伊丹政吉
伊丹 政吉 | |
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生誕 |
1883年4月11日 日本 徳島県 |
死没 | 1964年12月10日(81歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 |
1904年 - 1935年 1944年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
伊丹 政吉︵いたみ まさきち、1883年︵明治16年︶4月11日[1] - 1964年︵昭和39年︶12月10日[1]︶は、大日本帝国陸軍軍人、陸軍司政長官。最終階級は陸軍少将。
経歴[編集]
1883年︵明治16年︶に徳島県で生まれた[1]。陸軍士官学校第15期卒業[1]。1928年︵昭和3年︶8月10日に陸軍歩兵大佐進級と同時に第16師団司令部附となり[2]、龍谷大学に配属された[2]。1931年︵昭和6年︶8月に歩兵第20連隊長に転じ[2]、1932年︵昭和7年︶8月に近衛歩兵第4連隊長に就任した[2]。 1933年︵昭和8年︶3月18日に陸軍少将に進級し[2]、東京陸軍幼年学校長に着任した[1]。1934年︵昭和9年︶8月に歩兵第38旅団長に転じ[1]、1935年︵昭和10年︶8月1日に待命[1]、8月28日に予備役に編入された[1]。1942年︵昭和17年︶3月に陸軍司政長官となりジョホール州長官に就任した[3]。1943年︵昭和18年︶4月にペナン州長官に転じ[3]、1944年︵昭和19年︶7月1日まで務めた[3]。同年11月2日に召集され、留守第55師団兵務部長に就任した[4]。 1947年︵昭和22年︶11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。栄典[編集]
- 勲章等