丹生川村立国見小学校
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丹生川村立国見小学校 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 丹生川村 |
設立年月日 | 1901年[注釈 1] |
閉校年月日 | 1976年 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒506-2103 |
岐阜県高山市丹生川町折敷地1484[注釈 2] | |
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丹生川村立国見小学校 ︵にゅうかわそんりつ くにみしょうがっこう︶は、かつて岐阜県大野郡丹生川村︵現・高山市︶に存在した公立小学校。
概要[編集]
●丹生川村呂瀬︵現・高山市丹生川町折敷地の北西部︶の小学校であった。1976年、三之瀬小学校、折敷地小学校と統合。荒城小学校の新設により廃校。 ●校名は呂瀬地区の北にある国見山[注釈 3]に由来する。 ●1950年から1970年まで国見中学校を併設し、国見小中学校とも称した。 ●跡地は呂瀬金山地区多目的集会所などになっている。沿革[編集]
●1901年︵明治34年︶4月1日 - 呂瀬地区に折敷地尋常小学校呂瀬分校を設置する。同時に三之瀬尋常小学校金山分教場を統合する。民家を仮校舎とする。丹生川村の呂瀬地区と上宝村の蓑谷地区[注釈 4]。 ●1902年︵明治35年︶4月 - 新築移転。 ●1908年︵明治41年︶4月1日 - 丹生川尋常高等小学校第七分教場となる。尋常科1~6年の児童が通学する。 ●1910年︵明治43年︶4月 - 農業補習学校第七分教場を併設する。 ●1926年︵大正15年︶7月 - 青年訓練所を併設する。 ●1941年︵昭和16年︶4月1日 - 丹生川国民学校第七分教場となる。 ●1947年︵昭和22年︶4月1日 - 丹生川村立丹生川小学校国見分校に改称する。 ●1949年︵昭和24年︶ ●4月1日 - 丹生川小学校から独立し、丹生川村立国見小学校となる。 ● 4月23日 - 独立祝賀式を行う。 ●1950年︵昭和25年︶4月1日 - 丹生川村立国見中学校が開校する。国見小学校は国見中学校との併設校となる。 ●1964年︵昭和39年︶4月 - 上宝村の蓑谷地区の児童の委託を解消。蓑谷地区の児童は上宝村立本郷小学校へ通学する。 ●1970年︵昭和45年︶3月 - 国見中学校が統合により廃校。国見小学校は単独校となる。 ●1976年︵昭和51年︶3月 - 統合により廃校。脚注[編集]
参考文献[編集]
- 丹生川村史 全 (大野郡丹生川村史編纂委員会 1962年) P.673 - 676
- 丹生川村史 通史編2 (丹生川村史編集委員会 1998年) P.829 - 865
関連項目[編集]