三嶋飯粒
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三嶋 飯粒(みしま の いいぼ、生没年不詳)は、日本古代の6世紀前半の豪族。姓は県主。
出自
[編集]三島県主(宿禰)氏は、『新撰姓氏録』「右京神別」によると、天神で、「神魂命十六世孫建日穂命之後也」とある。
経歴
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安閑天皇元年︵推定534年︶閏12月、天皇は大伴金村をお供にして摂津国三嶋へ行幸し、県主の飯粒︵いいぼ︶に良田を問われた。飯粒は天皇からの諮問を受けたことを名誉と感じたのか、この上なくよろこんで、誠心を尽くして応答した。そして、上御野︵かみのみの︶・下御野︵しもみの︶︵摂津国西成郡三野郷、現在の大阪府大阪市西淀川区姫島町・御幣島町一帯︶と、上桑原︵かみのくわはら︶・下桑原︵しものくわはら︶︵現在の茨木市桑原︶に及ぶ竹村︵たかふ︶の土地40町をすすんで天皇に献上した。これにより、天皇は大伴金村を通じて詔を発し、先に勅旨を軽んじて、嘘をついて良田の献上を惜しんだ大河内味張を郡司︵国造︶とすることを禁じている。
県主飯粒は詔を賜ったため、喜び恐懼して、息子の鳥樹を大伴金村の少年従者に献上した、という[1]。
三嶋氏は、神護景雲3年︵769年︶2月に三嶋県主広調︵ひろつき︶らが、同4年7月に宗麻呂が宿禰姓を賜与されている[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本書紀』(三)、岩波文庫、1994年
- 『日本書紀』全現代語訳(上)、講談社学術文庫、宇治谷孟:訳、1988年
- 『日本古代氏族人名辞典』坂本太郎・平野邦雄監修、吉川弘文館、1990年
- 『日本古代氏族事典』【新装版】』佐伯有清:編、雄山閣、2015年