住友吉左衛門
住友 吉左衛門︵すみとも きちざえもん︶は、住友財閥の創業家・住友家が3代目から代々、襲名した名前。名乗り始めた3代目以降、14代目と当代︵17代目︶以外は名前に﹁友﹂の字を持つ者が襲名している。
大正全国富豪番付で西日本1位だった15代目の住友吉左衛門
住友 友純︵すみとも ともいと、元治元年12月21日︵1865年1月18日︶ - 大正15年︵1926年︶3月2日︶は住友家15代当主。徳大寺公純の第六子で、兄に徳大寺実則や西園寺公望、弟に末弘威麿らがいた。初名は隆麿。友純は、野村徳七、小林一三とならぶ大茶人であり、益田孝、団琢磨、原富太郎、根津嘉一郎に匹敵する風流人であった。号は春翠。
1895年に住友銀行を創設。住友家茶臼山本邸︵慶沢園︶を大阪市に寄付し大阪市立美術館となる。また大阪府立中之島図書館の建物と図書基金を寄付したほか、京都法政学校︵現在の立命館大学︶にも財政的援助を行った。
1897年︵明治30年︶、貴族院議員に当選。1900年︵明治33年︶議員を辞退。1904年︵明治37年︶勲四等、1906年︵明治39年︶勲三等、1911年︵明治44年︶8月、男爵を授けられる。1926年︵大正15年︶3月1日、正四位勲一等、瑞宝章を授章[2]。