久留島通政
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久留島通政 | |
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久留島通政像(安楽寺蔵) | |
時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
生誕 | 寛文元年(1661年) |
死没 | 享保4年11月13日(1719年12月23日) |
改名 | 万千代、通総、通厚、通政 |
別名 | 帯刀(通称) |
官位 | 従五位下伊予守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉、家宣、家継、吉宗 |
藩 | 豊後森藩主 |
氏族 | 久留島氏 |
父母 | 久留島通清、山内忠義娘 |
兄弟 |
通政、林正栄、毛利高久、毛利高慶、 通重、武田信令正室、高木守興正室ら |
妻 | 戸沢正誠娘、山内豊昌養女休 |
子 | 永井尚品正室、通用、通孝、通重、光通、山崎尭治正室 |
久留島 通政︵くるしま みちまさ︶は、江戸時代前期から中期にかけての大名。通称は帯刀。豊後国森藩4代藩主。官位は従五位下・伊予守。
略歴[編集]
3代藩主・久留島通清の長男として誕生。幼名は万千代。初名は通総、通厚。 寛文9年︵1669年︶7月11日、4代将軍徳川家綱にお目見えする。元禄13年︵1700年︶12月5日、父の死去により家督を継ぐ。宝永6年︵1709年︶4月15日、従五位下伊予守に叙任する。藩政には不明な点が多い。通政は正室を2人迎えたが、いずれも嗣子に恵まれず、元禄16年︵1703年︶に脇坂安照三男の久留島通用︵織部︶を養子にするが、翌年に病没した。その後、池田光仲の六男・久留島通孝︵主殿︶を養子にするもすぐに廃嫡している。そして、他家に養子に出ていた六弟の通重を養嗣子としたが、正徳5年︵1715年︶2月に先立って死去したため、叔父・久留島通貞の次男で従弟にあたる光通を養子として跡を継がせた。 享保4年︵1719年︶11月13日に死去した。享年59。系譜[編集]
父母 ●久留島通清︵父︶ ●山内忠義の娘︵母︶ 正室 ●戸沢正誠の娘︵正室︶ ●休 ー 山内豊昌の養女、山内一俊[1]の娘︵継室︶ 子女 ●永井尚品正室 養子、養女脚注[編集]
- ^ 山内忠義の甥。