丹羽圭介
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丹羽 圭介︵にわ けいすけ、1856年9月6日︵安政3年8月8日[1]︶ - 1941年︵昭和16年︶2月27日︶は、明治期の商人、京都商品陳列所長、大日本武徳会設立発起人。
経歴[編集]
山城国生まれ。儒者山本秀夫に付いて本草学︵博物学︶を修める。京都府令選抜にのぼり農牧講習所へ入り洋学を修める。戊辰戦争で長崎へ送られ、明治維新後京都に預けられ蘭学を学習する。この頃、山本覚馬に付き、英文書の発行も行った[2]。1877年︵明治10年︶慶應義塾を卒業し、京都へ帰る。神戸領事館の雇となり京都府勧業課に入る。美術工芸家として、博覧会が開催されるごとに派遣され、古物研究、陶器研究を行う。京都博覧会を中心に各種博覧会に関する資料等の古文書が、京都府に貯蔵されている[3]。脚注[編集]
- ^ 衆議院『第十七回帝国議会衆議院議員名簿』(第十七回帝国議会衆議院公報第一号附録)〔1902年〕、2頁。
- ^ “1910年開催の日英博覧会における京都の関与についての考察”. 京都府立大学学術報告. 人文 (70): 43-58. (2018-12-25). ISSN 18841732 .
- ^ “古文書解題 「は」から始まる文書”. 京都府. 2019年9月7日閲覧。
参考文献[編集]
- 三田商業研究会編 編『慶應義塾出身名流列伝』実業之世界社、1909年(明治42年)6月、149-150頁 。(近代デジタルライブラリー)