マニュエル・ヴァルス
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マニュエル・ヴァルス / マヌエル・バイス Manuel Valls | |
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生年月日 | 1962年8月13日(61歳) |
出生地 |
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出身校 | パリ第1大学トルビアック歴史学部 |
前職 | 広報アドバイザー |
所属政党 |
![]() (社会党→) 共和国前進[1] |
配偶者 | スサナ・ガリャルド・トーレデディア |
子女 | 4人 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2019年6月15日 - 2021年10月31日 |
内閣 |
第1次マニュエル・ヴァルス内閣 第2次マニュエル・ヴァルス内閣 |
在任期間 | 2014年3月31日 - 2016年12月6日 |
大統領 | フランソワ・オランド |
内閣 |
第1次ジャン=マルク・エロー内閣 第2次ジャン=マルク・エロー内閣 |
在任期間 | 2012年5月16日 - 2014年3月31日 |
大統領 | フランソワ・オランド |
選挙区 | エソンヌ県第1選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 2002年6月19日 - 2018年10月3日 |
在任期間 | 2001年3月18日 - 2012年6月3日 |
マニュエル・カルロス・ヴァルス︵フランス語‥Manuel Carlos Valls、1962年8月13日 - ︶は、フランスおよびスペインの政治家︵出身地の言語であるカタルーニャ語ではマヌエル・バイス。姓の日本語表記は﹁バルス﹂も見られる[2]︶。フランソワ・オランド政権において内務大臣および首相を歴任した。
人物・来歴[編集]
1962年8月13日にカタルーニャ州バルセロナにて、カタルーニャ系スペイン人︵民族カタルーニャ人︶の画家であるシャヴィエ・ヴァルスとイタリア系スイス人の母との間に誕生し、20歳頃の1982年にフランス国籍を取得した。パリ第一大学︵歴史学専攻︶を卒業した。 1980年に政治活動を開始して、学生組合の活動に加わる。1983年から1986年までフランス国民議会議員の秘書になり、24歳のころにイル=ド=フランス地域圏議会議員に当選した。 1997年フランス議会総選挙で落選し、その後1997年から2002年まで首相であったリオネル・ジョスパンの広報アドバイザーを務めた。 2012年5月発足のジャン=マルク・エロー内閣で内務大臣に就任した。2014年3月の統一地方選挙での社会党の大敗によるエローの首相辞任に伴い、フランソワ・オランド大統領より後任の首相に任命された。 2015年10月に初来日し、日本の安倍晋三首相と会談した[3]。 2016年12月6日、翌年のフランス大統領選挙に出馬するため、首相を辞任した。2017年1月22日に行われた社会党大統領候補予備選挙第1回投票で、ブノワ・アモン元国民教育相に次ぐ第2位となった。予備選挙第2回投票に進み、同年1月29日に行われた投票では200万票を集めたアモンに敗北した︵アモン58.71パーセントに対してヴァルス41.29パーセント︶[4]。後にエマニュエル・マクロン支持に回ったことで社会党からは非難を浴びたが、マクロン勢力に合流することも叶わなかった。[5]。 2018年9月25日にヴァルスはバルセロナ市長を目指して2019年5月26日のバルセロナ市議会選挙への出馬を表明し、立候補した[5]。欧州連合加盟国の間では他国の国民であっても地方選挙への参加が認められており[6]、ヴァルスはこの選挙での被選挙権を有していた。 選挙はまず、市議会選挙が行われ、議会から議員の互選で市長を選出する、議院内閣制のような形で行われたが、結果は現職市長のアダ・コラウの再選であった。議席を獲得したヴァルスは、カタルーニャ独立派市長の誕生を阻止するため、自陣営の一部と共に現職支持に回った[7]。 2022年フランス議会選挙に向け、共和国前進から在外フランス人第5選挙区の候補者に指名されている。しかし、サマンサ・カズボンヌの代理議員に選ばれた共和国前進のステファン・ヴォジェッタは、これを落下傘だと批判し、立候補を維持することを選択した[1]。 2022年6月6日、メトロポリテーヌに先んじて行われた11の在外フランス人選挙区の第1回投票で在外フランス人第5選挙区から立候補していたが、NUPESのルノー・ル・ベールが1位、上述のステファン・ヴォジェッタの2位に次ぐ3位となり、第2回投票︵決選投票︶には進めなかった。この結果に伴い、共和国前進代表のスタニスラス・ラゲーニはステファン・ヴォジェッタの支持を表明した[8][9]。また、ヴァルスはTwitterにおいて最後に﹁Adieu Twitter...﹂と投稿した後、そのアカウントを削除した[10]。政策[編集]
外交[編集]
- 日本の国際連合安全保障理事会常任理事国入りを支持している[11]。
カタルーニャ独立[編集]
- バルセロナを含むカタルーニャ州の独立には反対の立場を取る[5]。
脚注[編集]
(一)^ ab“La candidature de Manuel Valls aux législatives provoque des remous en Espagne” (フランス語). Le Monde.fr. (2022年5月6日) 2022年5月8日閲覧。
(二)^ “仏新首相にバルス氏任命 オランド大統領、地方選大敗で内閣改造”. MSN産経ニュース (2014年4月1日). 2014年4月2日閲覧。
(三)^ ﹁日仏、原子力協力を推進 首相会談﹂﹃日本経済新聞﹄、2015年10月5日。2016年4月10日閲覧。
(四)^ Primaire de la gauche : Benoît Hamon l'emporte largement et devient le candidat du PS et de ses alliés à l'élection présidentielle
(五)^ abc﹁バルス元仏首相、バルセロナ市長選に出馬表明 異例の外国政界入り目指す﹂﹃AFPBB News﹄︵フランス通信社︶、2018年9月26日。2018年9月26日閲覧。
(六)^ “EU市民の政治参加”. 神戸大学大学院国際文化研究所. 2022年6月7日閲覧。
(七)^ “マドリードは右派が市政奪回、バルセロナは急進左派系市長が続投︵スペイン︶”. 日本貿易振興機構︵ビジネス短信︶ (2019年6月26日). 2019年7月22日閲覧。
(八)^ “Élimination de Valls aux législatives : vue d’Espagne, une gifle mais pas une surprise” (フランス語). ladepeche.fr. 2022年6月6日閲覧。
(九)^ “VIDEO. Manuel Valls battu aux législatives : le ministre Stanislas Guerini "salue son courage politique" et soutient Stéphane Vojetta face à la Nupes” (フランス語). Franceinfo (2022年6月6日). 2022年6月6日閲覧。
(十)^ “Législatives 2022 : "Adieu Twitter", Manuel Valls quitte le réseau social après sa défaite au premier tour” (フランス語). ladepeche.fr. 2022年6月6日閲覧。
(11)^ ﹁仏首相、日本の常任理事国入り支持 安倍氏と京都で夕食﹂﹃日本経済新聞﹄、2015年10月4日。2016年4月10日閲覧。
外部リンク[編集]
- Manuel Valls | Portail du Gouvernement(フランス語)
- マニュエル・ヴァルス内務大臣 - La France au Japon(日本語)
- マニュエル・ヴァルスの発音例
公職 | ||
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先代 クリスチャン・オリヴィエ |
エヴリー市長 2001年3月18日 - 2012年6月3日 |
次代 フランシス・シュア |
先代 ジャン・アルツ |
エヴリー・サントル・エソンヌ都市圏共同体議長 2008年4月7日 - 2012年7月9日 | |
先代 クロード・ゲアン 内務・海外県・海外領土・地方自治体・移民大臣 |
![]() 第28代:2012年5月16日 - 2014年3月31日 |
次代 ベルナール・カズヌーヴ |
先代 ジャン=マルク・エロー |
![]() 第21代:2014年3月31日 - 2016年12月6日 |
次代 ベルナール・カズヌーヴ |