京極高広

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京極高広
時代 江戸時代前期
生誕 慶長4年(1599年
死没 延宝5年4月22日1677年5月23日
改名 高広、安智軒道愚(号)
戒名 安智院殿天真一道大居士
墓所 京都府京都市左京区南禅寺福地町の南禅寺天授庵
官位 従四位下丹後守
幕府 江戸幕府
主君 徳川秀忠家光家綱
丹後宮津藩
氏族 京極氏
父母 京極高知、惣持院
兄弟 高広高三田中満吉、常子、多賀某室、浅井長好室、京極高通正室、羽柴某室、
落合守重室、氏家行久室、有馬某室、
石束某室、京極高三養女、沢良政室ら
池田輝政娘茶々姫
養仙院、高国九鬼貞隆正室、高治
高勝高明
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系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 福知山は内陸であり、海産物は獲れない。
  2. ^ 幕府に激しく叱責された稲葉紀通は、火縄銃を乱射して抵抗したが、最後は自害したとされている。紀通の死因は『徳川実紀』などでは切腹であるとされているが、土佐藩山内忠豊が家臣に送った書状では鉄砲自殺となっている。
  3. ^ ただし高国の悪政も改易の主な理由である。
  4. ^ 九鬼守隆の子