の改築を経て18世紀ごろに現在の形となる。現在は、2つの美術館と5つの博物館になり、ヴェッキオ宮殿からウフィツィ美術館とは、ヴァザーリの回廊で結ばれている。

ボーボリ庭園[編集]

ピッティ宮殿の背後に広がる。コジモ1世が、肺結核の妻の療養のために16世紀半ば造営したといわれている。広さは45,000m2

サンタ・マリア・ノヴェッラ教会[編集]

サンタ・マリア・ノヴェッラ教会

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サンタ・クローチェ聖堂[編集]

サンタ・クローチェ聖堂

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