本草学
本草学︵ほんぞうがく︶は、中国および東アジアで発達した医薬に関する学問である。
概要[編集]
秦・漢以後、六朝にかけて、神仙思想が発達して方術が盛んになると、神仙家の薬と医家の薬とを区分する必要性が生まれた。その頃に、方術の薬を指すものとして、﹁本草﹂という用語が生まれたとされる。その意は、﹁草石の性に本づくもの﹂であるという。よって、単に薬草のみを指して本草という訳ではない。﹁本草﹂の語の文献上の初見は、﹃漢書﹄巻25﹁郊祀志下[1]﹂であり、紀元前31年に条に﹁候神方士使者副佐 本草待詔七十餘人皆歸家﹂とあり、方士ら神仙を説く者たちと共に、本草待詔70余人を免職にしたという記事が見える。但し、﹃漢書﹄巻30﹁芸文志[2]﹂には、﹁本草﹂という名を持つ書名は見られない。 梁の陶弘景は、﹃神農本草経﹄に補注を加えて、730種の薬名を記録し、本草学の基礎を築いた。659年になって﹃新修本草﹄が勅撰され、陶弘景の書に修改が加えられた。宋代には、974年に﹃開宝本草﹄、1060年に﹃嘉祐補註本草﹄︵掌禹錫︶、1061年に﹃図経本草﹄︵蘇頌︶が成立した。また、唐慎微は1082年に、掌氏と蘇氏の2書を合揉して﹃証類本草﹄を撰し、処方を加えた。1108年の﹃大観本草﹄は唐氏の書に﹃重広本草﹄︵1092年、陳承︶の説を補足した。さらに1116年の﹃政和本草﹄では、﹃大観本草﹄の図を縮微して利用の便を図った。また同年には、﹃本草衍義﹄が成立している。1159年の﹃紹興本草﹄は、﹃本草衍義﹄と同様、実用性を重視して編纂された。 明代の1596年に李時珍が著わした﹃本草綱目﹄は、本草学の集大成であり、1871種の薬種を収録している。日本の本草学︵博物学︶にも大きな影響を与えた。日本の本草学[編集]
日本の本草学については、博物学#本草学で述べる。主に人間、鳥、魚、獣、それ以外を虫として区別する。例えば、マムシに何故﹁ムシ﹂がつくかというと、蛇は虫に区別されるからである。主な本草学者[編集]
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脚注[編集]
参考文献[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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