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京極 高陳︵きょうごく たかのぶ︶は、丹後国峰山藩第12代︵最後︶の藩主。通称は采女、右近。官位は従五位下・備中守。
幕臣京極高紀の次男として誕生した。
慶応4年︵1868年︶2月12日、11代峰山藩主京極高富の養子となり、同年3月20日に京都で養父の名代として明治天皇に拝謁し、同年5月28日に家督を相続した。同年6月14日に従五位下・備中守に叙任される。明治2年︵1869年︶6月23日に峰山藩知事に任命され、明治4年︵1871年︶7月14日に廃藩置県により罷免され、同年9月28日に東京へ移った。明治6年︵1873年︶3月28日、海軍省に出仕し、水兵本部課所属となる。同年5月30日、海軍少尉に任命される。明治9年︵1876年︶9月30日に隠居。明治14年︵1881年︶7月9日に離縁となる︵実家へ復籍か?︶。
明治26年︵1893年︶5月13日に56歳で死去したとされるが、異説もある。﹁峰山郷土史﹂︵上︶には先述の年月日に没し、墓所は峰山町吉原の安泰山常立寺とあって、﹃三百藩藩主人名事典﹄3もこの記述を引用している。しかし﹃平成新修旧華族家系大成﹄によると、1893年5月13日に死去したのは高陳の2代後の当主高致︵高富のもう1人の養子︶で、高陳の没年は記述されていない。
●父‥京極高紀 - 幕臣500石、御小姓
●母‥不詳
●養父‥京極高富︵1836年 - 1889年︶
●正室‥笹田氏
参考文献[編集]
●﹁江戸幕臣人名辞典﹂2より﹁京極靭負﹂項。
●﹁華族明細短冊﹂東京大学史料編纂所蔵。これには﹁旧幕府小姓京極淡路守亡次男﹂︵実祖父の記述なし︶
●﹁丹後峰山京極家譜﹂東京大学史料編纂所蔵。これには﹁靭負高興弟﹂
●﹁平成新修旧華族家系大成﹂上︵1996年 霞会館︶には﹁京極高紀二男﹂とある。
●﹁峰山郷土史﹂上︵1963年 同町、1985年 臨川書店復刊︶にも﹁靭負高興弟﹂
●﹁峯山旧記・御料所日記﹂︵1940年 龍灯社、1979年 世界聖典刊行協会復刊︶にも﹁靭負高興弟﹂
●﹁峰山藩知事京極高陳他履歴﹂︵京都府立京都学・歴彩館蔵﹁宮津藩政記録﹂383︶には﹁実父末家故京極蓬山源高記﹂︵実祖父の記述なし︶とある。
京極氏 峰山藩12代藩主 (1868年 - 1871年) |
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