佐山亮
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さやま りょう 佐山 亮 | |
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本名 | 板倉 與志雄 (いたくら よしお) |
生年月日 | 1911年2月16日 |
没年月日 | 1945年 |
出生地 | 日本 千葉県山武郡 |
死没地 | フィリピン |
職業 | 俳優 |
ジャンル | 新劇、劇映画(時代劇・現代劇、戦争映画、トーキー) |
活動期間 | 1928年 - 1944年 |
配偶者 | 有 |
著名な家族 | 多喜万利(実娘) |
主な作品 | |
『巨人傳』 『海軍爆撃隊』 |
佐山 亮︵さやま りょう、1911年2月16日 - 1945年︶は、日本の俳優である[1][2][3]。本名は板倉 與志雄︵いたくら よしお︶[1][2][3]。戦前・戦中にかけて東宝映画東京撮影所、東宝映画の名脇役として活躍していたが、満34歳で戦病死している[2]。
来歴・人物[編集]
1911年︵明治44年︶2月16日、千葉県山武郡に生まれる[1][2][3]。 千葉県立長生中学校︵現在の千葉県立長生高等学校︶を卒業後、東京美術学校︵1952年廃止︶を経て、太平洋美術学校︵現在の太平洋美術会︶に進学[1][2][3]。1928年︵昭和3年︶4月、三ヶ年修了後は太平洋洋画会などの洋画研究所を転々とする傍ら、学生同士で新劇の劇団を組織して各座に出演していた[1][2][3]。 1934年︵昭和9年︶11月、映画俳優を志し、松竹大船撮影所の開所に伴う俳優募集に応募したところ、佐山は第一候補者に挙げられ、1936年︵昭和11年︶に開校されて間もない松竹大船俳優学校に入学し、修業に励む[1][2][3]。卒業後、J.O.スタヂオ俳優養成所の第一期生となり、1938年︵昭和13年︶に東宝映画東京撮影所へ正式入社[1][2][3]。同年4月11日に公開された伊丹万作監督映画﹃巨人傳﹄で映画デビューを果たす[1][2]。以後、1939年︵昭和14年︶5月20日公開された熊谷久虎監督映画﹃上海陸戦隊﹄など、戦争映画を中心に多数の作品に助演を務めた[1][2]。 その後、第二次世界大戦の戦局悪化により応召され、終戦直前の1945年︵昭和20年︶、出征先のフィリピンで戦病死した[2]。満34歳没。 元松竹歌劇団︵SKD︶出身で、ヌードダンサーとして活動していた多喜万利は、佐山の遺児にあたる[4]。出演作品[編集]
東宝映画東京撮影所[編集]
特筆以外、全て製作は﹁東宝映画東京撮影所﹂、配給は﹁東宝映画﹂、全てトーキーである。 ●﹃巨人傳﹄︵﹃巨人伝﹄︶‥監督伊丹万作、1938年4月11日公開 - 清家竜馬 ●﹃世紀の合唱 愛国行進曲﹄︵﹃世紀の合唱﹄︶‥監督伏水修、1938年4月21日公開 - 次男文男 ●﹃田園交響楽﹄︵﹃田園交響曲﹄︶‥監督山本薩夫、1938年6月11日公開 - 東作の弟進二 ●﹃青空二人組﹄‥監督岡田敬、1938年10月16日公開 - 鈴木 ●﹃虹立つ丘﹄‥監督大谷俊夫、1938年11月3日公開 - ハイキングの男 ●﹃沙羅乙女﹄‥監督佐藤武、1939年3月1日公開 - 小岩井誠 ●﹃忠臣蔵﹄‥監督滝沢英輔、1939年4月21日公開 - 品川豊前守 ●﹃上海陸戦隊﹄‥監督熊谷久虎、1939年5月20日公開 - 中村二等水兵︵B陣地︶ ●﹃樋口一葉﹄‥監督並木鏡太郎、1939年5月31日公開 - 録之助 ●﹃東京の女性﹄‥監督伏水修、1939年10月31日公開 - セールスマン︵運転手︶ ●﹃松下村塾﹄‥監督重宗和伸、製作東京発声映画製作所、1939年12月7日公開 - 石谷因幡守 ●﹃御存知東男﹄‥監督滝沢英輔、1939年12月29日公開 - 飯飼五太夫 ●﹃光と影﹄‥監督島津保次郎、1940年1月18日公開 - 峯の情夫 ●﹃化粧雪﹄‥監督石田民三、1940年2月14日公開 - 丸竹の宇之吉 ●﹃海軍爆撃隊﹄‥監督木村荘十二、1940年5月22日公開 - 下村一整曹 ●﹃奥村五百子﹄‥監督豊田四郎、製作東京発声映画製作所、1940年6月26日公開 - 小笠原長生 ●﹃屋根裏の花嫁﹄‥監督矢倉茂雄、1940年7月31日公開 - 鬼小路輝司 ●﹃燃ゆる大空﹄‥監督阿部豊、共作映画科学研究所、1940年9月25日公開 - 爆撃隊 ●﹃熱砂の誓ひ 前篇﹄‥監督渡辺邦男、共作華北電影公司、1940年12月25日公開 - 建設総署長 ●﹃熱砂の誓ひ 後篇﹄‥監督渡辺邦男、共作華北電影公司、1940年12月28日公開 - 建設総署長 ●﹃大地に祈る﹄‥監督村田武雄、製作東京発声映画製作所、1941年2月5日公開 - 竹山軍医 ●﹃指導物語﹄‥監督熊谷久虎、1941年10月4日公開 - 伍長︵班長︶ ●﹃八十八年目の太陽﹄‥監督滝沢英輔、1941年11月15日公開 - 佐山満 ●﹃川中島合戦﹄‥監督衣笠貞之助、1941年11月29日公開 - 小堀重之進 ●﹃武蔵坊弁慶﹄‥監督渡辺邦男、1942年1月7日公開 - 平宗盛東宝映画[編集]
特筆以外、全て製作・配給は﹁東宝映画﹂である。- 『青春の気流』:監督伏水修、1942年2月14日公開 - 設計部員
- 『緑の大地』:監督島津保次郎、1942年4月1日公開 - 救済院長
- 『南海の花束』:監督阿部豊、1942年5月21日公開 - 乗務員
- 『母は死なず』:監督成瀬巳喜男、1942年9月24日公開 - 職工山本
- 『ハワイ・マレー沖海戦』:監督山本嘉次郎、1942年12月3日公開 - 津山隊長[5]
- 『望楼の決死隊』:監督今井正、1943年4月15日公開 - 王虎
- 『誓ひの合唱』:監督島津保次郎、共作満洲映画協会、1943年8月12日公開 - 葉山准尉(溝々屯守備隊長)
- 『進め独立旗』:監督衣笠貞之助、配給映画配給社、1943年10月21日公開 - 立花秀男
- 『若き姿』:監督豊田四郎、製作朝鮮映画、配給映画配給社、1943年月21日公開 - 堺少尉
- 『加藤隼戦闘隊』:監督山本嘉次郎、配給映画配給社、1944年3月9日公開 - 大竹中尉
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸、東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5。
外部リンク[編集]
- 佐山亮 - 日本映画データベース
- 佐山亮 - KINENOTE