三浦新
みうら あらた 三浦 新 | |
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生誕 |
1940年5月30日 日本 山形県山形市 |
死没 | 2013年3月12日 |
死因 | 腎不全 |
出身校 | 慶應義塾大学商学部 |
職業 | 銀行家 |
配偶者 | あり |
子供 | 長男:三浦新一郎 |
栄誉 | 旭日小綬章 |
三浦 新︵みうら あらた、1940年︿昭和15年﹀5月30日 - 2013年︿平成25年﹀3月12日︶は、日本の銀行家。山形銀行頭取、会長を歴任した。2010年︵平成22年︶旭日小綬章受章。
来歴・人物[編集]
三浦弥太郎山形銀行頭取の長男として、山形県山形市に生まれる。東京商科大学︵現一橋大学︶学長や両羽銀行︵現山形銀行︶頭取を務めた三浦新七は祖父。 慶應義塾大学商学部卒業後、三菱銀行勤務を経て、山形銀行入行。常務、専務を歴任し、45歳で頭取に就任するが、これに対しては行内外から若すぎるとの声も出た[1]。 頭取在任中は、金融の自由化や国際化に対応し、事務センターの建設、第三次オンライン計画の策定のほか1988年︵昭和63年︶には、総預金1兆円を達成した[2]。 1993年︵平成5年︶には会長に退き、後任には丹羽厚悦専務が昇格した。以後、丹羽頭取・三浦会長の体制が2005年︵平成17年︶まで続いた。 ほかに、県銀行協会会長や山形商工会議所副会頭、山形経済同友会代表幹事、慶大評議員なども歴任した[3]。 2013年︵平成25年︶3月12日、腎不全で死去。72歳[3]。 長男は三浦新一郎山形銀行専務取締役。略歴[編集]
●1959年︵昭和34年︶ - 山形県立山形東高等学校卒業。 ●1963年︵昭和38年︶ - 慶應義塾大学商学部卒業後、三菱銀行︵現・三菱UFJ銀行︶入行 人事部人事第一課長代理等を歴任する。 ●1972年︵昭和47年︶ - 山形銀行入行 常務取締役。 ●1980年︵昭和55年︶ - 専務取締役。 ●1985年︵昭和60年︶ - 頭取。 ●1993年︵平成5年︶ - 会長。 ●2005年︵平成17年︶ - 退任。 ●2013年︵平成25年︶ - 死去。脚注[編集]
- ^ 日本経済新聞縮刷版 1985年6月
- ^ 山形銀行百年史編纂部会編 『山形銀行百年史』 山形銀行、1997年(平成9年)。
- ^ a b “《追想録》 山形銀行 元頭取 三浦 新さん”. 山形コミュニティ新聞. (2013年3月22日) 2013年9月17日閲覧。